誕生日パーティーと誕生日ケーキが禁止、エホバの証人2世

エホバの証人2世の最初で最後の誕生日ケーキ

昔のアルバムを見ていて気付いたことがある。私の満1才の誕生日、1才になったばかりの私が、ケーキに立てたロウソクを吹き消そうとしている。

私は、ほぼ生まれながらのエホバの証人だった。

エホバの証人は誕生日のお祝いが禁止なので、誕生日パーティや誕生日ケーキなどは一切許されない。誕生日会を開くのも、他人の誕生パーティーに参加するのも禁止。

エホバの証人2世の子どもだった私は、ケーキにロウソクを立てて祝って貰ったことなど、一度も無いと思っていた。ロウソクを吹き消した記憶もない。しかし、満1才のときには、平凡に誕生日を祝われていたようだ。

私の1才の誕生日の後に、決定的に何かが食い違ってしまった。母が、布教活動にやってきたエホバの証人の毒牙にかかってしまった。ささやかな我が家が、ものみの塔の猛毒に犯された。

元エホバの証人2世がなじめない、誕生日のケーキ

私は、物心ついて以来、誕生日ケーキにロウソクが立っているのを、他人の誕生日にも、自分の誕生日にも見たことがない。

ものみの塔の教理で、誕生日に関する一切の祝い事が禁じられているから。

私は、14才になる直前にエホバの証人という宗教を見限り脱会。これは狂信的なエホバの証人だった両親との決別を意味する。それ以来、ものみの塔が禁じている喫煙を始めたりはしたものの、誕生日パーティには縁が無かった。

高校生にもなると、誕生日パーティーなど開かなくなるから。そして、子どもの頃から誕生日を祝うことを禁じられてきたから、何となく罪悪感があった。

誕生日ケーキにロウソクというのは、暖かい家族の象徴のようにも感じられる。暖かな両親との関係が永遠に失われてしまった私にとって、誕生日ケーキは近寄りがたく感じられた。

私の家族が崩壊したのはもちろん、ものみの塔というカルトのせい。

エホバの証人2世が繋ぎ止めることの出来ない家族の絆

私には、反エホバであることに注力していた時期があった。その頃の私にとって、暖かい家族というモノがエホバ的というか、ものみの塔的に感じられ、ますます、お誕生日ケーキから遠ざかろうとしていた。

実は、暖かな普通の家庭というのは、一番エホバの証人的でない対極のモノなのだが、当時の若い私には、そこまで考えが至らなかった。

ロウソクを吹き消すというのは、小さな子どものほんの些細な楽しみ。それに目くじらをたてるものみの塔の影響が、 私の心に暗い影を深く落としている。

今、40才を超えた私には妻子がいて、彼らのケーキにロウソクを立てることができるようになった。子どもや妻のケーキにロウソクを立てるたびに、自分と同じような思いを、彼らにさせてはいけないと考える。

自分の子どもたち、さらには同時代を生きる子どもたちには、自分と同じカルト被害に遭わせたくない。カルトの毒牙にかかり日常を制限される、そんな子どもをこれ以上増やしてはいけない。


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