エホバの証人の特別集会、カルトの狂気がにじみ出る動画

エホバの証人の特別集会

わざわざ日本にやってくる外国のエホバの証人

2024/4/6-4/7のエホバの証人の特別集会。

2つ目のプログラムは、日本やエホバの証人日本支部が関係している国の布教活動について。

最初に、わざわざ海外から日本にエホバの証人の宣教でやってきた信者のインタビュー。

この人たち、本気でエホバとか信じているんだね。正気か?この情報社会でそんな情報弱者がいるとは、気が遠くなりそう。人生そのモノを無駄にして、海外にカルトの布教にやってくる。常軌を逸している。

お次は、日本支部に異動してきた外国人信者へのインタビュー。

組織内では花形扱いなのだが、こういう奴を引っぱってきてインタビューして、自己満足させるってのが極めて俗人的。ここに信者は気付かないのか?アイドルとかに熱中するのと何ら変わらない。ほとんど人間崇拝。

カルトがカルトらしくなるために、アクセルを踏み込んだエホバの証人

日本のカルト信者たち

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エホバの証人、マタイ23章のキリストの警告そのままに。

ラビと呼ばれたい、エホバの証人、

特権大好きエホバの証人、キリストの警告そのままに

昨日の記事の続き。マタイ23章のキリストの苦言をエホバの証人に適用中。エホバの証人仕様の新世界訳聖書にて。

6-7節

夕食会では最も目立つ場所を,会堂では最も良い座席を好み,広場であいさつされることや,ラビと呼ばれることを好みます

エホバの証人の巡回監督や訪問講演者は食事に招待される。招待されているので、当然といえは当然だが一番良い席に当然のように座る。また、そういった人が講演を行った後には、ねぎらいやおべっか、握手を求める列ができる。

そもそも、

巡回「監督」、「統治」体ってのが、偉そうな思い上がり。エホバの証人の特権主義。ラビと呼ばれることを好んでいる。

8節で、キリスト自身が

しかしあなたたちは,ラビと呼ばれてはなりません。あなたたちの先生はただひとりであり,あなたたちは皆,兄弟だからです

って言ってるんだけどね。

10節でもう一度釘を指している。

指導者と呼ばれてもなりません。あなたたちの指導者はキリストひとりだからです

これは、自分で自分が唯一の指導者だと言ってるんだから、キリストも十分に傲慢。

しかし、エホバの証人の統治体の傲慢はキリストを超える。指導でなく、統治しちゃってるからね。

キリストが「ラビ、指導者ずらするな」と、くどいほどに言っている。キリストの威を借りて、自己顕示欲を満たそうとする奴らが出現するのを、キリストも十分に予見していたのだろう。

まさに、そのキリストの予想通りに、エホバの証人は特権主義に陥っている。

エホバの証人の特権マスターベーション、トイレ掃除と同列の特権「伝道奉仕」

エホバの証人には災いがある

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エホバの証人の特権マスターベーション、トイレ掃除と同列の特権「伝道奉仕」

自分だけが気持ちいい、エホバの証人の特権マスターベーション

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『欠陥翻訳ー新世界訳』の第6章「特権体質」。昨日の記事に引き続き、エホバの証人の特権崇拝について考察。

本資料ではエホバの証人組織での「特権」というキーワードの使われ方が2つ提示されている。

1.快感神経を刺激するような使い方

2.少々屈折した使い方

1.の快感神経を刺激する特権という言葉の使い方は

「ラッセル兄弟と食事のテーブルを共に囲むという特権に与かりました」のような使い方。本資料には気持ち悪いくらいにこの使用例が出てくる。このような言い方が半ば癖のようになっている信者もいると、指摘されている。

教団内の重責者と一緒に食事をした、布教活動を行った、一緒に講演した、そういうことが特権だと自慢する使用法。これは、

特権がいかに快感神経を刺激するとは言え、気持ちいいのは言っている本人だけ。周囲にとってはただの自慢だし、信者でない私からすると「気持ち悪っ!」と感じざるを得ない。

現役信者のかたには、自分だけが気持ちいい特権マスターベーションはぜひ控えて頂きたい。本資料では、マジメに人物崇拝、特権誇示の危険性を次のように警告している。

特定の人物と特権意識が結びつくとすれば、それは人物崇拝になりかね ない。「教祖様の御顔を拝する光栄に浴しました」というのと、「ものみの塔協会の会長ノア兄弟と交わる特権に与りました」というのは、それほど大きな違いはない

あるいは、そういう言い方をすることによって自分の立場や組織を誇示しているのであれば、真のキリスト教とはまったく無縁の世界

この俗っぽさ、人物崇拝こそがエホバの証人の本質。

本当は「やりたくない」特権

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エホバの証人の特権体質、特権崇拝。実利のない中毒性のある猛毒

エホバの証人の「特権」聖書、新世界訳

エホバの証人の特権体質という中毒症状

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『欠陥翻訳ー新世界訳』の第6章「特権体質」の項目。エホバの証人の特権崇拝について考察されている。

私のように親に強制された2世信者ではない、1世の信者。彼らは人間的に幼稚で、自身の人格的欠落や劣等感を埋めるために、エホバの証人というカルトに逃げた人がほとんど。

