『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』
元エホバの証人の被害者が書いた本。絶版なので手に入れるなら中古で。
エホバの証人というカルトに洗脳されやすい人
作者の子どもの頃のエピソードで、両親の夫婦喧嘩のシーンがある。空手に熱中している父親に対して、母親がハサミを持ち出す。
「私と空手のどっちが大事なの!」と言って空手着を切り裂こうとする。作者は、些細なことだが母親が宗教にハマる素養が垣間見えたと書いている。作者の高い観察眼がうかがえるエピソード。
「私と仕事どっちが大事なの?」と同じ質問なのだが、どっちも大事なのだ。この場合の解答としては(火に油を注ぐだけなので)、ひどく不適切なのだろうが、これが事実。
二者択一で決められることなどほとんどない。大事なものとか信念とか、心情に関わることであれば、なおさら。
何でも白黒つけたい、はっきりさせなければスッキリしないという性向の人がカルトにハマりやすい。ものごとなんてハッキリしない方が良いことだらけなので、いい加減で良い。それを許せない人が善悪きっちりのカルトに魅力を感じてしまう。
何ごともキッチリやるのでなく、一旦は受け流しておいて、双方の意見を聞き、両方を重んじる。これが大人の対応なのだが。これが出来ない幼稚な人間がエホバの証人にハマってしまう。
100点満点でなくて良い。人生は60点くらいで十分。その60点を70点にしようというのが、前向きな生き方。
まずは母親を毒牙にかけるエホバの証人というカルト
作者の家庭でも、一般的なエホバの証人と同じく、まず母親がカルトの毒牙にかかる。専業主婦で家にこもる母親の心の闇をつくのがこの宗教の常とう手段。作者の家庭は、転勤のアメリカ居住中にエホバの証人の被害に遭っている。私の両親も同様だった。
私の場合は国内だったのだが、幼児の私は日本語が通じない宇宙人状態。そんな子供と、見知らぬ土地で丸一日二人きり。父親は仕事で忙しい。この母親の心の隙間に、友達感覚で入り込んでくるのがエホバの証人。
作者はカルト被害者の素養があった自分の母親をこう観察している。
教育に関しては「子供はこうあるべき」という理想が強く、しつけにも厳しく教育熱心
子どもは子どもの望む方向に進めば良くて、大人は一緒に方向を考えたり、よっぽど危険な場合に手出しすれば良い。それ以外は黙って見守り、背中を押してあげるだけで充分。どうあるべきかなんていう決めつけは絶対NG。
子どもの人生は子どものモノで、子どもの人格は子どものモノなのだから。
エホバの証人の作る不味いケーキが不味い訳
作者の母親は、砂糖を摂るなら市販のものでなく、手作りでというポリシーがあった。エホバの証人にはそういう親が多数いたと作者は書いている。そういったエホバの証人を観察して作者はこう書く。
もともと原理主義的な素質を自分の中に持っている人が多い
私も忘れていたが、確かに手料理でお菓子やケーキを作るというエホバの証人の女性は多かった。子どもならこれにご馳走になったり、一緒に作るのは楽しいはずなのだが、そういった微笑ましい記憶は一切ない。
私は、健康的な薄味のケーキやクッキーより、市販のジャンクなお菓子の方が好きだったし、何よりそういった”おもてなし”の後には、必ずエホバの証人の勉強的なモノが待っている。これが何より楽しくない。
そもそも料理に原理主義を加えたら、そりゃ旨くない。子どもを楽しませる、美味しいものを食べさせてあげたいという気持ちではなく、自分の主義とエホバの証人の教育の場がケーキの味付け。そりゃマズいよ。
“『ドアの向こうのカルト』~エホバの証人の作るケーキがマズい理由” への3件の返信