エホバの証人(JW)2世に下される、時限付き死刑宣告

エホバの証人2世の、人生の実りとは

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者として育てられた。

エホバの証人とは、通称「JW」というキリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔という名前でも良く知られている。2世信者とは親に同じ宗教を強要される子供のこと。

私は14才のときに自分の意思でエホバの証人をやめる。脱会を決意した一番の理由はサッカーに熱中したこと。結局、このサッカーも数年で飽きてしまったのだが、それでもエホバの証人に戻りたいと思うことは決してなかった。

サッカーはエホバの証人をやめるための一つの要因でしかなかった。特にサッカーでなくても何でも良かったのだが、何らかの理由があると、カルトをやめるための強い意思を持てる。

人間の生は儚い。人の一生は短い。死んでしまえば全てが終わり。

死ねば、人は無になり土に帰るとものみの塔は教えている。輪廻転生したり成仏出来ずに苦しんだりすることはないとされている。

エホバの証人の教義では、ハルマゲドンというこの世の終わりが間近。ハルマゲドンでは正しいエホバの証人以外は、全人類が神に滅ぼされることになっている。

そのハルマゲドンで死ねば全てが終わる。一瞬の恐怖の後、永遠の無がやってくる。どうせハルマゲドンで死ぬのなら、限りある生を充分に生きるべき。10代前半のいまだエホバの証人2世だった私は、そう思っていた。

サッカーに熱中していた私は、エホバの証人の王国会館での週3回の集会や、休日のほぼ全ての時間を奪われる布教活動はうんざりだった。自分の時間を、自分の好きなように使いたいと考えていた。

サッカーボールを追いかけて、息を切らして走っている時間だけが本当の人生だと、中学生の私は考えていた。

エホバの証人、崩壊が約束された偽りの家族

中卒上等、エホバの証人二世

人生と未来を搾取する、ものみの塔協会

私は、堅苦しい教義に縛られて永遠に生きるより、今この時にしたいことをするべきだと思っていた。

これが中学2年生のときで、今この時間は、もう二度と戻って来ない一度限りの瞬間なのだと自覚していた。だから、何よりも早くエホバの証人をやめてサッカーに熱中すべきだと考えていた。

私は物心ついた頃から、自分の全てを神エホバとものみの塔に捧げるように教育されてきた。幼少期の親と過ごす時間、小学生の放課後の時間、それら全てを失った。そのかけがえの無い時間はもう戻ってこない。

それならば、これ以上失ってはいけない。神エホバやものみの塔に、私の限りある人生をこれ以上搾取されるわけにはいかないと、14才の私は考えていた。

そして小学校高学年からずっと考え続けてきたことを、ようやく実現することが出来た。14才の秋、両親に対して決死の思いで告げた。「もう集会にも奉仕にも行かない」と。
※集会はエホバの証人の集まり、奉仕とはエホバの証人の布教活動のこと。

エホバの証人脱会宣言は、自分自身に時限付き死刑宣告をしたのと同然だった。エホバの証人をやめた私は、近いうちにハルマゲドンで滅ぼされて死ぬ。

深い洗脳状態にあった私は、神エホバやキリスト、彼らがもたらすこの世の終わりについて疑うという発想が全くなかった。これが子供の頃から、深く、深く刷り込まれてきた洗脳教育の恐ろしさ。


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