ものみの塔協会は予言ハズシの老舗、偽予言者の伝統芸

『良心の危機』、読みにくい第7章なのだが・・・

『良心の危機』第7章「予言と独断」、聖書「申命記」からの引用をさらに引用。

もし預言者がエホバの名において話しても、その言葉が実現せず、そのとおりにならなければ、それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである

エホバ、エホバ書いてあるので、忌々しい新世界訳からの引用だと思うのだが、つまりは予言をハズした奴はせん越な偽予言者ということ。これは他でもないものみの塔のこと。

ものみの塔は、世界の終末ハルマゲドンの予言をやがて150年ハズし続けている。信者を惑わすものみの塔は完全なる偽予言者。

「予言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔

ものみの塔協会の統治体の予言は時代ごとに現れる偽予言者の世迷言

¥4,180 (2024/01/13 17:00時点 | Amazon調べ)

本章の主旨やものみの塔の正体は前述の聖書からの引用で全てなのだが、この7章は続く。予言ハズシの実態をものみの塔の宗教本から多数引用して糾弾している。

この章はものみの塔の引用が退屈でしょうもないので読み進めるのが苦痛。しかも傍線が引いてあったりして、著者のエホバの証人らしさが出ている。私もかつてエホバの証人2世信者であることを強制されていた頃、こうして宗教本に下線を引いて予習をさせられた。

偽予言者の伝統芸、磨き上げられた信者を欺く「神技」

“ものみの塔協会は予言ハズシの老舗、偽予言者の伝統芸” の続きを読む


『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その1

ものみの塔が聖なる場所って、冗談キツイぜ

『良心の危機』、第4章から第5章。エホバの証人という組織がいかに偽者か。茶番の数々が紹介されている。

¥4,180 (2024/01/13 17:00時点 | Amazon調べ)

ちょっとしたことを取り上げ、それに象徴的な価値を持たせて、大いに意義深いことであるかのようにしてしまう

これは聖書中の「聖なる場所が正しい状態にされる」という預言に対して、ものみの塔の表決権が修正されたことをこじつけた一例。ものみの塔はこのようにして聖書を弄んでいる。

ものみの塔のようなカルトを捉えて「聖なる場所」とは冗談キツイ。ものみの塔が消滅したときこそ、この世界が正しい状態になる。

ものみの塔、思いつきの真理

“『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その1” の続きを読む


『良心の危機』、脚注にひっそりと隠された重大発表

大学で二年と独学、それで聖書の翻訳ができるのか

『良心の危機』第3章「統治体」より。

脚注にサラッと超重要なことが書いてあるので、拾っておく。私みたいに隅から隅まで読まないと気が済まない貧乏性でないと、読みこぼす恐れがあるよ・・・

¥4,180 (2024/01/13 17:00時点 | Amazon調べ)

ものみの塔協会の製作した「新世界訳聖書」は、著者のおじにあたるフレッド・フランズが中心になって翻訳された。この部分の脚注より。

「新世界訳聖書」には

訳者の名前は記されておらず、「新世界訳委員会」の仕事であることになっている。この委員会には他にネイサン・ノア、アルバート・シュローダー、ジョージ・ギャンギャスがいた。しかし、聖書の言語について、この種の翻訳をするための知識があるのはフレッド・フランズだけだった。フレッド・フランズは、シンシナティ大学でギリシャ語を二年間学んでいたが、ヘブライ語は独学だった

エホバの証人が後生大事にしている「新世界訳聖書」。その翻訳に携わったチームの中で、多少なりとも原語の知識があったのは著者のおじのフレッド・フランズただ一人だった。ギリシャ語は大学で二年、ヘブライ語は独学だそうで。

