裁きのとき、叩かれる回数の宣告
小学校に入る前の私は、母親によってエホバの証人の布教活動に連れ回されていた。さらに、週に何度も聖書研究と称して、母親が攻略中の非信者の家へ連れて行かれていた。
いわゆるエホバの証人2世。親の宗教を強制される子どもだった。
小学校に入る前の遊びたい盛りの子どもが、聖書研究という洗脳作業の間、大人しく座って話を聞いている。「何て素晴らしい宗教なのでしょう」と、攻略相手に思わせて、カルトの泥沼に引きずり込む。
この聖書研究の間、大人しく座っているのが、子どもの私にとっては非常に苦痛だった。しかし、お利口にしていないと待っているのは帰宅後の懲らしめ。
懲らしめとは体罰のこと。お尻をベルトやプラスチックのよくしなる定規などでしこたま叩かれる。1発や2発ではない。泣き出して、「もうしません」と言い出すほどの回数を叩かれる。叩かれる回数は、親によって刑の執行前に宣告される。
異常、エホバの証人のDV家庭
ときには夕方を待って、仕事から帰宅した父親が懲らしめの執行人となることもあった。これは、母親によって重罪と判定されたとき。父親の帰宅後に、強烈な暴力が待っている。
子どもの私は家から逃げ出してしまいたい思いに駆られる。何とかお利口にして、母が父に言いつけるのを許して貰うとか、減刑されることに手を尽くすのだが、そんなことは1度たりともなかった。
エホバの証人の親は、愛の鞭に手心を加えることが子どものためにならないと、教団によってマインドコントロールされている。暴力が愛と結びつくわけがないのだが。
子どもが罪を悔い改めなければ、来たる終末のハルマゲドンで死ぬ。それを回避するために、泣き叫び必死に逃げ回る幼児のお尻を、力いっぱい叩く。
ちょっとした親の言うことを聞かなかった、という些細なことすら罪になる。エホバの証人の教理では、親は子供に対しての権威者とされている。その権威に逆らうということは、エホバの証人にとっては重大な罪。
その権威をたどっていくと、最上位は神エホバになるのだが、この神はエホバの証人組織の欺瞞的体質から見ると、状況証拠的に非存在。なので、エホバの証人の権威の最上位には人間の統治体が君臨している。
子どもが親の権威を軽んじることは、エホバの証人が統治体の権威を軽視することにつながる。これでは教団の維持運営に支障が出る。そのため、小さな子どもでも、親の権威を軽んじることは重罪とされ厳罰が下される。
エホバの証人信者の親は、子どものお尻を叩きながら、統治体という人間集団への自らの信仰を強めていく。子どもに暴力を振るいながら、自らのマインドコントロールを強固にしている。
恐怖で1日を追われ、痛みで1日を終える幼児。帰宅直後に幼い息子を叩かなければならない父親。エホバの証人家庭がいかに異常か、狂っているか、分かって頂けるだろう。
エホバの証人とは、ドメスティックバイオレンスを推奨する危険なカルト集団。エホバの証人組織が権威を重視するのは、信者を完全に支配下に置きたいから。実は、その教団の権威こそ無根拠なのだが・・・
エホバの証人の懲らしめの悪影響
エホバの証人の親は、愛する子どものためと妄信して懲らしめを執行する。しかし、これは全くの逆効果。
教団への妄信のせいで愛しているはずの子どもを叩いているのだが、子どもはその暴力を決して忘れない。大きくなれば親を捨てるように去っていく。懲らしめという虐待は、親子の間に遺恨を残すだけ。
また、エホバの証人2世は暴力的な傾向を持っている。これは幼い頃から親によって振るわれた暴力が大きく影響している。
親は圧倒的な暴力で子どもを従わせ、(その場限りではあるが)問題を解決してきた。子どもがその安直な問題の解決法を学ばない訳がない。
また、親は思う存分に暴力を振るうのに、エホバの証人の子供は暴力的なものを一切禁止されている。キン肉マンなどのアニメやチャンバラごっこから戦争映画、格闘技、サバイバルゲームなど全て。
これもエホバの証人2世が暴力的なものを求める傾向に大きく影響している。禁止されたモノほど欲するのが、人間の性質。少なくとも、私はそうだった。自身の中に、衝動的に暴力を求める何かが眠っている時期があった。
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