安倍元首相銃撃事件から考える、宗教2世被害者の復讐

元エホバの証人(JW)2世、もう一人の自分が起こした事件

安倍元総理が銃撃された事件。容疑者が特定の宗教団体に恨みがあったと供述していることで様々な憶測を呼んでいる。

容疑者が宗教2世であったという仮定で話を進める。

私も同じ境遇で、ものみの塔協会=エホバの証人(JW)という宗教の2世信者だった。このカルトのせいで家族は崩壊、私の子供時代は宗教を強要された悲惨なものだった。

今回の事件の容疑者は、私とほぼ同じ年齢。背格好も似ていて、取り押さえられる瞬間の映像を見ていると、まるでもう一人の自分を見ているような気すらしてくる。

宗教を恨み、世間をひがみ、世界を呪っていた頃。あのままの私だった場合。そのまま20年という時がたち、孤独と憎しみに満ちた人生に行き詰まったら。失うもののない、持たざる人間の恨みの発散。

私は、たまたま新しい家族に恵まれ、何とか社会復帰をしたものの、そうではない野垂れ死に上等という生き方を続けたまま、人生の後半に差し掛かろうとしていたら。

JWは政治とは結びつかない建前なので、特定の政治家の票田にも金づるにもならない。憤懣やる方ない感情の発散先は、今回の容疑者のように政治家には向かず、宗教そのものへ向かう。

近所のJWの王国会館という集会所や日本の支部本部がその矛先に。

もう一人の自分の可能性を見て、ゾっとするのと同時に涙が出そうなほどに容疑者の生涯に悲しみを覚えた。

宗教2世被害者が、宗教に対して復讐する方法

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子どもの命を差し出すものみの塔狂信者、エホバの証人

まるで死神の如く、病院に集まるエホバの証人

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』を読了。

出血多量の重症で病院に運ばれたエホバの証人の少年。信者の両親がエホバの証人の信条により輸血を拒否。輸血すべきか否かの狭間で悩む父親に対し、病院に駆け付けた信者がこう言う。「第十一章 説得」より。

あなたの意思にお任せします。自分でお決めになって下さい。それが信仰というものなんです。そうやって強くなっていくんです

強くなっていくというより、マインドコントロールを深め、無自覚、無感覚になっていく。親・大人・保護者としての自覚を失い組織の言いなりになる。子を失う痛みすら薄れていく。

エホバの証人たちは、「輸血を拒否して子供を死なすか否かは自分で決めろ」と言いつつ、大挙して病院に押しかけプレッシャーをかける。輸血をすれば、戒律違反になると。そして、組織の掟を破ればどうなるか分かっているなという無言の圧力。

そうしてエホバの証人の少年は亡くなった。

エホバの証人の信者たちが病院に駆け付けているのは、無論心配して、何らかの助けにならんとして。さらに、無輸血対応する病院への転院という目的も。

しかし、本事件の結果から鑑みると、エホバの証人たちは第一の目的として輸血を拒否させるために病院に駆け付けることになった。

エホバの証人が輸血が必要な状態になると、輸血を拒否して命を落とさせるために、信者たちがわらわらと病院に集まってくる。まるで死神。

親であって親ではないエホバの証人(JW)、親のような者

子供の命を差し出す狂信者、エホバの証人

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ものみの塔、自殺者が復活しちゃうかも知れない設定の闇

ものみの塔、罪深い自殺者の復活匂わし

エホバの証人(JW)の教義で異常な点。自殺者にも復活の希望があるように匂わしていること。そもそも人間は復活などしないのだが・・・信者たちは復活を信じちゃってるので、これを言っても仕方がない。

私が子供の頃、エホバの証人を強制されていて、そのときは自殺は重罪で復活などしないという設定だった気がする。ところがネットで検索してみると1990年くらいの教団資料では、自殺者の復活の是非は神が決めることという設定に切り替わっている。

繰り返しになるが、自殺者だろうとなんだろうと人類は復活などしない。よってものみの塔の設定した創作話など、どうでも良い。しかし、現役信者、そして信者予備群で自殺者が身近にいる人々にとっては大きな問題。

彼らが帰ってくるかも知れない、再会できるかも知れない。きっと再会できる。復活する!と思い込んでしまう。そしてせっせと不毛なエホバの証人活動に打ち込むことになる。

人の弱みをついて、信者を増やす、信者をつなぎとめるための自殺者も復活するかも知れない設定を創作。これは罪深いよ。そもそも人間はだれ一人復活なんかしないっての。

墓がない日本のエホバの証人は復活しない

自殺者の復活教義は、何もかもを冒涜するもの

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エホバの証人に煽られる嫉妬心、実は羨ましくも何ともない神権家族

