エホバ、ハルマゲドンという呪文
北海道のエホバの証人広島会衆の大量排斥事件の資料『事件簿』。
資料へのリンクは、エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)
読み終えたので、後半部分で考えさせられたことを何点か。
特権に通じる数字論理、もてなし、感謝、励ましという接待論理がそれを支え、育んでいます
それというのは実体Baal、つまり『ものみの塔』という偶像のこと。
「組織」という名のConcept Baalはそこから力を得、同時にそうした状況を強化してゆき、すべてはエホバの業、エホバの祝福であると思い込ませてしまいます。何とも巧妙なからくりです。そして内部が醜くなればなるほど“あの白き壁”“象牙の塔”のごとく、べテルを豪華に飾り立て、誉め言葉、賛辞で組織を飾ることになるでしょう。また「救い」「滅び」という呪文で人々を脅してゆく
これだけで、ものみの塔のすべてを表している。『あの白き壁、象牙の塔』というのが何を指すのか、ちょっと不明なのだが、ベテルという実在の建物とその内実の空虚・虚偽を示唆しているのかと思われる。
ものみの塔は、特権でエホバの証人を釣り、活動させ、力を増す。力は信者数。「信者の増幅が神の祝福だ」という妄想が、さらに特権欲を煽り、信者はすべてを投げ出し、象牙の塔が力を増す。この巧妙に仕組まれた悪循環によって、ものみの塔が世界にはびこった。そして、
特権という”エサ”だけでなく、「救い」と対になる「滅び」という”罰”でエホバの証人を調教する。「エホバ」「ハルマゲドン」というワードはまさに呪いの言葉、呪文というに”ふさわしい”。
エホバの証人特権チキンレースからの脱出、今が一番最小被害
バアル化現象はものみの塔協会に限らず、すべての宗教に付きまとう本質的な問題であろう。おそらく概念と実質的意味との関係を限りなくあいまいにした階層構造を作り上げ、それを巧みに利用して人を操るという点では、宗教以外の組織にも共通する一側面
この時点で、ようやく著者がものみの塔から顔を背けることができた。立ち位置が飛躍し、メタな視点からものみの塔を見ている。「別の宗教も一緒じゃね?」と。むしろ、ものみの塔のコンセプトは宗教だけに当てはまらないのではないかと。
正規開拓者と補助開拓者では、正規の方が偉い、特権大というのがエホバの証人の常識。概念はそうだが、実質はどうか?宣教者の方がもっと偉いはずなのだが、実質はどうか?
エホバの証人組織では、上に行けば行くほど乞食化している。巡回監督とか偉そうにしているけど、巡回して物乞いして、賄いを貰っているだけ。エホバの証人組織では、身を投げだせば投げ出すほど特権が増すチキンレース。
そのチキンレースの胴元がものみの塔協会。エホバの証人は巧妙にものみの塔に操られている。進めば進むほど引き返せなくなる。やっと得られた特権を失うのが怖いし、引き返そうにも世俗の価値あるモノすべてを捨て去ったあと、まさに泥沼。
エホバの証人をやめるのなら、早いに越したことはない。もはや取り返しがつかないと思えても、それでも今すぐエホバの証人をやめるべき。
なぜなら、これから先もエホバの証人を続けるとした場合、今が一番被害が小さいから。エホバの証人をやめるなら今しかない。
まて、得られた特権は一文にもならないうえに、毒でしかない。エホバの証人は、自らその毒を家族や他人に拡散している。悪事に加担している。そんな悪人であり続けたいのか?
世俗の世界に戻っても、今さら手遅れだと思うかも知れない。それならそれで仕方がない。諦めて苦汁をなめるべき。ゼロからでもマイナスからでもやり直すべき。「蒔いた種は刈り取れ」と聖書にも書いてある。
許されないのは、「今さら世俗に戻れないから」という自己中心的な理由で、ものみの塔という悪の力の増殖に加担し続けること。
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