駅前に立っているエホバの証人を見て思うこと
最寄り駅でエホバの証人が毎週同じ曜日に立っている。街頭での布教活動。「聖書を無料で学べます」の立て看板を掲げて無駄に時間を浪費している。
コロナ期間中は自粛していたのだが、ここ数ヶ月の間に再開。別件で街頭布教時間に駅に行く用事があるので、定点で観測している。
だいたい同じメンバーが立っているのだが、先日は新メンバーが加入して年齢も一気に若返っていた。20~30代女性3名。
この街頭に立っているエホバの証人たちは見た目で選ばれるケースもあるらしく。宣伝戦略なのだろうが、エホバの証人の俗物度合いもここに極まれり。
確かに、いつものメンバーはしょぼくれた中年中心だったが、若返ったメンバーは服装も鮮やか。顔ははっきり見ていないが、髪もきれいにしていて美人的雰囲気は醸し出していた。
昨今、若干メディアでエホバの証人の体罰問題が取り上げられているが、この人たちには全く効いていないのだろう。組織そのものを叩き潰さないと、このように人生を無駄にし続ける人が消えない。
脳内お花畑の現役エホバの証人よ、終わりが近い根拠を教えてくれ
全てのエホバの証人が真実を知るべき理由
というか、ぶっちゃけると、どれだけ見た目が麗しくてもエホバの証人か公共の場所に立っているのは目障りだから消えて欲しいというのが私の本音。単なる私怨である。
少し次元をあげると、我々の子供世代を思ってのこと。子孫たちがカルト布教者が駅前に立っているのを見なくていい、カルトの存在しない未来をと願っている。
ついでに、エホバの証人的霊性の高~い美男美女が失っている本来の人生を取り戻して欲しいとも思う。しょぼくれた中年だって同じ。曲がりなりにも真理を追い求めている求道者だったわけなのだから、真実を見つけて欲しい。
老齢のエホバの証人だって同様。
夢見たまま死んでいく、妄信したまま死んでいく方が幸せという意見を聞くけれど、真理とか真実というのは、人生そのものと同じくらいに重い。
人の命なんて吹けば飛ぶけど、真実は永遠。真理って普遍的なものでしょ。勘違いの幸せより、絶望の真実。自分が騙されていたという、その真実を知ること。
これが本来の癒し、救済になる。
一度きりの人生、真実を知らぬまま死んでいくなんて悲しすぎないか。真実による絶望は救いになる。スッキリする。何かいろいろごまかしていたこと、考えないでおこうとしたことがスカッとすると体が軽くなる。
マインドコントロールから覚醒したときの感覚。絶望と共に訪れるスッキリ感。辛いこともたくさんあるけど、とにかく真実にはたどり着いたと。答え合わせが終わった感じ。試験に不合格でも結果が発表されれば仕切り直しはできる。
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