エホバの証人2世の幼なじみ
私は生まれながらのエホバの証人2世だった。エホバの証人というのは自称キリスト教系の新興宗教。2世というのは2世信者のことで、親の信仰を強要される子どものこと。
私の家は両親ともに熱心なエホバの証人で、教団用語で言うといわゆる神権家族だった。神権家族というのは、家族全員がエホバの証人という筋金入りのカルト一家。
エホバの証人2世の友人でサツキ君という子がいた。お互いに一人っ子で、幼なじみと言っても良い関係だった。サツキ君とはエホバの証人の王国会館で開かれる集会のときに週3回、それ以外にも、お互いの母親が会うときに連れられて一緒に遊ぶことがあった。
エホバの証人2世の子どもは、信者ではない子どもと遊ぶことが勧められてない。「学校の友達と遊びに行く」と言うと、両親は露骨に嫌な顔をした。エホバの証人は、非信者のことを「世の人」と呼び、交友を忌避する。
そのため、エホバの証人は「交わり」と称して2世の子ども同士を遊ばせたり、親もお互いに食事に呼びあったりということがある。
そういった「交わり」の結果、私とサツキ君は仲が良かった。お互いに一人っ子で兄弟がいなかったことも関係していた。エホバの証人2世として教団外に友達を作りづらい状態にあったことも大きな要因。
痛みで一日を終える幼児、帰宅直後に子供を叩かなければならない父親
失われるエホバの証人2世の友人関係
私が小学校4年生になる春休みに、一家で田舎に引っ越すことになった。私の親としては、このまま都会に留まることで増えるであろう「この世」の誘惑から、子どもの私を守りたいという判断もあった。
しかし、制限だらけのエホバの証人の子どもにとって、他人に対する干渉の少ない都会に比べると、そこら中が他者の視線だらけの田舎の方が厳しい。子どもの私にとって、閉鎖的な田舎環境でエホバの証人的生き方を貫くのは困難だった。
田舎に引っ込むことで、地元の祭りや伝統行事に参加しないという「証言」が余計に必要になった。そして、小学校のクラスがなんと1クラスしかない。
※エホバの証人特有の行事不参加の交渉のことを、教団用語で信仰の「証言」という
学校中が知り合いのような状況で、都会からやってきたエホバの証人である私は異端の存在。変人扱い。私の自尊心は深く傷ついていった。
一家で引っ越すことになって、唯一の幼なじみと言えるサツキ君とは離れ離れになってしまった。サツキ君と私は、お互いに微妙な年齢である14才前後にエホバの証人をやめた。サツキ君の脱会は風の噂できいた。
お互いがエホバの証人をやめたということで、交友関係を復活させても良かったのだが、そうはならなかった。おそらくはサツキ君も同じ気持ちなのだろうが、もう決してエホバの証人と関わりたくない。
エホバの証人に関係していたということが消去したい過去。お互いの恥ずかしい過去を知る人物ということで、サツキ君との交友関係が復活することは無かった。