ものみの塔の飼い犬エホバの証人、人間の尊厳を損なわせる特権

エホバの証人は組織の犬

北海道広島会衆のエホバの証人集団排斥事件の資料を読んでいる。

資料へのリンクはエホバの証人 – STOPOVER(途中下車)

資料内で、宣教者で巡回監督、地域監督という立場ある信者が公的な場で話した言葉として下記が挙げられている。

「イヌは餌で訓練するのが一番です。そうすると進歩するでしょう。同じように兄弟たちも特権で訓練するのが最善の方法です。だから兄弟たちも特権を目指しなさい。」

キリストがこのような仕方で弟子たちを励ます姿はちょっと想像しにくく思いますが、この意識でゆくと、兄弟たちはイヌ、特権はエサ、そして組織はそのエサを与える主人ということになり、組織の犬になればなるほど特権への道は近い

エホバの証人は組織の犬ということ。欲しくて欲しくてたまらない特権はエサに過ぎない。しかも腹は一切満たされず、自信の欠落した感情を埋めるだけ。誰にも認められないという感情。

ものみの塔は、こうした負の感情を抱く人々をエサで釣り、利用している。このエサには中毒性があって、いったん蝕むと病みつきになる。こうなると真理とか楽園とか神の愛とかは二の次になる。

特権第一。エホバの証人組織内で認められること第一。人生の意義を見失う。

エホバの証人にしか認められない人生って寒い。激サム。無意味。誰にも相手にされないからカルトに現実逃避しただけ。

エホバの証人2世が特権より欲しかったもの

エホバの証人でも簡単に得られる他者の承認

実は誰かに認められたり、愛されたりという承認欲求を充たすのは簡単。もともと誰にも認められず、自身の価値を見出せなかったのは、世間の役に立つことをしていないから。

役に立てばいいだけ。そうすればエホバの証人でない人もあなたを認めてくれる。役に立つといってもいろいろある。

例えば、一人暮らしでないなら玄関の靴を並べてみる。家の前の掃き掃除をする。マンション住みなら公共部分の掃き掃除をする。駅前のゴミを拾う。こんな簡単ことでいい。これを365日続けてみる。

すると必ず誰かに感謝される。家族だったり、隣家の人だったり、駅前でいつもバスを待っている人だったり。心からの感謝。あなたが「エホバの証人ならば」という限定条件なしで。エホバの証人の特権など必要ない。人に認められるのは実はとても簡単。

これが出来そうだと思うのなら、仕事も同じ。単調な業務だろうが、頭を使う仕事だろうが同じ。ひたすら目の前の仕事に取り組む。それは必ず感謝される。しかも、感謝の対価として現金付き。無給のエホバの証人の特権とは大違い。

エホバの証人の特権とは、何の得にもならない代わりに、人間の尊厳を損なわせ犬へと貶める侮辱に他ならない。


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