行動を大きく制限されるエホバの証人2世の子ども
私は、ほぼ生まれながらのエホバの証人の2世信者で、苦痛に満ちた少年時代を送った。
エホバの証人の王国会館で開かれる集会には、週に3日も通わなければならなかった。
集会というのは、教団出版物の討議や祈り、讃美の歌の合唱などが行われるエホバの証人のミサのようなもの。集会の日には、その予習をしないといけないため、友達と遊ぶことはできない。
この頃、1980年代には土曜日の午前中は学校の授業があった。土曜の午後はエホバの証人の伝道奉仕活動に連れて行かれるので、友達とは遊べなかった。伝道奉仕というのは、エホバの証人の布教勧誘活動のこと。
日曜日も午前中は、エホバの証人の集会で王国会館へ連れて行かれるし、午後はまたまたエホバの証人の布教活動。
両親は、エホバの証人でない友達と遊ぶと良い顔をしなかった。ちょっとやんちゃな友達だと、あの子と遊んではダメだ、と制限される。
何の楽しみもない子ども時代だった。それだけならまだ良いのだが、エホバの証人2世の子どもは、学校に行けば他人との違いをまざまざと感じさせられる。これが一番辛かった。
エホバの証人2世の子ども、苦痛に満ちた少年時代
エホバの証人は、間もなく世界の現状の体制が終わると、信じ切っている。通称ハルマゲドン。エホバの証人信者は、ものみの塔協会によってハルマゲドンの恐怖心を煽られ、マインドコントロールされている。
この世の終わりハルマゲドンの後には、地上は楽園になる。そして、ハルマゲドンを生還したエホバの証人たちは、地上の楽園で永遠の命を享受できるという設定。エホバの証人たちは、この永遠の命というご褒美に向かって、不毛な活動を続けている。
そのため、エホバの証人には今を楽しむという発想が皆無。貴重な若い今だけの時間、幼い子どもとの貴重なとき、それらすべてを投げ打って、人生のすべてを浪費している。実現するわけがない楽園での永遠の命という幻想に、身を委ねている。
狂気の沙汰だが、本人は自分たちのことを正常だと思っている。マインドコントロール下の人間の発想。自分たちエホバの証人の生き方に文句をつける人たちは、すべてが悪魔サタンの手先だと思い込んでいる。
そのため、一切の反対意見に耳を貸さない。当然、子どもの叫び声も届かない。
ものみの塔の戒律に逆らったり、エホバの証人の集会や布教活動に行きたくないと言おうものなら、待っているのは懲らしめという体罰。
エホバの証人の子どもたちはこの体罰が恐くて、ものみの塔の戒律を強要する親に従わざるを得ない。
小学校の毎日の給食の合掌、校歌、国家の斉唱、クリスマスや節分などの行事、そういったモノすべてに参加できない。ものみの塔は、異教の行事や神エホバ以外に特別な敬意を払うことを禁じているから。
学校では、給食の都度、合掌せずに変なポーズで祈りを捧げなければならない。小学校では変人扱いされ、心がズタズタに引き裂かれる。
そこまでして、ものみの塔の戒律を押し付けられているのに、それでも親から体罰を受けることがある。エホバの証人の親たちの、ものみの塔に対する忠誠心の要求水準はどこまでも上がり続ける。
たいていの子どもは、親が心の底から信じていることを同じように信じる。そのため、エホバの証人の子どもたちは、親と同じようにハルマゲドンを恐れるようになる。
エホバの証人2世の子ども時代は、親の体罰とハルマゲドンの恐怖に追われる生き地獄の日々。
禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ
初めまして
私も二世です。
未だに
思い出すとしんどい時がありますが
普通の女の子に生まれたかったと思います(><)
初めまして。普通で良かったんですが、それが叶わずというのなら、今から先どうするか、それを考えるしかないと思います。
夏が来ると、水筒にお茶を入れて炎天下の中をひたすら家から家へと呼び鈴を押して回らされた子供の頃を思い出します。夏休みになると学校に行かない代わりにこの苦行だったので、9月が来て休みが終わるのがちょっと嬉しかったり、9月になると学校で校歌や国歌が歌えないというストレスがあったり、結局はろくな子供時代ではありませんでした。
自分の子供にだけは同じ思いをさせないように、自分で自分のやりたいこと、好きなことを選ぶことが出来る人に育てたいと思っています。
ほんとですね
私も離れた数年は集会の曜日になるとソワソワしてたり
昔の記憶がフラッシュバックしたりでした。
学校では制限されることが多く
辛かったですね。
良かったら友達になってください。
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両親が集会に行っていて、自宅で一人残り始めたときの感じ、共感します。
自由になったというワクワクと何だか落ち着かない感じ思い出しました。
初めまして。
小さい頃、物心がつく前からエホバの証人でした。
毎週末に集会があり、本当はみんなと遊びたくて仕方がなかったのですが行けなかったり、同年代の子がゲームやテレビの話をしていても自分だけついていけず、少し寂しかった記憶があります。
今でも友達の会話についていけないことが多々あるのですが、皆さんはどうだったのでしょうか、、、、
返信が遅くなりすみません。小さな頃は何から何まで”この世の”普通の子供たちの会話にはついていけませんでした。14歳でエホバの証人2世を止めた後で必死に色々取り返そうとしました。ゲームから漫画、テレビ、アルコールにタバコにギャンブルにと誰よりものめり込んだことを思い出しました。結局全部時間の無駄遣いだったような気がしないでもないです。本来、年代に応じて夢中になってやるべきことがあるものです。それを無理やりに周囲についていくためにやるというのは、意味がないのかも知れません。
私は今ではテレビをほとんど見なくなりました。職場でもテレビドラマやスポーツ、お笑いの芸能ネタまで、再び、全くついていけなくなってしまいました。今ではこれは個性だと思えます。しかし子供の頃はそうは思えず、周囲に取り残されていくことが怖く、恥ずかしくて、たまりませんでした。些細なことのようですが、子供の私にとっては重大で何よりも深刻な問題でした。これは年齢によるものなのか、宗教という負のベクトルを背負っているからだったのか。その両方だと思います。