無敵の人、元エホバの証人2世。実はそれは強くない

無敵の人、元エホバの証人2世

私はエホバの証人を14才で脱会した2世信者なんだけど、20代の前半頃まではハルマゲドンの到来を信じていて、終末の日に滅ぼされる気満々だった。

いわゆる「無敵の人」状態。明日にでも不条理に死ぬことを受け入れていて、いつ死んでも良いと思っていた。だから、その場の自身のメンツやプライドと心中できちゃう。

むしろ、その小さなメンツやプライドを曲げることのほうが怖かった。当時、家族もおらず孤独だった私には、守るべきモノは自分の中にしかなかった。今この瞬間に憤死する覚悟ができていたので、死守するのは自分の小さなプライドや下らない生き様みたいなモノだけ。

エホバの証人(JW)2世に下される、時限付き死刑宣告

実は強くない、無敵の人

もしもあの頃の無敵の人状態で、今の打倒エホバの証人の意思を持っていたとしたら?それだと、海老名に殴り込んじゃったりして、一瞬で活動停止に陥っていた気がする。

だから、無敵の人って全然強くない。

もっと無敵状態なイッテる奴が出てきたら勝てないし、そもそも物理的に強い奴や国家権力には一瞬で敗北する。そして、やることのがその場限りなので根本的な解決に至らない。

今の私の場合だが、逆に家族がいたり、社会的な立場があるほうが強い。それは、守るべきモノがあるからこそ、死んだり捕まったりしない粘り強さがあるから。

さらに何か活動するにしても、その場限りの刹那的なモノでなく持続的な活動ができる。継続していくのだから、破壊的に一瞬を燃やし尽くすような活動よりも、結果的に活動量は多くなる。

時に、過激な活動とまでいかなくても、思い切った活動ができないことを足かせのように思ったりすることがあるけれど、それも実は危険な破滅から守られているのかも知れない。

やはり、人は守る何かがあったほうが強くなれる。

有害なエホバの証人の人生の指針

永遠の命なんて退屈で、刹那の命を燃やし尽くすんだ!と、14才の私は勢いよくエホバの証人をやめた。しかし、結局のところ、短い人生を中長期的に考え、継続的に何かを築き上げるのも大事なのかと思う今日この頃。世の中って皮肉なモノ。

ひとつだけ確かなのは、エホバの証人的な人生の指針なんてのは何の役にも立たないということ。実際何の役にも立たなかった。それどころか有害でしかない。

なぜなら、ハルマゲドンを信じてたせいで、あやうく死にかけたから。

当時、無敵の人だった頃、そこら辺のチンピラともめて、鉄パイプで殴り合うくらいの覚悟を決めたことが何度かあった。こちらがイカレてるから、暴力が発動する前に先様が引いていく。そうでなかったら、細腕の私は一撃でやられて死んでた。もしくは相手を物理的に傷つけてしまって、それはそれで最悪の事態。

スレスレで生き残ってきたこの命、ものみの塔となら刺し違えても良い。とは思えないのが、粘り強さ。ものみの塔を消滅させて、その後ニヤニヤしながら余生を送るんだい。


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