エホバの証人に刺激される嫉妬心

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』、「第十章 道」より。

家族を持ちながらも感じる孤独、日本でエホバの証人が拡大した20世紀の専業主婦女性特有の孤独、もしくは単なる人類共通の孤独。そういった孤独を安易に埋めようとするとエホバの証人に騙される。ここまでが昨日の記事の内容。

その後、刺激されるのが嫉妬という感情。

集会に行くと、前の方に必ず、一家揃って”神権家族”が座っている。そのなごやかな雰囲気と、希望に満ちた表情

たまらなく羨ましかった。いつか自分たちもああなりたい。あの幸せな絵の中の一人になりたい。

彼らは、幸福の象徴だった。

“神権家族”というのは、一家揃ってエホバの証人という家族のこと。エホバの証人の毒牙にかかった後、神権家族を羨むようになったとき。こうなったときには、嫉妬という醜い感情を鷲掴みにされた後。既に手遅れなのかも知れない。

嫉妬心が湧く前に、冷静に、ものごとを多面的に見られれば。

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元エホバの証人2世(JW2世)の内的問題と外的問題

内なるエホバの証人問題

昨日の記事でエホバの証人を20年間完全シャットアウトしていたと書いた。完全シャットアウト時代を経て、なぜあえて反JW活動に舞い戻ったのか?

JWを完全シャットアウトし続けるのは何かが違うと思ったから。

いったい何が違うのか?

それは自分のJW問題が根本的に解決していないということ。

内なる問題はほぼ解決。というか元々そんなに問題は抱えていなかった。理由は私の両親がいわゆる条件付きの愛の持ち主ではなかったから。両親はガチガチのエホバの証人だったが、私がエホバの証人をやめても親子の愛は残った。

エホバの証人はエホバの証人だけを愛するようにマインドコントロールされている。エホバの証人であればという条件付きの愛。

私としては14才でエホバの証人をやめたら親子の縁切り、中卒で路頭に迷い野垂れ死にするつもりだった。エホバの証人で居続ける恐怖、屈辱に比べれば、まさに地上の楽園。

ところが、親は私を手放さず、高等教育を受けさせてくれるというものだから、それに甘えることにした。そして、両親もエホバの証人を離脱。

両親には酷い目に合わされたとは思うけれど、今の私の自己肯定感の高さは親に捨てられなかった、最後の最後で両親が無条件の愛を示したということに依っている。

子供はこの辺りの感覚は鋭敏で、幼い私も親の愛が無条件であると無意識化では認識していたのかも知れない。それも現在の私の自己肯定感の糧となっている。しかし、その無意識化の皮算用が裏切られたとき、子供たちの負う傷は深い。

今でもJWだった頃の苦行を夢に見ることもあるけれど、これが生きにくさの原因になっていることはない。今のところは。

最近、JWだった過去を積極的に掘り起こしているが、それも悪影響でなく、あのとき子供だった自分がして欲しかったこと、出来なかったことなどが整理されていく、どちらかと言えば好循環。

エホバの証人と私、外なる問題

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脱JW・元JW(エホバの証人)・脱会予備群に対するタカ派意見

脱エホバの証人に対するタカ派意見

JW(エホバの証人)関連のSNSなどで、「いつまでもJW引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」的なタカ派意見を目にすることがある。自分もかつてほとんど同じ考えだった。私がJWをやめてから20年間くらい。

私はJWをやめたあとは全力で遊び、仕事に打ち込んだ。JW的なものは生活のすべてから完全シャットアウト。飛び込んでくる自宅への伝道者も、ドアを開けた瞬間に彼らと分かればドアを閉じた。

そうして過ごした20年。タカ派と少し違うのは、JWとかエホバの証人と口にすらしなかった点。つまり、「いつまでもJW引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」と思っていたけど、一切口にはしなかった。

完全なる一般人として過ごしていたので、「エホバの証人」と言ったところで誰にも通じなかっただろうし、周囲にエホバの証人関係者が皆無だった。そうなるように自身の周辺環境をデザインした。

エホバの証人という禁断のワードを持ち出したのは、エホバの証人の「残りの者」の人数をネットで調べようと検索したとき。ちなみにこのときに私の洗脳が解除された。

もう一度は現在の妻と付き合うとき。マジメに付き合うなら、さすがに自分の出自を明かすべきかと考え、エホバの証人2世という過去をカミングアウトした。

エホバの証人を完全シャットアウトした20年。その間、エホバの証人と発声したりキーボードに打ち込んだのは、たったのこの2回。今だと「え」の予測変換で「エホバの証人」と出てくるので、1日に100回近く打ち込んでいる気もする。現役時代にもない熱心さ。

エホバによって引き裂かれた自我、その再統合のための反エホバ

元エホバの証人2世の宗教観、妄信と暴走の果ての信念

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エホバの証人(JW)の少年、罪の贖いのために流れた血

エホバの証人11才、初「割り当て」の前に

私の初「割り当て」の晩に流れた贖いの血。

エホバの証人の割り当てとは?

