エホバの証人2世の子どもの心を蝕む、信者の親とその暴力

子どもには適さない、エホバの証人という宗教

エホバの証人の世界では、子どもの望むたいていのことは禁止されているか、推奨されていない。

エホバの証人の親たちは敬虔なクリスチャンであろうとして、盲目的に教団の教理に従う。そのため、エホバの証人2世の子どもたちは、親から厳格すぎる戒律を押し付けられる。

子どもは、様々なことに興味を持ち、試してみて将来を夢見る。ところが、エホバの証人の子どもは、その希望をもつ前に親の妨害を受ける。

それでもエホバの証人の子どもは親を愛していて、親の愛と是認を得ようとする。これは当然のこと。

子どもは、親がいなければ経済的に自立する力が備わっていない。親の承認を得て、生活全般の保護を受けなければ、生きていくことが出来ない。

また、無力な子どもが保護者の愛情を必要とするのは当然のこと。説明するまでもない。もはや本能レベル。

父親に褒められたいというエホバの証人2世の叶わない願い

エホバの証人2世の子どもの苦痛に満ちた少年時代

親の顔色を伺うエホバの証人2世

エホバの証人の親子間では意見や見解の相違が頻発する。子どもらしい朗らかな要望と、教団が要求するモノが全く異なるから。それでもエホバの証人2世の子どもは、物質的にも精神的にも親を必要とせざるを得ない。

エホバの証人の子どもは自由は得たいが、親の保護と愛情は必要。必然的に、エホバの証人の子どもは親の顔色を伺いながら生活するようになる。全面的に妥協して。

どこまでなら親に怒られないか、そればかりを考える。親に怒られることは、エホバの証人家庭では体罰という暴力を意味する。このため、エホバの証人の子どもは親の顔色を伺わざるを得ない。

すると、結果的にエホバの証人2世は、子どもらしくない、大人の顔色を伺う生き方をすることになる。

エホバの証人2世の子どもは、両親からの問いに対して”模範”的な回答をしなければならない。エホバの証人の集会で行われる質疑応答と同じ。全て予定調和。エホバの証人2世の子どもは、必ず親の期待する答えを出さなければならない。

「大人になったら何になりたいですか?」の答えはプロ野球選手ではなく「ベテルに入って働きたいです」。そんなことを心の底から思っている訳ではなく、親が望んでいるからそう答える。

ベテルというのは、エホバの証人の日本支部のことで、宗教活動に専属することを意味する。

私が、「将来はベテル奉仕をしたい」と言うと両親が喜ぶ。そう答えると両親に認められる。逆に、そう答えなければ両親に愛されない。だから、そういう回答をせざるを得なかった。

全てを破壊するエホバの証人の懲らしめ

仮に、私が幼児期から親に対して毅然とした態度をとっていたら、どうなっていただろうか。

「大人になったらベテルになど入りたくない。今晩はエホバの証人の集会にも行きたくない。小学校に入ったら、野球チームに入って日曜日は野球の練習をする。大人になれば野球選手になるんだ」と、子どもらしい意見をしっかりと言えていたらどうだっただろうか。

私が親に対して自分の意見を通したのは、14才のとき。中学生になってから。小さな子どもの頃から親の顔色などを伺わず、しっかりと自分の意見を言っていれば良かったのではないか。

「もう集会には行かない。今日はテレビで戦隊ヒーローモノを見るんだ」と。

子どもが強く望んでいるからということで、私の両親は許してくれただろうか。決してそんなことは無い。もっともっと強く抑制・矯正しようとする。そのために行われるのが懲らしめという名の体罰。

幼い私が、親に対して自分の意見を通そうとしたなら、暴力のラッシュで子どもの私の精神は持たなかった。暴力により、肉体の方が先に壊されていた可能性もある。

結局、エホバの証人の子どもは、幼い間は親の言いなりになるしかない。その間に精神を蝕まれていく。体が成長して親に対抗できるまで心がもつか、それとも壊れるか。あとは、心を無くすか。


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