聖書に選挙禁止とは書いていない
昨日は衆議院議員総選挙だったのに絡めて、ものみの塔協会に重税を課すことは神エホバの目から見て適っていると、皮肉気味な記事を書いた。
とはいえ、エホバの証人は投票しないので、エホバの証人の意見は民意に反映しない。であるなら、政治家はエホバの証人に気を遣う必要は一切なく、ものみの塔の財産その他すべてを国民に再分配すれば良い。
だいぶ乱暴な意見ではあるが、相手は危険なカルトなので、乱暴なくらいでちょうどいい。
ところで、エホバの証人がなぜ選挙に参加・投票しないのか?これは謎。聖書には選挙活動をするなとか、投票するなとか、個人を支持するなとか、そんなことは一切書いていない。
エホバの証人は、「私たちは聖書研究者で、聖書に書いてあることを厳守します」という立場なのだが、聖書には選挙活動禁止とは書かれていない。
エホバの証人が終生大事にしている聖書は、新世界訳というものみの塔仕様のイカサマ品なのだが、話が逸れるのでここではその話は置いておく。
そのイカサマ聖書でムリヤリ翻訳し直しても、どうにもならないのが「選挙活動禁止」。そんなのは、聖書のどこにも書いていない。では、
なぜエホバの証人は選挙活動をしないのか?それは、ものみの塔が選挙禁止と決めているから。聖書に書いてあるからでなく、ものみの塔が禁止しているから、エホバの証人は選挙に参加しない。
ということは、エホバの証人は聖書研究者でも何でもなく、盲目的にものみの塔の言いなりになる、ただのカルト信者であるということ。
ものみの塔が選挙を禁止する理由に根拠はない
ものみの塔が選挙禁止の根拠としているのは、聖書の中の一つの逸話。キリストを王にしようと人々が押しかけた時に、それを拒否ってキリストが山に逃げた、という引っ込み思案っぷり抜群の逸話から。根暗かと。
これは選挙や政治参加という話ではなく、キリストが地上で王になることを拒んだ、という事実があるだけ。弟子たちにも「この世から離れていなさい」と厭世観満載の指示をしたが、投票するなとは言っていない。
これはあくまでも聖書解釈の問題。「いついかなる場合でも選挙は禁止」となると、本筋から逸れてくる。エホバの証人は、ものみの塔に重税課します法案が出てきても、言いなりになるしかない。
せっかく民主主義が与えてくれた国民の権利を、エホバの証人は自ら放棄しているのだから、それによって不利益を被っても仕方がない。政治参加をしないのなら、「ものみの塔に重税課します党」が出てきても、言いなりになるしかない。
いついかなる時でも選挙禁止という間違った聖書解釈
私は子どもの頃、エホバの証人2世信者であることを強制されていた。そのため、学校の選挙に参加できず、クラス内で浮きまくるという事態に陥った。
学級選挙とか生徒会選挙は政治とは関係ない。学級委員が政治を行うわけではないから。個人が意思を表明しているだけ。それでも、「エホバの証人は選挙禁止なんです~」となる。これはエホバの証人が聖書を研究しているわけではなく、盲目的にものみの塔の言いなりになっているから。
エホバの証人は自分の頭で思考するということを放棄している。結果、エホバの証人は思考力を失う。
さらに、驚くべき話があり、実はものみの塔の会長は選挙で選ばれている。信者のエホバの証人には選挙禁止としながらも、実は自組織の代表は選挙で選んでいるという矛盾。何とも滑稽な話。
投票するかどうかは、本来は個々人の意志に任せられるべき事項。いかなる政治団体をも支持しないのが、ものみの塔の考える正しい立場。それならば、いかなる政治団体の不支持を強制している現在の立場が矛盾している。
支持しないのなら、ものみの塔は信者個人の政治団体への支持・不支持に関して、中立の立場をとるべき。