エホバの証人の唯一の救いは、脱会後の絶望のなかに

エホバの証人ゆえに失ったものの大きさ

私は生まれながらのエホバの証人の2世信者だった。

エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。2世信者というのは、親の1世信者の信仰を強要される子供のこと。

私は14才のときに、両親との決別を覚悟しこの宗教をやめた。その後20才で家を出る。しばらくして、父は手紙を残していきなり出奔。音信不通となった。その後、7~8年ぶりに父親と再会した。親類の葬儀がきっかけだった。

この時、父からエホバの証人やめたあとのことを順に聞いた。

エホバの証人をやめたあとは家にいても、職場にいても、何をしていても満ち足りるということが無かったという。欠落感と喪失。満ち足りるどころか体中が欠落したように感じられたのだろう。

一人息子の私は、いち早くエホバの証人をやめて家を出た。いまだにエホバの証人のマインドコントロールが解けていない母とは家庭内別居状態。

ものみの塔に騙し取られたモノや、失ったモノは余りにも大きすぎる。もう何も返って来ない。

エホバの証人活動を優先するために、次々に仕事を変えた。転職するにしてもキャリアを重ねていくというわけではない。時間の都合のつきやすい、責任の少ない仕事を選んできた。

我が家に財産は全く残っていなかった。両親は、エホバの証人の主張するハルマゲドンがすぐにでも来ると信じていた。この世界の体制は終わると、完全にものみの塔のマインドコントロール下にあった。

そのため、勧められるがまま毎月高額な現金を教団に寄付していた。ものみの塔に捧げたあの金と時間があれば、何事かが成し遂げられたはず。

エホバの証人になったために家庭は崩壊し、父はこの世代が通常ならば手に入れていた仕事のキャリアやその成果を何も得られなかった。何もかもをものみの塔によって搾取され、若さと20年もの時間を失ってしまった。

ハルマゲドン、ものみの塔協会の大妄想

エホバの証人は楽園での永遠の命という大ウソに惑わされている

エホバの証人をやめたあとの自殺衝動

父はエホバの証人をやめたあと、エホバの証人の友人・知人は皆無になった。父は、かつて教団内の長老という立場だったが、今ではタバコまで吸っている。そんな父と付き合ってくれるエホバの証人信者は存在しない。

喫煙者はエホバの証人的には排斥という処分を受ける。排斥とは破門処分のこと。排斥者はエホバの証人からは徹底的に忌避される。

父はエホバの証人として活動した20年の間に、エホバの証人以外の友人を全て失っていた。これは自ら望んだ結果でもある。エホバの証人は信者以外の交友関係を良しとしない。

教団内外の人間関係を全て失い、父には知り合いと呼べる人が誰もいなかった。完全なる孤独。

ところが、そんな状態の父と交友を続けようとしてくれた人がいた。エホバの証人の妻を持つが、本人は信者ではないという同年代の男性。

ものみの塔に献身した妻に対して、その信仰に反対することもなく、しかし積極的に自らエホバの証人になるわけでもない。ちょっとだけ私の父と「聖書研究」をしていたことがあったり、たまにエホバの証人の集会に出席したりという非信者の友人。

隣人を愛していると主張するエホバの証人すべてが父の元を去った。逆に、エホバの証人でない人だけが唯一、満身創痍の父の元に残った。皮肉なことだが、エホバの証人という宗教の本質はこれ。

信者でないものは神にすら愛されない。エホバの証人の崇める神は、こんな心の狭い神。そんなモノが神として存在するはずがない。存在したとしても、私は神とは認めない。エホバやものみの塔は偶像にすぎない。

父は、その唯一残った友人と趣味の釣りに出かけた。共通の趣味だった夜釣り。

2人で海に向けて竿を傾けていて、父は、ふとぼんやりと防波堤の上を歩き始めた。そのまま無意識に防波堤を歩き続け、はっと意識が戻ったときには目の前が防波堤の切れ目。いつの間にか海に落ちる直前まで歩き進んでいた。

それ以来、その唯一の友人とも気まずくなり疎遠になっていった。

そして、家を出て全国を放浪。今回、一人息子の私との再会に至る。父は放浪期間中にも同じような自殺衝動に駆られることがあった。

エホバの証人をやめたあとの絶望は自殺衝動まで引き起こす圧倒的な欠落感、喪失したモノの大きさへの絶望。また、父のように宗教上の責任ある立場にあれば、信者たちの人生を狂わせた罪は大きい。その罪悪感。ほとんど全ての現実が絶望的。

それでもマインドコントロールが解けた信者はエホバの証人をやめなければならない。いや、むしろ全てのエホバの証人は、ものみの塔崇拝という偶像崇拝をやめなければならない。

辛い現実を見ることにはなる。しかし、それこそが真理を追い求める人間の責務。聖書にも書いてある。「蒔いたものを刈り取れ」と。絶望しなければ、真っ当な未来はない。それがカルトに堕ちた者の因果。もしも、残りの人生に光があるとしても、それは絶望の先にしかない。

どんな辛い真実でも真実は救いになる。なぜなら・・・


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