エホバの証人の組織至上主義モード
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『ものみの塔の終焉』の5章『神の組織、サタンの組織』から。
本章前半部分で、エホバの証人のものみの塔崇拝について指摘されている。
神の組織、神の組織とあまりに強調されるので、すでに強迫観念になっている人もいる。組織の否認は神の否認、組織の是認は神の是認である。こうなると組織は神そのものになる。
エホバの証人にとって、組織イコール神、組織大なり神。エホバの証人が向いているのは神の方向でなく、組織の方向。エホバの証人は組織崇拝者。
聖書に書いてあることと、ものみの塔の言っていることの一致など全く見られない。すべてものみの塔都合の解釈が入っている。そこに他の解釈の余地が全く許されないのはなぜか?ものみの塔だけが真理である根拠は?
エホバの証人が、こんな簡単な矛盾に気付けずに人生を棒に振るのは
真剣な人ほど「好意的でないものは皆サタン」と本気で信じてしまう
から。
自身もものみの塔に対して好意的でないとサタン化してしまう恐れがある。そのため、組織至上主義の立場を取り続けるしかない。でないと組織から追い出されるから。それをサタン化だと思い込んでいる。
こうして、エホバの証人はものみの塔の言うことは絶対モードに入ってしまう。思考停止状態。
ものみの塔の存在の無根拠
神の組織とは何か?本資料では
「神の取り決めに従う構成体」
と定義している。ものみの塔がこれに該当するかというと、そんなことはない。勝手に自称しているだけ。
キリスト教信者の立場からすれば、神の取り決めは聖書だけ。他は人間の解釈が混じる。
「ものみの塔協会を作るようにという神の取り決めは聖書のどこに記されていますか」と問われたら、おそらく返答に窮するであろう。神の組織の条件を別に定めて、それにかなっているから神の組織であるという言い方しかできないから
「ものみの塔協会を作れ」とは聖書のどこにも書いていない。「ものみの塔」なんて、聖書の一部分にポツンと出てくる、しょーもない一単語。そんなものに神が権威を与えている、神の組織だと思える神経を疑う。
聖書に端を発した、大小数多のキリスト教系宗教団体、どれが神の組織かなどと判断しようがない。エホバの証人は「ものみの塔」だけが神の組織だと信じ切っている。
ところが、どの宗教団体も「我々こそ神の組織です」と宣う。そりゃそうだ。「私たちはカルト教団です。近づくとヤケドしますよ」と自分じゃ言わない。ものみの塔も他の宗教団体と一切変わらない。
エホバの証人が組織至上主義の信じるモードで他の宗教に入ったら、どの新興宗教カルトでも「神の組織」に思えてくる。それだけエホバの証人は思考停止、組織の言うことは絶対!のモードに突入している。
ものみの塔は、他宗教を攻撃する排他性があり、謙遜さが欠如している。その分余計に「ものみの塔」はキリスト教系新興宗教の中で、「神の組織」からは程遠い部類。まぁ超絶危険カルトなので当然。
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