この辺りは本書でさらに掘り下げられるのだろうか?フレッド・フランズが、裁判所で原語知識について問われたというのを何かで読んだ気がするので、続きに期待。

油そそがれちゃってた著者

“『良心の危機』、脚注にひっそりと隠された重大発表” の続きを読む


エホバの証人の輸血拒否は、パリサイ人モードで人命軽視の流血の罪

エホバの証人の流血の罪

日本のエホバの証人は輸血拒否適用外

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』10章「輸血」

エホバの証人という新興宗教で、最もカルトな教理が「輸血拒否」の人命軽視。聖書中の律法に「血を食べてはならない」、と書いてあるのを輸血拒否の根拠としている。

本書では、エホバの証人の輸血拒否の教理を以下のように端的にまとめている。

神は創造者として「血」についてすべてのことを知っており、命の与え主として「血」をどう扱うべきかを定める全面的な権利を有しておられる。それゆえ人は創造者の律法を尊重しなければならない。

この時点で相いれない。

まず創造者っていないっしょ。神は死んだんだって。

ものみの塔協会が主張する「創造者の約束」にムリがあるワケ

創造主だから「血」についてすべてのことを知っている?そんな完璧な創造者ならとっくに、地球を完全な理想系にしているよね。愛ゆえに野放しにしているのでなく、無力ゆえ。そもそも創造者はいない。

命の与え主として、「血」の取り扱いを定める全面的な権利を有している?オレの「血」の使用用途はオレが決めますが。

創造者の律法を尊重?律法契約って有効なんすか?ここ日本国では無効ですよ。

流血の罪、エホバの証人の輸血拒否

“エホバの証人の輸血拒否は、パリサイ人モードで人命軽視の流血の罪” の続きを読む


エホバの証人、ものみの塔の言うことは絶対モード。組織崇拝者

聖書のどこにもものみの塔協会をつくれとは書いていない

エホバの証人の組織至上主義モード

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『ものみの塔の終焉』の5章『神の組織、サタンの組織』から。

本章前半部分で、エホバの証人のものみの塔崇拝について指摘されている。

神の組織、神の組織とあまりに強調されるので、すでに強迫観念になっている人もいる。組織の否認は神の否認、組織の是認は神の是認である。こうなると組織は神そのものになる。

エホバの証人にとって、組織イコール神、組織大なり神。エホバの証人が向いているのは神の方向でなく、組織の方向。エホバの証人は組織崇拝者。

聖書に書いてあることと、ものみの塔の言っていることの一致など全く見られない。すべてものみの塔都合の解釈が入っている。そこに他の解釈の余地が全く許されないのはなぜか?ものみの塔だけが真理である根拠は?

エホバの証人が、こんな簡単な矛盾に気付けずに人生を棒に振るのは

真剣な人ほど「好意的でないものは皆サタン」と本気で信じてしまう

から。

自身もものみの塔に対して好意的でないとサタン化してしまう恐れがある。そのため、組織至上主義の立場を取り続けるしかない。でないと組織から追い出されるから。それをサタン化だと思い込んでいる。

こうして、エホバの証人はものみの塔の言うことは絶対モードに入ってしまう。思考停止状態。

エホバの証人、思考停止状態

エホバの証人の親は思考停止洗脳状態の「親のような者」

ものみの塔の存在の無根拠

“エホバの証人、ものみの塔の言うことは絶対モード。組織崇拝者” の続きを読む


『燃やす用』の聖書~ものみの塔の存続が神の不在証明

燃やす用の新世界訳聖書

新世界訳聖書は必要ない

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の最終章「字義訳―新世界訳は必要か!」

エホバの証人=ものみの塔協会=新世界訳聖書というつながり。これらすべてが不要。

カルトの証人=カルト協会=カルトの悪書であるから。

本資料では、最後の最後で、エホバの証人の新世界訳聖書にも個性、味わいがある。エホバの名を全面的に用いているユニークな聖書であるという見方もできる。新世界訳聖書を異文化、多様性として認めるという意見が出てくる。

本資料では、新世界訳聖書が「欠陥聖書」である証拠と、その「欠陥」が信者にもたらす弊害をひたすら挙げてきた。最後に、分量としてはほんの僅かだが、ものみの塔寄りの意見が出てきたのが残念でならない。

