エホバの証人2世、14才の決意と苦悩
私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親はともに熱心なエホバの証人だった。
私は10才を過ぎた頃から、「いつかエホバの証人をやめたい」という、漠然とした希望を抱き始めた。「大人になったらエホバの証人をやめられるかも知れない」という、その程度の願い。
この願いが14才になる前に強い決意に変わる。サッカーに熱中し始めたから。エホバの証人の王国会館に通ったり、布教活動に使う無駄な時間を、サッカーの練習にあてたいと思い始めた。
しかし、私はこの決意をなかなか両親に告げることが出来なかった。
エホバの証人をやめると決意した後も、何ヶ月間もダラダラとエホバの証人の集会に通い、ときには「割り当て」られた神権宣教学校のプログラムもこなしていた。布教活動にも参加し続けていた。
※神権宣教学校とは、エホバの証人の布教活動のテクニックを磨くために話し方の練習などをする場。定期的に「割り当て」と言われるプログラムが回ってくる。男性は演題から話をしたり、女性は実演形式であったり。
この頃は本当に精神的にきつかった。やらなければならないこと、やりたいことは明らかなのにそれができない。その邪魔をしているのは、何よりも私を愛している両親。
親子だからといって、何もかも同じである必要はない
私は一人息子で、両親から愛情を注がれて育てられた。エホバの証人をやめるということは、両親の愛情を裏切ることだと思い込んでいた。親を裏切るという(思い込みなのだが)決断は、とても辛い。
しかし、親と違う道を歩むということは裏切りでも何でもない。親と子は遺伝的に似た部分はある。しかし、親子は全くの別人格であり、異なったモノを求めるのは当然。
親がもっとも大事にしているものを、子どもが最優先にしなければならない道理はない。これを割り切ることが出来れば、親に愛されているからと言って、親と違う道を歩むことに苦悩せずに済む。
しかし、この理論は深いマインドコントロール状態にある人々には通用しない。本来は優先されるべき、子どもの願いより神エホバを優先するから。その神エホバの正体は、ものみの塔というカルト教団。
ものみの塔は、子どもの願いが教理に反する場合は絶対に許容しない。子どもの自由意志を奪うという一点だけで、ものみの塔は宗教組織として明らかに欠陥がある。親子の問題は、親子で解決すべきもので、ものみの塔の介入を許すべきではない。
“エホバの証人親子の問題に、ものみの塔の介入を許すな” への1件の返信