エホバの証人の野外集会とは
私はエホバの証人2世として尋常でなく制限のある子供時代を過ごした。半年に1回のエホバの証人の野外集会、たまにある奉仕活動のあとのレクリエーションが公式に遊ぶことが許される機会だった。
1980年代のエホバの証人は、信者だけでの遊興のことをリクリエーションだとかレクリエーションという呼び方をしていた。エホバの証人は起源がアメリカ合衆国にある新興宗教なので、端々に英単語が導入される。
学校や地域の行事とかはレクリエーションにはあたらず、使用方法としては不自然な感じ。エホバの証人は英語の出版物を意味不明に訳しているので、こんなことになる。
野外集会では、日曜日の集会がエホバの証人の王国会館という集会所ではなく、言葉のままに外で行われる。いつもは2時間延々とある集会がダイジェスト版となり、1時間弱、終われば外で食事+遊びとなる。
通常、日曜日のエホバの証人の集会は「公開講演」+「ものみの塔誌研究」。この公開講演が厄介で45分もの間、男性信者の単独講演がされる。暇で暇で仕方がない。この「公開講演」が野外集会だとなくなる。毎週野外集会だったら良かったのにと常々思ったものだ。
また、「ものみの塔誌研究」は討議形式で通常は節の朗読、質疑応答となる。しかし、野外集会では朗読部分が省かれ、質問⇒回答でどんどん進んでいく。これが終われば遊び+昼食。午後の布教活動にも出かけずそのまま遊べる。
野外集会は大きめの公園や河川敷などで行われるので、いつもと違いバケーション感もある。子供だった私ははしゃぎすぎて、親に怒られ後味の悪いものになったり、簡略版のものみの塔討議の間に遊びたくてたまらなくて怒られたりしたものだ。
エホバの証人二世の子どもの野外集会の思い出
昼食は各信者が持ち寄った各家庭の味、弁当箱か何かに入れてそこら辺に置かれるので、バイキング形式で取ったものを食べる。各家庭の母親が頑張って作るのだが、これも美味しいとか楽しみだったという記憶が一切ない。
料理には作った人の気持ちがこもる。だから、エホバの証人の作った料理は不味いのだろう。調理者の心が食べる人の方を向いていないから。常にものみの塔組織の方を向いているから。
あとは質素で堅実なものがエホバの証人には好まれるので、栄養はあるが味付けは薄かったり、豪華なマダムが作るようなハッピーな手料理が一切出てこないのも不味かった要因。
誕生日パーティー・クリスマスパーティも禁止なので、パーティーっぽいアゲアゲでテンション高めな料理も”ふさわしくない”空気が出る。クリスマスっぽい大きなチキンとかも禁止。地味~な保存用の”タッパ”に入って料理が並べられる。子供にしてみれば、何だかなとなる。
私は今でも他人の家庭の味が苦手で、「手料理作ってきました」とか「おにぎり握ったんで食べますか」とかやられると嫌な気分になる。子供の頃、エホバの証人だったことが悪影響として残っている。
野外集会と言って、せっかく遊びに行くのだから、堅苦しいことは抜きにしてひたすら遊べばいいのだが、通常通りの「ものみの塔討議」が残るあたり、エホバの証人チック。
私が覚えているのは、この「ものみの塔討議」が目の前の雄大な遊び場をお預けされて、いつも以上に長く感じたこと。あとは結局、遊びの時間で暴れすぎて親に怒られたこと。
エホバの証人の野外集会に楽しい思い出はない。どこまで行ってもエホバがつきまとうので、エホバの証人だった子どもの頃に楽しい記憶は一切ない。
エホバの証人の親は、せっかくの”レクリエーション”なのだから、ひたすらに子供を元気に遊ばせれば良いものをと思う。子供は遊ぶのが仕事なのだから。
『ドアの向こうのカルト』~エホバの証人の作るケーキが不味い理由
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