エホバの証人の特権体質という中毒症状
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『欠陥翻訳ー新世界訳』の第6章「特権体質」の項目。エホバの証人の特権崇拝について考察されている。
私のように親に強制された2世信者ではない、1世の信者。彼らは人間的に幼稚で、自身の人格的欠落や劣等感を埋めるために、エホバの証人というカルトに逃げた人がほとんど。
1世信者のコンプレックスを埋めるために利用されてきたのが、ものみの塔が用意した特権というエサ。この特権は様々で、衆人の前で講演したり、インタビューされたり、教団内の役職を得たり。
この特権を追い求めると、聖書的生き方や真理などは二の次、特権第一となる。特権=神の是認とこじつけられているので、たちが悪い。
驚くべきことに、この特権に実利は全くない。
面倒くさい講演をした後に、拍手を浴びたり、教団内の身内同士で「素晴らしい講演でした!」と褒め合ったりするという気持ちの悪さだけ。
教団内の役職をいくらあげようが、給料が貰えるわけではない。ほとんど無償。一部、手当が出るような階層もあるのだが、スズメの涙。下に抱える人数の多さや奪われる時間で比べれば、一般企業の比較にならない。
最上層まで駆け上がって権力を完全に掌握すれば、やりたい放題の酒池肉林生活が待ってはいそう。しかし、そこに上がるまでに、上層部に媚び媚び、権力闘争に打ち勝ち、そんな不毛な努力をしている間に、まともな人間なら自己嫌悪に陥るはず。
そこまでして贅沢生活をしたいのなら、一般社会で真っ当な努力を積み重ねた方が確実。この件は、ものみの塔協会二代目会長ラザフォードの生涯から学ぶ人生の意義にて。つまり、
エホバの証人の特権に物質的な価値はゼロ。元々の人格的欠損を埋め合わせるための中毒物質。一旦、わずかでも特権を得た人々は特権中毒になる。エホバの証人の特権を追い求める不毛さに全く気がつかない。特権を死守するために、人生をムダにするようになる。
聖書に「特権」というワードは出てこない
本資料は、ものみの塔が翻訳した新世界訳聖書についての分析なので、特権と聖書の関連についても指摘されている。
新世界訳聖書に「特権」を登場させたのは、もちろん新世界訳翻訳委員会
聖書中にギリシャ語で「特権」に相当する言葉は出てこない。ものみの塔の王国行間逐語訳聖書にも「特権」は出てこない。特権大好きのものみの塔が、新世界訳聖書に紛れ込ませた。特権で信者を釣って、搾取するため。
大筋はこうなのだが、資料中不明瞭な部分がある。手元に新世界訳聖書があるわけでもないし、ホンモノの聖書も持っていないので検証不能なのだが、新世界訳聖書には、7回「特権」が出てくるらしい。
この7回全ての「特権」が、ものみの塔が恣意的に挿入したものなのか、この資料では書き方が不明瞭。ここはハッキリしない。
いずれにせよ、エホバの証人は無意味「特権」で人生を完璧なまでに損なっている。
※2024/8追記。実は手元に燃やす用に入手した2018年版新世界訳聖書がある。あるけども、燃やす用なのでビニールを被ったまま床に直置き放置。思い出したときに踏みつけている。なので、「特権」がどれほど不自然に混入されたのか検証はできていない。というか、この後もしないだろうな・・・。
“エホバの証人の特権体質、特権崇拝。実利のない中毒性のある猛毒” への1件の返信