元エホバの証人2世の宗教観、妄信と暴走の果ての信念

反エホバという宗教観による暴走

昨日までの記事で、反エホバは私にとって宗教だと書いた。この反カルト思考はもはやカルト。同じ穴のムジナ。毒を以て毒を制す状態。自分でも危うい妄信・暴走の観もある。

とはいえ、エホバの証人組織=バッドだけはまかり間違えようのない真理。濃淡こそあれ方向性は正しい。

エホバの証人2世の私、かつて10代の頃の自我の芽生えと分裂の危機を救ったのは、この反エホバ思想。反ものみの塔思考が10代後半の私の自我を再統一した。

この固い信念で私は突っ走る。エホバが創造主だろうが何だろうが関係ない。一瞬を、刹那を全力で生きるオレの邪魔をするなと。

ものみの塔の洗脳下にあった私は、終末ハルマゲドンの勃発を信じていたので、刹那具合はさらにマシマシ。20才まで生きられるのかは不明、童貞のまま神に滅ぼされてなるものかとひたすらに励んだ。

元エホバの証人2世の宗教観

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『一九八四年』~塔から与えられればどんなに愚かしいことでもそのまま信じられるJW

ものみの塔による歴史の改竄と情報操作

今読んでいる本、ジョージ・オーウェルの『1984年』。

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全体主義の仮想独裁国家に牛耳られる国民。体制は、過去の記録を漏れなく、惜しげもなく改竄する。結果、女性たちは魅力のない存在に。まるで人形。抱いても無反応。

この構図はまるでものみの塔とJW(エホバの証人)。

ものみの塔も過去の過ちを闇に葬り去ろうとしている。

初代ものみの塔協会会長のラッセル君の墓、この盛大なピラミッド型のモニュメントは2021年に撤去された。かつて組織ぐるみで子供に体罰を加えまくったことも無かったことになっている。数々の終末預言の大ハズシも気のせいということに。

古い文書の処分を進め、証拠隠滅に余念がない。これは情報操作と歴史の習性を行う独裁国家に酷似。

情報操作による信者のマインドコントロールはものみの塔の専売特許。外から見ればものみの塔はおバカなカルトに違いないのに、内部にいるとそうは思わない。

信者に届く情報にはフィルタがかけられている。外部の人は皆、悪魔サタンに操られているとエホバの証人たちは思い込まされている。だから「自分たちエホバの証人たちのことを悪く言うんだ」と思考をコントロールされている。

輸血拒否したり、ろくに働きもしないで、復活だ、永遠だと言っていれば、そりや変人扱いされてしかるべき。エホバの証人は自分自身を全く客観視できていない。

エホバの証人は楽園での永遠の命という大ウソに惑わされている

塔の言いなりになるエホバの証人

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輸血拒否が子供の意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

完全悪、ものみの塔

今読んでいる『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。1985年にエホバの証人の子供が、輸血を拒否して亡くなった話。

被害者の子供は

『死にたくないよ、生きたいよ』と父親に訴えてもいる

ところが、父親は耳を貸さず断固輸血拒否。そして被害者の子供は絶命。

これをエホバの証人に言わせると

輸血しないで死ぬのがイヤだったんじゃなくて、輸血して復活できなくなっちゃうのがイヤだった

死にたくない、っていうのはそういう意味だった

となる。憶測だらけで好き勝手な論。本人に聞いた訳でもないのにこんな話を広める。当時、私の両親たちも似たような論調で、この幼い殉教者を語っていた。

筆者はこの後、本事件にのめり込み、エホバの証人組織に潜入までして調査する。そう突き動かしたものは

輸血拒否が大の意思であったか否か

大というのは被害者の子供。

子供の意思だろうが、何だろうがそんなものは関係ない。子供は騙されているだけだから。自分の意思で輸血を拒否しようが、自分の決断で(一旦)死にたがったのだろうが、その根幹が復活という嘘。

