エホバの証人2世の屈辱と痛み、恐怖の節分・豆まきの記憶

独断的なものみの塔協会

ものみの塔協会は、エホバの証人(JW)以外の全ての宗教を邪教・異教とみなし、教団の宗教本の中で攻撃している。ヒンズー教やイスラム教、仏教、神道などを上げ連ねて批判する書籍が出版されていた。

当然、エホバの証人の家には神棚や仏壇が無い。仏式の葬式や神前での結婚式など、親族の行事に参加することも禁止。そのため、親族の死に目や門出に際して冷酷な態度をとっていると判断され、疎遠になっていく。

その孤立状態が、信者の教団への依存を強めていく。

異教に由来する行事も全て禁止されている。正月飾りに始まり節分、バレンタイン、ひな祭り、ホワイトデー、エイプリルフール、鯉のぼりや五月人形を飾ること、七夕、お盆の墓参り、ハロウィン、七五三など、全て禁止。

ものみの塔は、クリスマスや復活祭も禁じている。他の宗教だけでなく、同じキリスト教のカトリックやプロテスタントなども異端としているから。

ものみの塔は、自身の宗教だけが正当で正確であるとして、他の宗教を一切認めない。信者のエホバの証人に対して、異教のモノには一切接触しないよう求めている。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人2世の節分の記憶、恥と痛みと恐怖

私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。2世とは宗教2世信者のことで、親の信仰を押し付けられた子供のこと。

私の両親は、ものみの塔にマインドコントロールされ、言いなりになっていた。両親によって、私は宗教色のある行事一切への参加が禁止された。

子供の頃は、年中行事が学校で行われるたびに、寂しく心細い思いをした。これが、小学校の高学年になると恥の感情に近づいていった。自分は他の人と違って特殊だということがとても苦痛だった。

節分の豆まきのため、教室後方に下げられた机の群れの中、私だけが自席に座っている。全ての机を下げたため自席のスペースが狭く、机がお腹に密着している。周囲のすべての机が迫ってきて、自分の腹が押しつぶされるような感覚に襲われる。

その痛みと重みをお腹に感じながら、嬌声を上げて節分の豆をぶつけ合っている同級生を見ていた。逆に同級生から見られたり、ふざけ半分で豆をぶつけられたりすることがないよう、出来るだけ目立たないようにしている。

「誰も私に気づかないでくれ」と願う。このまま消えてしまいたい。

「鬼は外」「福は内」

鬼ではなく、私が消えたい気持ちになる。自分は圧倒的な部外者でよそ者だという思いが、心に強烈に広がる。屈辱と痛み、恐怖の節分の記憶。


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