カルトの多様さなど認める必要はない。

エホバの証人の新世界訳聖書の2019年改訂版とは

エホバの証人の新世界訳聖書は冒涜改ざん聖書

神の出現がものみの塔の終わりの日

“『燃やす用』の聖書~ものみの塔の存続が神の不在証明” の続きを読む


エホバの証人の特権体質、特権崇拝。実利のない中毒性のある猛毒

エホバの証人の「特権」聖書、新世界訳

エホバの証人の特権体質という中毒症状

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『欠陥翻訳ー新世界訳』の第6章「特権体質」の項目。エホバの証人の特権崇拝について考察されている。

私のように親に強制された2世信者ではない、1世の信者。彼らは人間的に幼稚で、自身の人格的欠落や劣等感を埋めるために、エホバの証人というカルトに逃げた人がほとんど。

1世信者のコンプレックスを埋めるために利用されてきたのが、ものみの塔が用意した特権というエサ。この特権は様々で、衆人の前で講演したり、インタビューされたり、教団内の役職を得たり。

この特権を追い求めると、聖書的生き方や真理などは二の次、特権第一となる。特権=神の是認とこじつけられているので、たちが悪い。

驚くべきことに、この特権に実利は全くない。

面倒くさい講演をした後に、拍手を浴びたり、教団内の身内同士で「素晴らしい講演でした!」と褒め合ったりするという気持ちの悪さだけ。

教団内の役職をいくらあげようが、給料が貰えるわけではない。ほとんど無償。一部、手当が出るような階層もあるのだが、スズメの涙。下に抱える人数の多さや奪われる時間で比べれば、一般企業の比較にならない。

最上層まで駆け上がって権力を完全に掌握すれば、やりたい放題の酒池肉林生活が待ってはいそう。しかし、そこに上がるまでに、上層部に媚び媚び、権力闘争に打ち勝ち、そんな不毛な努力をしている間に、まともな人間なら自己嫌悪に陥るはず。

そこまでして贅沢生活をしたいのなら、一般社会で真っ当な努力を積み重ねた方が確実。この件は、ものみの塔協会二代目会長ラザフォードの生涯から学ぶ人生の意義にて。つまり、

エホバの証人の特権に物質的な価値はゼロ。元々の人格的欠損を埋め合わせるための中毒物質。一旦、わずかでも特権を得た人々は特権中毒になる。エホバの証人の特権を追い求める不毛さに全く気がつかない。特権を死守するために、人生をムダにするようになる

聖書に「特権」というワードは出てこない

“エホバの証人の特権体質、特権崇拝。実利のない中毒性のある猛毒” の続きを読む


「秩序」より「取り決め」のものみの塔体質、強制「奉仕報告」

「取り決め」体質のエホバの証人

「秩序」より「取り決め」体質

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の6章「ものみの塔協会の体質と新世界訳聖書」から。「取り決め偏重の体質」の項目。

エホバの証人、ものみの塔組織では、「取り決め」が多い。こうなると、私みたいないい加減な人間は堅苦しくて仕方がない。子どもの頃から、この「取り決め」体質がうんざりだった。

「取り決め」の元となる教理も堅苦しくて、信者の実生活や精神に害をもたらす。代表的なのが「輸血拒否」で、命まで亡くした信者も多々。まさにカルト。

本項では、ものみの塔の取り決め偏重姿勢が、ものみの塔が翻訳した新世界訳聖書の解釈と紐づけられて解説されている。

大概の聖書が「秩序」「order」と翻訳しているところを、なぜか新世界訳では「取り決め」「arrangement」と訳している。コリント第一14:40

組織上の権限を持つ者が「秩序正しくやりましょう」と言うのと、「取り決めに従ってください」と言うのでは雲泥の差

信者を統制しやすいように、聖書を都合よく解釈しているのが、ものみの塔の新世界訳聖書。

この翻訳は、ものみの塔の次のような独善的な行動指針に基づいたモノ。

聖書の教えが先ではなく、組織の取り決めが先になるという現象である。 組織の方針が先に決まっていて、まず必要な取り決めを造る。そして、その取り決めを正当化できるような聖句を、聖書の中から捜してくるというやり方※咲き⇒先に訂正

そして、その聖句は独自のご都合解釈がなされている。「秩序」より「取り決め」の解釈。

ものみの塔が存在を主張する悪魔サタンがいない根拠

ものみの塔にとってだけの都合の”良い便り”

エホバの証人の伝道者とは?奉仕報告とは?