本人が生きたいと言ったのは、「輸血して生きたい」でなく、「復活して生きたい」だとエホバの証人は決めつけ、本人の願いだったということにしている。

しかし、そんな危険思想を持たせたのは周囲の大人。周囲の悪い大人のエホバの証人。無垢の子供を「人間は復活する」と騙して殺す。罪は重い。

輸血拒否が子供の意思でなく、大人の強制であれは殺人。

輸血拒否が子供の意思であれば、そう洗脳したものみの塔やエホバの証人の大人の罪。生まれながらに「人間は復活する」と仕込まれれば子供はそう信じる。「地球が丸い」と大人が信じているのと同じ。

いずれにせよ、ものみの塔や大人のエホバの証人が完全悪であることに違いはない。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

背教者のみぞ知るエホバの証人の真理

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エホバの証人よ、苦みを味わって本来の人生を生きろ

ものみの塔の超一流のギャグ

昨日の記事で、全てのエホバの証人をマインドコントロールから目ざめさせるべきだと書いた。その理由①として、マインドコントロールされたままエホバの証人を放置するのは愛の欠如であるという理由を上げた。

ものみの塔というおふざけ集団に付き合って、人生を無駄にする肉親を見放す。それは当のエホバの証人もびっくりの愛の欠如。

ものみの塔は、一流の冗談で多くの人々をたぶらかしている。「永遠の命」とか「楽園」、「復活」というギャグで人々を欺き、一方で早くマインドコントロールから「目ざめよ!」と、機関紙の題名でも盛大に笑わせようとしている。

そんなアメリカンジョークを真に受けて、人生の全てを失おうとしているエホバの証人の肉親を放っておくなんて、まさに愛の欠如したエホバの証人のような振る舞い。

人生の苦みこそが、人間の本質

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JWの冗談で人生を損なう親を黙殺するのはJW的行動

高齢の親にJWのまま死んでくれというのは、JW的発想

例えば、年とった両親が未だマインドコントロール下の現役のエホバの証人で、「楽園待つわ」状態だったとしたら。

果たして、そのまま寿命を迎えた方が幸せなのか?

エホバの証人の教義では、人は死後、無になり土に帰るとされている。ひどくもっともな論。しかし、そこから一転、正しく清らかなエホバの証人であれば、時が来たら復活し、地上の楽園で永遠の命を得るという設定になっている。

無になり、土に帰ったモノがどうやって復活するっていうの?

こんな話を信じて、人生を棒に振って老後を迎えている。尋常でない愚かさで哀れ。

そのままマインドコントロールされたまま死んでくれた方が、現実に気づき悲嘆する顔を見ずに済む。本人も取り返しのつかない事実を知って絶望せずに済む。ということ。

しかし、この考えは安直で自己中心的。まさにエホバの証人的考え方。

Awake!JW

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エホバの証人のマインドコントロールを強めるものとは・・・

エホバの証人的ガードを下げる

昨日の記事の続き。エホバの証人宣教者のyoutubeの話。エホバの証人禁令下の中国へ宣教に行ったら、逆にエホバの証人の洗脳が解除されたという話。

言語を学ぶというのは、単語や文法の習得だけでなく、その言語を使う人たちの思考を知るということも必要になる。これはマインドコントロール下のエホバの証人が絶対にしないこと。

エホバの証人は、信者である自分たちが正しいと信じて疑わないので、非信者の考え方、思考方法は頭から否定するだけ。

ところが、この宣教者の場合は、中国語を習得する必要があり、そのために非信者中国人に対するエホバの証人的ガードを下げざるを得なかった。これにエホバの証人禁止の外国滞在中という極限下が相まって洗脳解除に至った。

