エホバの証人2世(JW二世)被害者が親を許すということ

エホバの証人親子の関係修復のチャンス

私は生まれて以来、エホバの証人2世として育てられた。

エホバの証人というのは、キリスト教を自称する新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という宗教法人で活動している。2世と言うのは、宗教2世信者のことで、親の宗教を強要される子供のこと。

両親ともに熱心なエホバの証人という、エホバの証人の言うところの神権家族で私は14才までを過ごす。14才になる年に私は自分の意志でエホバの証人をやめる。その後20才で就職して家を出る。この頃になっても、両親は未だにエホバの証人だった。

一人暮らしをしていた時に、ちょっとした用事があって私は実家へ帰った。私が20代前半の頃。実家では驚くことに父親がタバコを吸い始めていた。父親はエホバの証人の会衆の長老だったはずなのに!エホバの証人にとって喫煙は厳禁。組織から追い出される排斥事案。

どうやら私の父親はものみの塔協会の洗脳が解けたのか、エホバの証人をやめたのか、はたまたその両方であるのか、いずれかは確実だった。父子関係を修復するまたとない機会だったのだが、タバコを吸っている父親に対し私は歩み寄ることが出来なかった。

後で分かったことだが、父はこの頃には既にエホバの証人をやめていた。しかし、母はまだエホバの証人で、両親は家庭内別居の状態にあった。この夫婦の間を取り持つのが一人息子である私の役目だった。

エホバの証人2世の屈辱と痛み、恐怖の節分・豆まきの記憶

ものみの塔のあやつり人形、母親によるジャッジメント

エホバの証人2世被害者が親を許すということ

この頃の私は、自由を満喫することに熱中していて、両親の家庭内別居どころでは無かった。エホバの証人をやめて7年ほど。親元を離れ、ものみの塔協会に禁止されていたものの味を一つずつ嚙み締めている時期だった。

タバコに過度の飲酒、ものみの塔により不道徳とされる行為まで様々。

そして、当時はまだ両親に恨みのようなものを感じていた。幼児期から宗教活動を強制され、極限まで自由を抑制されていたことに対して両親を許すことが出来ていなかった。

この頃の私はエホバの証人を敵対視しているところがあった。家に勧誘にやってくる無垢の末端エホバの証人の若者をつっけんどんに追い返したりしていた。

しかし、これは恐怖の裏返しでもあった。無力なエホバの証人たちが押す家の呼び鈴が私の家族を崩壊させ、私の半生と両親の人生の最も実りの多い部分を無に帰してしまった。もうこれ以上身の回りに災厄をもたらしてくれるなという思い。

ものみの塔協会に入信した両親の気持ちや、被害者である末端エホバの証人たちを思いやるような心の余裕はこの頃の私には無かった。親子関係を修復し、家族を崩壊から守るということが私には出来なかった。


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