上から下まで、モーセの座に座るエホバの証人
全く興味が無いのだが、戯れに聖書通読、マタイ23章。セレクトとしては良くないのだが、エホバの証人仕様の新世界訳聖書にて。
マタイ23章のキリストのお説教がそのまま、エホバの証人への指摘になっている。皮肉も込めて、エホバの証人仕様の新世界訳聖書にて。
2節
自分たちをモーセの地位に置いています
新世界訳の脚注によると、
または,「モーセの座に座っています」。思い上がって,神の律法の解釈者としてモーセの権威を持つと唱えているということ
これは、まさにエホバの証人の統治体のこと。聖書の予言を弄び、自分たちに都合の良いように解釈している。まさに思い上がっている。
書かれている事柄をロングロングジャンプ、エホバの証人の宗教統治者たち
エホバの証人の上層部が、自分を「モーセの座」に置いているのなら、その下のエホバの証人も同様。
監督職にある巡回監督や長老、自己基準を下の信者に押しつけている。これまた、思い上がっている。その結果、ハードな体罰が横行したり、集会への参加スタイル、つまり服装であったり、個人の事情を鑑みずに直接集会場への参加を推奨したりという、個別の規範が横行。
そして、末端信者も同様。聖書を独自に解釈して、自己弁護や現実逃避のための屁理屈をこねる。親は子どもに対して、聖書を飛び越えた独自の規範を適用し、体罰という暴力を振るう。研究司会者が研究生に対して、生活規範を押し付ける。
エホバの証人は、最上層の統治体から末端信者まで、思い上がって、聖書を独自解釈することで、自身をモーセの座に置いている。
続いて、3節。その思い上がった人たちの
行いに倣ってはなりません。その人たちは言いはしますが,実行しないからです
エホバの証人に倣うな。ということ。
口だけのエホバの証人に倣うな。ということ。
人には厳しいが、自分には甘いエホバの証人に倣うな。ということ。
許しの重要性を、自分自身や自分の組織にはガンガン適用するのに、他人には厳しく、他の宗教を「間違った宗教」と言うエホバの証人には倣うな。ということ。
4節。
重い荷をくくって人の肩に載せますが,自分ではそれを指で動かそうともしません
輸血拒否で死んだ信者。兵役を拒否して投獄されている信者。重すぎる荷を負っている。一方、世界本部の統治体や、各国支部の上層部は上納金でぬくぬくと生活している。
5節
行うことは全て,人に見せるためにしています
大会での経験談のインタビュー。信者のライフストーリー動画。苦労話は胸に閉まっておくモノでは。
明日に続けます。
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