これに似た環境を疑似的に生成できれば、エホバの証人のマインドコントロールからの解放が近づくのではないか?という仮説を提示した。ここまでが昨日までの内容。

エホバの証人のマインドコントロールを強めるのは・・・

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エホバの証人(JW)信者の脳内がヤバい理由、悪化の一途

エホバの証人のヤバい脳内

エホバの証人の子ども、聖書から小噺スクールの罠

エホバの証人(JW)の子どもに生まれて良かったことってあったのだろうか?と考えた。何か一つでも。

ない。一切、認めない。

総合評価では、間違いなく「生まれがエホバの証人の家庭」というのは、マイナス。さらに、個々の事例で見ても、良かったことなど何一つない。

例えば、子どもの頃から演台で話す練習を強制されたおかげで、話し方が上手くなった、なんて話をよく聞くけど、これは私には当てはまらない。

エホバの証人には、「神権宣教学校」(今はこの呼び方じゃなくなったらしい。何なんだろ?スクール?レッスン?)という布教練習用の学校がある。

その「エセ学校」で「割り当て」という実技訓練の順番が回ってくる。初級編は演台から聖書朗読と小噺で5分。

私は初級編をやっている段階で、この「エセ学校」を自主退学したので、上達も何もない。大勢の前で話すのは最初から嫌いだったし、このスクールで余計に嫌いになった。

「割り当て」後に、大人の信者から褒めまくられるのだけど、これも嫌で仕方がなかった。決まった範囲の聖書朗読と子どもの考えた小噺、しかも親の検閲が入っている。オチもひねりも何にもない退屈な話。それを聞かされて良い大人が

「素晴らしい、感動しました」って、あり得ないでしょ。

この件については、ずっと口から出まかせの、おべっかだと思っていたのだが、実はそうでもないということに脱会直後に気付いた。

ほとんどのエホバの証人にとって、何のひねりもない聖書の教訓トークが心地よく感じる。予定調和こそがエホバの証人にとっての快感。何十年もエホバの証人やっている間に小難しいことを考えられなくなったり、元来の頭のレベルがその程度だったり、ということ。

そして、このエホバの証人の布教学校のデメリット。教える側がド素人の信者。ロクな社会経験もない素人の信者が話し方の総評をする。ダメな師に教わればダメになるのは当然。

エホバの証人、思考停止状態

エホバの証人の脳内がヤバい理由

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JW脱会、共に戦おう。共感は戦いの糧に、情報の共有には大きな戦略的価値がある

JW脱会単独戦闘、大きな迂回に

昨日の記事で、JW(エホバの証人・ものみの塔)脱会の戦いに挑む私に味方はいなかったと書いた。

たった一人、何とかJWからの脱会に至るのだが、脱会後も私は単独行動を続けた。当時、自分の周囲は敵だらけだと思って生きていた。このせいで大きく大きく私の人生は迂回した。

元JWのホームページとかメーリングリストがあるのは知っていたけど、「元JWなんてロクな奴いないだろ」と決めつけていた。自分みたいに排他的で暴力的な化け物の集団だと思っていた。

元JWの客観的情報、JW外から見たJWという視点の情報を避け続けた結果、私の洗脳解除は大幅に遅れた。

JW脱会という局地的戦闘には戦術的勝利。しかし、洗脳からの覚醒という大局視点での戦争は泥沼化していた。その間に時間、金、信用、清廉さ、職業経験などに多大な損失を招いた。戦略的には大きく回り道をしたと言える。

今は30年前の私とは違い、スマフォをポチれば一瞬でJW外から見たJWの新鮮情報が手に入る。脱会戦闘の経験者の生の声が聞ける。共感は戦いの糧に、情報の共有には大きな戦略的価値がある。

ものみの塔協会の情報統制から自由になろう!

エホバの証人2世のマインドコントロールが解ける瞬間

JW脱会、共に戦おう

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恐怖、悪霊と悪魔の巣窟「エホバの証人の王国会館」

恐怖によるマインド・コントロール

『エビのしっぽ』より。

人為的に生み出される恐怖には、多くの場合、理由があるということ。たとえば恐怖を経済的に利用する犯罪集団がいます。これは暴力などの脅しによる恐怖で個人をコントロールしようとする意図のもとなされるのです。オカルト宗教の類もそうです。地獄やハルマゲドン、神からの罰などの恐怖のキーワードでコントロールしようとします