“「秩序」より「取り決め」のものみの塔体質、強制「奉仕報告」” の続きを読む


統治体絶対視、組織盲従、偶像崇拝と組織・人間崇拝というエホバの証人の罪

エホバの証人の偶像、ものみの塔崇拝

ものみの塔崇拝という罪を犯すエホバの証人

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の6章「ものみの塔協会の体質と新世界訳聖書

エホバの証人の罪は、ものみの塔という偶像崇拝、組織崇拝。

私は、偶像崇拝しようが組織崇拝しようが、罪だとは思っていないのだが、エホバの証人は違う。エホバの証人は神以外に信仰を持たないように、敬意を示さないようにという教理のもと、偶像崇拝は禁止。当然、神以外の何らかの組織を崇拝することも罪。

ところが、いつどこですり替わったのか、エホバの証人はものみの塔という偶像を崇拝し、ものみの塔聖書冊子協会という組織を崇拝している。さらに行きすぎて、統治体という人間集団を崇拝する本末転倒ぶり。

その

組織の氾濫、組織一色

というものみの塔の体質について、本資料では、エホバの証人の使う新世界訳聖書の翻訳から考察されている。

信仰の対象は、エホバの証人であれば、どこまで行っても神エホバ、譲歩してもキリストまでの信仰であるべき。ところが、ものみの塔は神でなく人間に信仰を置くように誘導している。

神の軽視。ものみの塔の幹部連中は、神の存在など端から信じていないのだろう。だからこうして軽々しく神権を侵犯できる。特権・物質主義者。神の名を借りる蛇。

エホバの証人と十字架~ものみの塔という偶像

エホバの証人の犯すものみの塔崇拝という罪

モーセを信仰するエホバの証人

“統治体絶対視、組織盲従、偶像崇拝と組織・人間崇拝というエホバの証人の罪” の続きを読む


解釈困難な聖書の真実が明らかになる方法とは・・・

聖書の真実が明らかになる日は・・・

自ら輸血が必要な状況を招いているエホバの証人

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『欠陥翻訳ー新世界訳』より。昨日の記事でエホバの証人の壮大な人体実験が導き出したキリスト教の普遍的真理について書いた。

ほぼすべてのエホバの証人が病んでいる。脳内お花畑の信者でも身体を病んでいたり。

また、「輸血拒否、輸血拒否しなきゃ」と輸血拒否カードを携帯してまで念じているので、逆に輸血が必要な病状を引き寄せる。

身近な人で輸血が必要になったという話を、エホバの証人以外から聞いたことがない。「輸血ガー」と言って、病院で困っているエホバの証人の話はよく聞く。あげくの果てに輸血拒否して亡くなったり。

私も子どもの頃その一人だった。輸血拒否をイメージすることで輸血が必要な状況を自ら招いている。何たる不幸。

エホバの証人の抜群の不幸さは、エホバの証人教理の非真理を証明する。エホバの証人の教理が非真理であれば、キリスト教の聖書の解釈の方向性が見えてくる。非真理確定のエホバの証人の逆が正しい。神は三位一体として存在し、神の名はエホバでないし、輸血したってなんの問題もない。目の前の命を大切にするほうが大事。

昨日は、このように乱暴な方法でキリスト教の普遍的方向を定義したわけだが、本資料では聖書解釈において

絶対的な基準が確立される、あるいは明らかになる道が残っている

と書かれている。

解釈の困難な聖書の真実が明らかになる方法とは

“解釈困難な聖書の真実が明らかになる方法とは・・・” の続きを読む