割り当てが贖いを必要とする理由とは?

11才の少年の日々。砂山で遊んで砂だらけになった私は家に帰る。しかし今日はエホバの証人の集会の日、しかも初の割り当て。砂だらけになるまで遊べば、両親に怒られるのは目に見えている。

とはいえ、これが子供ながらの私のバランスの取り方だった。エホバの証人の子、カルトの子として窮屈極まりない日々。学校でも恥ずかしい思いと苦労のオンパレード。

そして、その日の晩はやりたくもない初の割り当て。数十人の信者の前で自作の宗教話をしなければならない。その前に、一旦無心で遊んで心身をリセットしたのだった。

この息抜き方法が限界に迫った数年後、私は人生そのものを終わらすか、エホバの証人をやめるかの選択を迫られる。

とりあえずその日は、親に怒られる前に砂だらけの服を払い、エホバの証人の集会に出かける服装に着替える。

そこで思い出したのは砂だらけになった靴。割り当てのために上がる壇上へ、砂を引きながら向かうわけにもいかない。靴の中の大量の砂を出すことにした。

エホバの証人の初割り当てという罪の贖いのために流れた血

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エホバの証人の子ども、初「割り当て」の日に流れる贖いの血

エホバの証人の子どもの初「割り当て」の持つ意味とは

昨日の記事で、エホバの証人の子供にとって初めての「割り当て」が大きな意味を持つと書いた。その意味とは?

エホバの証人の割り当てとは?昨日の記事にて。

ズバリ、罪。

人前でカルトの講演を行うという罪。しかも、自分で入念に考え丹念に練習して臨む場。巧みな話術で人々をたぶらかす悪の所業。

本人には罪の意識などない。だからといってカルト講話が敬虔な行いに転化されるわけなどなく、罪は罪。

子どもの5分程度の幼稚な小噺など、誰もマジメに聴きはしない。それでも、子どもの真摯なひたむきな姿に心を動かされた人がいたら。今どきそんな純粋な人はいないのかも知れないが、私の子どもの頃は、そんなふうにしてエホバの証人になった信者がゴロゴロいた。カルトの広告塔としての罪。

壇上の少年が自分の子どもと似たような年齢で強く感情移入してしまったり、元々感情が動かされやすいタイプだったり。既にカルトの集会所に来ている時点で予備群ではある。騙される素養満点。

子どもが必死に割り当てを果たす姿に、心を動かされる大人。

他人の人生を狂わす罪。

エホバの証人の子どもにとって、初めての割り当ては、罪深い道への第一歩。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

エホバの証人の子ども、初割り当ての日に流れる贖いの血

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邪(よこしま)な人間が生み出した禍々しいエホバ、人違いの神様

元JW、自分の判断を正せないのは危険

昨日の記事で書いたカルトから完全脱却できていない元JW氏のブログ。ブログ主は、自分は常に正しい。自分だけは判断を誤らない。自分が最も賢いと思っている。ゆえにカルトの餌食になる。隙だらけなので。

エホバの証人内でも浮くパターンの人。私の子供の頃にも、似たようなエホバの証人の信者がいた。頭が良いのか悪いのか、それとも単にこだわりが強いのか、しかも枝葉末節に。そして、人の意見を全く聞き入れない。

エホバの証人に染まらず、逆にスゲー奴かなと思ったこともあったけど。それならば最初っからエホバの証人に一切関わらないのが、正解。

結局、居場所を必要としていて、その性格ゆえになかなか世間じゃ認められないものだから、来るもの拒まずのエホバの証人組織に流れ着いた。

そして、自分の選択だけは常に正しいと盲信しているので、エホバの証人に関わったのが過ちとは思えない。悪いのはエホバの証人組織内の人間なんだとなる。

汚れた人間が禍々しいエホバを生みだした

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元エホバの証人2世の宗教観、妄信と暴走の果ての信念

反エホバという宗教観による暴走

昨日までの記事で、反エホバは私にとって宗教だと書いた。この反カルト思考はもはやカルト。同じ穴のムジナ。毒を以て毒を制す状態。自分でも危うい妄信・暴走の観もある。

とはいえ、エホバの証人組織=バッドだけはまかり間違えようのない真理。濃淡こそあれ方向性は正しい。

エホバの証人2世の私、かつて10代の頃の自我の芽生えと分裂の危機を救ったのは、この反エホバ思想。反ものみの塔思考が10代後半の私の自我を再統一した。

この固い信念で私は突っ走る。エホバが創造主だろうが何だろうが関係ない。一瞬を、刹那を全力で生きるオレの邪魔をするなと。

ものみの塔の洗脳下にあった私は、終末ハルマゲドンの勃発を信じていたので、刹那具合はさらにマシマシ。20才まで生きられるのかは不明、童貞のまま神に滅ぼされてなるものかとひたすらに励んだ。

元エホバの証人2世の宗教観

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