1世信者のコンプレックスを埋めるために利用されてきたのが、ものみの塔が用意した特権というエサ。この特権は様々で、衆人の前で講演したり、インタビューされたり、教団内の役職を得たり。

この特権を追い求めると、聖書的生き方や真理などは二の次、特権第一となる。特権=神の是認とこじつけられているので、たちが悪い。

驚くべきことに、この特権に実利は全くない。

面倒くさい講演をした後に、拍手を浴びたり、教団内の身内同士で「素晴らしい講演でした!」と褒め合ったりするという気持ちの悪さだけ。

教団内の役職をいくらあげようが、給料が貰えるわけではない。ほとんど無償。一部、手当が出るような階層もあるのだが、スズメの涙。下に抱える人数の多さや奪われる時間で比べれば、一般企業の比較にならない。

最上層まで駆け上がって権力を完全に掌握すれば、やりたい放題の酒池肉林生活が待ってはいそう。しかし、そこに上がるまでに、上層部に媚び媚び、権力闘争に打ち勝ち、そんな不毛な努力をしている間に、まともな人間なら自己嫌悪に陥るはず。

そこまでして贅沢生活をしたいのなら、一般社会で真っ当な努力を積み重ねた方が確実。この件は、ものみの塔協会二代目会長ラザフォードの生涯から学ぶ人生の意義にて。つまり、

エホバの証人の特権に物質的な価値はゼロ。元々の人格的欠損を埋め合わせるための中毒物質。一旦、わずかでも特権を得た人々は特権中毒になる。エホバの証人の特権を追い求める不毛さに全く気がつかない。特権を死守するために、人生をムダにするようになる

聖書に「特権」というワードは出てこない

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エホバの証人特権チキンレースからの脱出、今が一番最小被害

エホバの証人の特権チキンレース

エホバ、ハルマゲドンという呪文

北海道のエホバの証人広島会衆の大量排斥事件の資料『事件簿』。

資料へのリンクは、エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)

読み終えたので、後半部分で考えさせられたことを何点か。

特権に通じる数字論理、もてなし、感謝、励ましという接待論理がそれを支え、育んでいます

それというのは実体Baal、つまり『ものみの塔』という偶像のこと。

「組織」という名のConcept Baalはそこから力を得、同時にそうした状況を強化してゆき、すべてはエホバの業、エホバの祝福であると思い込ませてしまいます。何とも巧妙なからくりです。そして内部が醜くなればなるほど“あの白き壁”“象牙の塔”のごとく、べテルを豪華に飾り立て、誉め言葉、賛辞で組織を飾ることになるでしょう。また「救い」「滅び」という呪文で人々を脅してゆく

これだけで、ものみの塔のすべてを表している。『あの白き壁、象牙の塔』というのが何を指すのか、ちょっと不明なのだが、ベテルという実在の建物とその内実の空虚・虚偽を示唆しているのかと思われる。

ものみの塔は、特権でエホバの証人を釣り、活動させ、力を増す。力は信者数。「信者の増幅が神の祝福だ」という妄想が、さらに特権欲を煽り、信者はすべてを投げ出し、象牙の塔が力を増す。この巧妙に仕組まれた悪循環によって、ものみの塔が世界にはびこった。そして、

特権という”エサ”だけでなく、「救い」と対になる「滅び」という”罰”でエホバの証人を調教する。「エホバ」「ハルマゲドン」というワードはまさに呪いの言葉、呪文というに”ふさわしい”。

エホバの証人特権チキンレースからの脱出、今が一番最小被害

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ものみの塔の飼い犬エホバの証人、人間の尊厳を損なわせる特権

ものみの塔の特権犬、エホバの証人

エホバの証人は組織の犬

北海道広島会衆のエホバの証人集団排斥事件の資料を読んでいる。

資料へのリンクは、エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)

資料内で、宣教者で巡回監督、地域監督という立場の信者の、公的な場での発言として下記が挙げられている。

「イヌは餌で訓練するのが一番です。そうすると進歩するでしょう。同じように兄弟たちも特権で訓練するのが最善の方法です。だから兄弟たちも特権を目指しなさい。」

キリストがこのような仕方で弟子たちを励ます姿はちょっと想像しにくく思いますが、この意識でゆくと、兄弟たちはイヌ、特権はエサ、そして組織はそのエサを与える主人ということになり、組織の犬になればなるほど特権への道は近い

エホバの証人は組織の犬ということ。欲しくて欲しくてたまらない特権はエサに過ぎない。しかも腹は一切満たされず、欠落した自尊心を埋めるだけ。

ものみの塔は、こうした負の感情を抱く人々をエサで釣り、利用している。このエサには中毒性があって、いったん喰らうと病みつきになる。こうなると、真理とか楽園とか神の愛とかは二の次になる。

特権第一。教団内で認められること第一。そうして、人生の意義を見失う。

エホバの証人にしか認められない人生って寒い。激サム。無意味。

エホバの証人2世が特権より欲しかったもの

エホバの証人でも簡単に得られる他者の承認

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