どんな辛い真実でも真実は救いになる。なぜなら・・・

カルト親の末路

AmazonのKindle Unlimitedなら無料で読める(2024/1現在)『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』

宗教2世の対談なので、カルト親の話に。カルトのマインドコントロール下にある親が

現実を知って自分の人生を後悔するか、最後まで信じ切るか・・・どっちがいいのか

これは答えが出ている。カルトに熱狂している人って真理を追い求めているんでしょ。だったら真理を、真実を、現実を知りたいはずだし、知るべき。

後悔したって生きがいを失ったって、真実を知るべき。カルトへの入り口が真理の探究だったんだから、出口も同じ。「騙されて人生を圧倒的に損なった」という真実にたどり着くべき。そこから先にしか、人の道はない。

最後までカルトを信じ切るってのは、最後まで騙され切るってことで、完全なる無駄な人生のできあがり。無駄なだけならともかく、世界に害を振りまいて一生を終えることになる。

これは最低の結末で、それよりは真実を知って絶望した方がいい。その先にしか真実を行く人の道がない。

真実にさえたどり着けば、カルトに生涯を搾取されたと主張し、尋常でない後悔をしていると世間に訴えることが出来る。社会にカルトの危険を身をもって訴える。これだけで有害人生から起死回生の挽回がなる。

親のカルト活動に対する免罪符など存在しない理由とは

真理とか真実というのは、人生そのものと同じくらいに重い

カルト教団から施しを受けることすら悪への加担

自分の習慣や生活を守るためにカルトを続けるとか、家族からしてみれば、本人が良ければいい。なんてのは許されるわけがない。

カルトに名義を貸したり、寄付したり、労働力になったりというだけで、新たな被害者を生む行為に加担していることになる。悪事だよ。

教団に対して何にも施していない。助けて貰っているだけ?それもどうだうか。カルト教団から何かを施して貰う過程で、施している信者や組織に優越感や満足感、肯定感を与えていることになる。組織の自己評価、一致度、一体感を高めていることになる。

カルト組織の総合得点を高めているという点では、カルトから施しを受けることすら悪事への加担となる。

つまり、何が何でもカルト組織に属する、関係することなどあってはならない。何が何でもカルトとは縁を切るべき。悪の道を行きたくないのなら。

真実は救いになる。例え生きがいを失ったとしても、真実を知った、目が覚めたというのは救いだ。なぜなら、それ以上悪事を重ねなくて良い。それだけで大きな救いだよ。

とはいえ、問題は如何にして真実を知らしめるかなのだが・・・。


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