親のカルト活動に対する免罪符など存在しない理由とは

カルト親に免罪符を与えない

AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』

「みんなはどうやって、教会と距離を置きましたか?」をお題にしての対談。

出てきた話題が、カルトをやめない親のこと。

毎日一生懸命宗教活動に邁進して、日々充実していて楽しそうなので、それが本人にとっての幸せなら、もうこのまま一生それで良いのかな・・・(注意:他人に強制しないでいただければ←重要)って思ってしまってなかなか止めろとは言えずにいます

本人の幸せで、周りに被害が来てないなら、ほっといてもいいような気もする・・・それを取り上げちゃうと生きがいがなくなりそう

こういった意見。気持ちは多いに分かるのだが、私は賛成できない。

例えば、オレオレ詐欺集団に身内が入っている。しかし、その身内本人はオレオレ詐欺はしていないと。それが許されるのかということ。

そのグループは詐欺だけやっているわけでなくて、いろいろと他の活動もしている。自身の身内もそのグループに加わってはいるが、詐欺をはじめとする犯罪行為には一切加担していない。グループの会合などに顔を出すが、詐欺行為はしていない。

それならOKかと言うこと。ダメでしょ。犯罪組織と手を切らせるでしょ。カルトもそれと同じ。

カルトグループに属するコトが生きがいになっている、グループの人しか助けてくれる人がいない。そのグループの他人に迷惑をかけない活動を一生懸命やっていて幸せそう。そんな理由は、カルト組織に属することの免罪符にはならない。

確かに、犯罪組織が摘発されたとしても実際に手を汚していないし、命令を出す側でもなかったとしたら、裁かれることはないかも知れない。「私はお茶くみ専門でした」となれば無罪放免かも知れない。

でも、それでは良くないでしょ。悪い奴らとは縁を切らせるべき。

カルトに属するコトが、既に社会に害をもたらしている

いくら本人に他に居場所がない。直接的に悪事を行っていない。誰にも迷惑をかけていない(気がする)としても、悪事を行う組織に属するのを許す理由にはならない。

カルトを家族や周囲に強制しない、周りに被害が及ばないとしても、誰かに被害は行く。

詐欺集団にせっせと誰かがお茶を入れたから、オレオレの電話を実行犯がかけ続けることができた。カルトに属して何らかの活動をしているのなら、資金源になり労働力になり、それらが回りまわってカルトの勧誘活動の原資になる。そして、新たな被害者を生まれる。

この対談をしているのはカルト宗教2世たち。自分と同じ無垢の被害者が生まれるのを、親が幸せそうだからと見逃す。それはちょっと頂けない。

苛酷な幼少期を送り「毒親と対峙するのが怖くて親のカルトを辞めさせられません」というのならともかく、「親がカルトをやっているのが幸せそうだから、生きがいにしているから」放っておくというのはNG。

その偽の幸福や生きがいのもと、本来の幸福を奪われる被害者が生まれている。

生きがいを失おうが不幸になろうが、カルトはやめさせるべき。誰もがそうして真っ当に生きている。現実逃避して疑似幸福感を味わえれば、他人がどうなろうと関係ないと。そんな身勝手が許されるわけがない。

そもそも、親の幸福感はカルトがもたらす偽のモノ。真実ではない。オレオレ詐欺集団だって、詐欺が成功して金儲けまくっている間は幸せそうにしてるよ。

真理とか真実というのは、人生そのものと同じくらいに重い


One Reply to “親のカルト活動に対する免罪符など存在しない理由とは”

Leave a Reply

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.