排斥からの復帰を目指すエホバの証人
私は、両親がエホバの証人という宗教一家に生まれた。エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教。私はその2世信者として育てられた。2世信者とは親(1世信者)の信仰を強要される子供のこと。
私は、14才のときに両親との決別を覚悟し、エホバの証人をやめる。私が成人し家を出た後で、父もエホバの証人をやめた。当時の母はいまだエホバの証人のマインドコントロール下にあり、両親は家庭内別居状態にあった。
父は20年もの歳月をエホバの証人活動に費やし、エホバの証人以外の知人はゼロ。衝動的な自殺未遂事件を経て、最後の友人とも気まずい関係になる。
その最後の友人はエホバの証人ではなかったのだが、その人の妻は熱心な信者だった。この頃の父は喫煙を再開しており、過去にはエホバの証人の長老という立場だったとはいえ、現役信者から見れば避けるべき人間。
信者でなかった最後の友人のかたも、交友を重ねることは勧められない。こうして、父は全ての人間関係を失った。
エホバの証人は教団の中で、大人しくしている間はお互いを兄弟姉妹と呼び合い水魚の交わりを結ぶ。男性の信者は、会うたびにお互いに握手をするくらい。
しかし、組織からの破門処分になったり、自らこの宗教を断絶した人に対して、街で会っても挨拶すら禁止という教団の決まりがある。喫煙や不貞行為、輸血などの戒律違反は、組織からの排斥という破門案件。
排斥処分というエホバの証人的村八分になると、エホバの証人の王国会館(集会所)に行っても一切歓迎されない。集会のプログラムを聞くことは許されているが、端の席で誰とも目を合わさないようにしていなければならない。
エホバの証人の集会が始まる直後にこっそりと入っていって、終わる寸前にひっそりと帰宅。排斥者はこの一定期間の村八分状態に耐えると、組織に戻ることを許可されるケースもある。
私には、そこまでしてエホバの証人の王国会館に通わなければならない理由が一切分からない。マインドコントロールの影響なのか、組織内の唯一の人間関係を取り戻そうとしているからなのか。
とにかく排斥者には、初めて王国会館に行ったときのような、熱烈な歓迎の精神は一切示されない。
全ての人間関係をリセットしてでもエホバの証人をやめるべき
父は20年もの期間、親戚や会社の同僚にエホバの証人として接してきた。今さらエホバの証人ではないノーマルな人間として関係を修復するというのは難しい。
中学生だった私にもそれは出来ず、いわゆる高校デビューとなった。私がエホバの証人をやめたのは中学2年生の秋だが、中学校以前の友人は今では1人もいない。現在でも交友があるのは高校入学以降の友人。
自らがエホバの証人だったという過去を必要以上にさらけ出す必要も無い。同時に、隠したり自分の過去を知られている人を執拗に避けたりする必要もない。
とはいえ、私自身人にとって、エホバの証人2世という過去は大問題。私にとって、自身のエホバの証人だった過去は何より忌むべきモノであるから。
自分がエホバの証人だったという過去を許すことが出来ない、認めることが出来ない、忘れてしまいたい、むしろ隠したい、触れられたくない。エホバの証人だった過去は、人生の汚点であり恥部。
私は、このようにしてエホバの証人をやめる前とやめた後で、人間関係を区分けしている。
エホバの証人脱会時に、既に40代後半になっていた父親にとって、その年齢から新しい人間関係を築くというのは難しかった。こうして、父は全ての人間関係を失った。それでも、
すべてのエホバの証人は王国会館を去らなければならない。誰ひとり友人がいなくても、それが真実の人生ならば生きる価値はある。王国会館の中の人間関係は、所詮はあなたがエホバの証人ならという限定的な偽善のもの。
排斥者に対する仕打ちがそれを証明している。
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