エホバの証人の長老が暴力を振るう原因3つ

エホバの証人の長老の暴力

私はほとんど生まれながらのエホバの証人2世だった。両親ともに熱心なエホバの証人で、子供の頃から厳格にものみの塔協会の教義を押し付けられて成長した。さらに、私の父親はエホバの証人の会衆の長老だった。

会衆とはエホバの証人のコミュニティ単位のことで成員100名程度。長老はその中から数人が任命される。エホバの証人の支店長のようなものである。私の父親は、その長老の中でも「主宰監督」と言われる、会衆で一番の責任者だった。

私はその父親に何度か物を投げつけられたことがあった。小学生の高学年から中学生2年生で私がエホバの証人をやめるまでの頃の話である。

エホバの証人の通常のこらしめと呼ばれる体罰は、ケガをしないようにお尻をベルトや素手で叩く。これはものみの塔協会推奨の教育手段。しかし、子どもめがけて固い本や食器を投げつけるというのは常軌を逸している。

まさか本当にぶつけようとして投げてきた訳ではないとは思う。だが、私の顔の真横をかすめていった固い物体が、部屋の壁に大きな穴を開けたことがあった。私が避けずにいれば怪我は免れなかった。

エホバの証人の長老が暴力を振るう原因3つ

エホバの証人の長老が暴力を振るう原因は3つある。

  1. 中間管理職的な立場で精神を病みやすい
  2. 排斥という信者を村八分にする権限を持っている
  3. 体罰を推奨、実行している

父親が私めがけて物を投げつけてくるタイミング。それは私が父親の言うことに反抗したとき。まず、エホバの証人とは関係ない行事に参加したいと私が言い出す。地域の子供会などで行われるキャンプや日帰り旅行など。

父親はその参加を許さない。それに反抗すると、父親は力づくで解決しようとする。目の前にある固い辞書や木の器などを私の頭めがけて投げつけてくるのだ。

1.エホバの証人の長老は中間管理職的な立場で精神を病みやすい

この頃の父親の洗脳はほぼ末期状態だった。エホバの証人の会衆の長老、主宰監督として、会衆内の人間関係のもめ事を解決する立場にあった。

エホバの証人は人格や精神、体型、身体に問題を抱えた人が多い。そのコンプレックスを埋めるのが、神の是認を受ければ、ハルマゲドン後の楽園で完璧な肉体に生まれ変われるという幻想なのだ。

元々が問題人格の集まりであるエホバの証人の人間関係を統率するというのは楽ではない。長老だった父親の苦心はうかがえる。

長老はしょせんは中間管理職的な立場である。上納金を欠かさず納め、上層部の機嫌を損ねないようにしなければならない。でなければ長老を降ろされる。また、組織に反抗的な信者を出さないように会衆内に目を配らなければならない。

エホバの証人の長老は上下の人間関係の板挟みになり苦労する。こうして聡明だった父親までも精神を病んでいくことになった。

その出口が私に対する暴力だった。長老一家は模範的なエホバの証人でなければならないという強迫観念もあった。長老の息子がなぜ反抗的な態度をとるのかと怒り狂うのである。

2.エホバの証人の長老は排斥という信者を村八分にする権限を持っている

エホバの証人の長老は、信者を排斥処分にすることが出来る。排斥とはものみの塔協会的に重罪を犯した信者を組織から追い出すことである。復帰する道も残されるのだが、正式復帰まで排斥者はまさに村八分状態にされる。

ものみの塔的な重罪とは、喫煙や不倫など。これらが目撃され、長老に密告されるとエホバの証人は排斥処分される可能性がある。

排斥処分になった信者は、元々は兄弟姉妹と呼び合っていた信者と街ですれ違っても挨拶さえして貰えない。復帰を望んで集会所に来ても、誰とも口をきけない。集会前後の祈りや賛美の歌を歌っている間にこそこそ出入りさせられ、隔離席に座らされる。

エホバの証人の排斥者への扱いは残忍である。排斥とは見えない暴力である。

この排斥処分だが、エホバの証人の長老が開く審理委員会で決定される。本人が喫煙や不貞を働いたというのは第三者の証言が必要である。証人が2人以上必要なのだが、双方の言い分を聞き、ジャッジするのは長老。まさに裁判官。

排斥権限を長老が有するということが、長老を暴力にかき立てる。それは、もめ事の最後には排斥にすれば良いんだろという安直な発想から来る。厄介者を排斥に出来る絶対的権力感、困ったときには追い出せば良いという考えだ。

物事は力づくで解決できるという感覚を長老は抱いている。これが長老たちを暴力へかき立ててしまう原因。また、排斥そのものが目には見えない暴力的行為であり、その決定権を握っている長老はやはり暴力の虜になる

3.エホバの証人は体罰を推奨、実行している

ものみの塔協会は子どもへの体罰を推進している。長老は、その組織の意志を下位の会衆内信者へ浸透させる役割を担っている。集会所で泣きわめく子どもがいれば、その親に対して体罰を行い黙らせるよう圧力をかける。

長老だった私の父親も、子供たちへの暴力を推進してきた。そして、自分自身も進んで私のお尻を強烈に叩き続けた。大人の男の素手やベルトで素肌のお尻を叩かれるのは相当に痛い。子どもたちはサーカスの動物と同じく、じきに表面的には従順になる。

この体罰効果は単純で絶大。子どもが大人しく集会所で座っていられるように変化しだすと、大人までも体罰こそが優れた教育方針だと思い込む。暴力こそが物事を解決する手段なのだと勘違いする

表面的には従順なエホバの証人の子供たちだが、愛する親からの暴力で深く精神を病むことになる。そしてエホバの証人組織外部に出られず、一生、組織内をさ迷う。この場合、暴力は連鎖し、大人になったエホバの証人2世は家庭内暴力を振るう。妻へのDV、子供への体罰。

逆に私のように楽観的な性格で、親の暴力にも屈しなかったエホバの証人二世は思春期頃になるとエホバの証人を辞めたいと思い出す。

私の場合は学校の成績が良く、先生にその点だけは評価された。テストの点数が高ければ、生活態度が悪くとも評価せざるを得ない。私のように、エホバの証人以外の空間に逃げ道があると、エホバの証人を辞めやすい。

エホバの証人2世が、思春期にエホバの証人を辞めようとするとどうなるか。ちょうど反抗期と重なり、エホバの証人である親に徹底抗戦するようになる。そんな私を押さえつけるのに、長老だった父親は暴力という手段しか持ち得なかった。

まとめると、エホバの証人が暴力を振るう理由は

  1. 中間管理職的な立場で精神を病みやすい
  2. 排斥という信者を村八分にする権限を持っている
  3. 体罰を推奨、実行している

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