いつかエホバの証人をやめるという2世信者の希望、両親という足かせ

エホバの証人2世の唯一の希望とは・・・

私は物心ついた頃からエホバの証人の2世信者だった。10才を過ぎた頃には、エホバの証人をやめたいという漠然とした願いを抱き始めた。

エホバの証人の禁止事項の多い戒律と、狂信的な両親から自由になりたかった。また、エホバの証人の集会や布教活動に自分の時間を割かれるのが、我慢ならなかった。

独立して親元を出れば自由になれるし、それまでの辛抱だと考えていた。1人で暮らすようになれば、何でもやりたい放題。

エホバの証人の王国会館に通うこと、布教活動、エホバの証人そのものも、親元を離れればやめられるだろうと思っていた。10才を過ぎた頃の私は、「いつかエホバの証人をやめる」という希望だけを頼りに生きていた。

しかし、この脱エホバの時期を大きく前倒しにするきっかけができた。14才から16才にかけて、私はサッカーに熱中する。

サッカーが、エホバの証人を今すぐにやめるという決意の元になった。王国会館にグダグダ通っている時間があれば、サッカーをしたかった。

エホバの証人2世、両親の愛情という足かせ

しかし、「サッカーに集中したいのでエホバの証人をやめる」と、両親になかなか言い出せなかった。両親と両親の信じる宗教が、私の足かせになっていることは明らか。それでも両親の期待を裏切ることが簡単にはできなかった。

エホバの証人をやめる、という決意を両親に表明できないまま月日がすぎていった。この頃の苦しい記憶は良く覚えている。

私は、自分の決意が両親に対する裏切りだと感じていた。いっそのこと、エホバの証人をやめると言った瞬間に勘当されて、家から追い出された方が楽だった。

しかし、そうはならないことを私はわかっていた。一人息子として愛されている私を、両親は捨てないだろうという予感があった。

だから、エホバの証人をやめるということは、両親の愛情に対する裏切りだと、この頃の私は思っていた。

幼い頃から、エホバの証人の懲らしめという体罰を受けた回数は数え切れない。不条理なエホバの証人の教理のせいで、私には全く自由は無かった。学校の行事にも参加することができず、その都度、屈辱感を味わってきた。

しかし、両親からは衣食住と愛情を充分に与えられてきた。それなのに、

両親の最も大事にしているモノを放り出すということは、とても重い罪に思えた。そのため、エホバの証人をやめると、私はなかなか両親に告げることができなかった。

しかし、この罪の意識は子どもの私の思い込みにすぎない。この件は明日の記事にて。

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