このオカルト宗教に、ズバリ「エホバの証人」も当てはまる。

地獄ってのはエホバの証人の教理にはないけれど、「人間がいずれ永遠の命をゲットします」とほざいている時点で、地獄での永遠の責め苦=永遠の命の裏返し。言っていることは同じトンデモ系。

肉食動物でさえ草をはむようになる、いびつなエホバの証人の楽園。人間は殺生しなくて野菜と果実だけで生きていける完全な体に生まれ変わる。そして、永遠の命。

自然だらけエホバの証人だらけの楽園。オレにとっちゃ、それこそ地獄よ。つまらないエホバの証人たちに囲まれての永遠。許して~。快楽にまみれステーキ喰って生きていたいです。

話がだいぶ逸れたが、エホバの証人も、恐怖で信者をコントロールしている宗教の類であるということ。

これってマインド・コントロールとは違うのか?この本の著者はエホバの証人のマインド・コントロール否定派であるのだが。

ハルマゲドンの恐怖で縛り付け、思考を停止。エホバの証人活動を通常生活の妨げになるほどに行わせる。一般社会との激しい隔絶を余儀なくさせるほどに。

恐怖で縛り付け、思考・行動を本人の本来望まない方向に操作する。これがマインド・コントロールであるのなら、エホバの証人こそマインド・コントロールされていると言えるのではないだろうか。

JW、王国会館での集会再開のお知らせ、集会に行くのはなんのため?

エホバの証人の王国会館に病気の人が多い理由

エホバの証人の恐怖を克服する方法

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惰性とご利益欲しさで組織に盲従する、エホバの証人を解放する3つの方法

惰性とご利益の組織盲従タイプのエホバの証人

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『ものみの塔協会の誤導からエホバの証人を解放するために』から。

エホバの証人を、下の2タイプに分けられるとしている。

(1) 偽のエホバの証人-真理、真実より組織を愛する、組織盲従型

(2) 真のエホバの証人-組織よりも神や真理を心から純粋に愛する人

当資料では、(1)はミーハー信者でどうにもならないので、近づかないが吉。(2)は解放の余地ありとしている。

私は(1)組織、(2)神も嫌いだった。そのため、子どもの頃からエホバの証人2世信者であることを強制されたのだが、根っからの信者にはならなかった。

本来の自分との乖離を余儀なくされた。生きにくかった幼少期を振りかえると、はらわたが煮えくり返るくらいに、ものみの塔というカルトが憎い。というわけで、ものみの塔が存在しない世界を目指して、今日も活動を続ける。

(2)「神への愛を」って言っている人がいれば、そりゃ解放は早いと思う。今どき、こんな純粋信者がいるのだろうか?

「楽園での永遠のイノチ」というご利益欲しさにエホバの証人を続けている人がほとんどだと思う。「万物の創造者である神への愛」ゆえに、エホバの証人を続けているなんて人は皆無なんじゃないか。

「楽園での永遠のイノチ」なんてのは大ウソで、そんなモノ実現するはずがない。それを知るのは死後なので、誰もこれを証明できない。証明できないのを良いことにエホバの証人たちは、誇大妄想を信じ続け人生を失う。

何十年とエホバの証人を続けてしまって、今さら人生の賭け先を変えて、ハズすのが怖い。そもそもハズれない馬券だと信じ切っている。実は大ハズレなのだが。エホバの証人なんてのは、当たりようのない偽馬券。レースすら成立していない。

人間は行動を変えるのが困難なので、惰性でエホバの証人を続けるほうが楽。なので、そのままエホバの証人というハズレクジを買い続ける。今さら他のものに万遍なく投資なんてできない。「ベット先を変えてエホバの証人が当たりだったらどうしてくれるの?」という感じ。

神への愛ゆえにエホバの証人を続けているなんて人はいなくて、ほとんどが惰性とご利益欲しさで組織に盲従するタイプ。

よって、(1)を削減しなければ、ものみの塔の終焉もない。

惰性とご利益欲しさによる組織盲従を打破する、3つの方法

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