エホバの証人の懲らしめとは?
私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。
エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教。米国由来の宗教で世界中に広まっている。日本ではものみの塔聖書冊子協会が中心となって、運営を行っている。
2世というのは、宗教2世のこと。親の信仰を強制される子ども。
私の両親は、完全にものみの塔協会のマインドコントロール下にあった。両親の言うことを聞かないと、私は幼児の頃から懲らしめという体罰を与えられた。両親は懲らしめのときは鬼のように一変した。
両親も必死だった。愛する我が子が泣き叫んで許しを求めているのに、規定回数までは叩かなければならない。まさに心を鬼にしてムチを振るっていた。これは教団が懲らしめを推奨していたから。
エホバの証人は、「教団の言うことは絶対厳守」とマインドコントロールされている。でなければ、こんなバカげた宗教に加盟しようとは誰も思わない。
そのマインドコントロールの源泉となっているのは、ものみの塔の唱える終末ハルマゲドン。正しいエホバの証人として生きないと、ハルマゲドンという裁きの日に神に殺される。その恐怖心。
エホバの証人の親の空っぽの愛情
懲らしめが終わると両親は普段以上に優しくなる。これが子どもの私を混乱させた。いったい本物の両親はどっちなのか?結局のところ、懲らしめのときに両親が変貌してしまうのは、悪さをした自分のせいなのだと思わざるを得なかった。
エホバの証人2世の子どもは、こうして自分が悪いと思い込む。精神衛生上、いたってよくない傾向。
両親にしても、明らかに癇癪を起こして怒っているときがあった。それでもエホバの証人的に正当(正当では決してないのだが・・・)な懲らしめをしている風に振る舞う。
そんなケースのときほど、暴力を振るわなかった方の親は、懲らしめが終わると異常に優しくなる。結局、懲らしめという暴力行為に遺恨が残るが、それでも両親は優しかったというイメージを抱かざるを得ない。
両親に愛されたように、自分も両親を愛さざるを得ない。ものみの塔が「愛ゆえの懲らしめ」と、執拗に強調するのもこのため。エホバの証人2世はこの両親への愛情が枷になって、エホバの証人をやめることが出来ない。
極端な言い方をすると、エホバの証人の親の愛情が際立って感じられるのは、懲らしめという暴力行為があるから。懲らしめが恐ろしければ恐ろしいほど、その後で優しくなる愛情が目立って感じられる。相対的なモノ。
とどのつまり、親がエホバの証人である限り、その愛情は偽物。空疎な愛情に過ぎない。空っぽの愛情。暴力とのギャップでしか示すことができない愛情。
※2023年6月追記
2022年の厚労省の宗教虐待ガイドラインでは、体罰、ムチ打ちは全て児童虐待と定められている。体罰は宗教が絡まなくとも児童虐待だろうが・・・
“エホバの証人の親、空っぽの愛情。懲らしめによる愛情の押し売り” への1件の返信