ものみの塔協会に重税を課すことは、神エホバの目から見て適っている

エホバの証人は投票しないのでものみの塔協会に重税を課すべき

本日は第49回衆議院議員総選挙の投票日だった。エホバの証人はなぜか選挙に不参加なので、もれなく全員が投票を棄権したはずである。

エホバの証人は投票しないので、ものみの塔協会に重税を課すという公約で出馬しても、エホバの証人が反対の組織票を投じてくることはない。

エホバの証人は票田にはならないので、エホバの証人に対して厳しい政策を掲げても、政治家的には何ら問題ない。他の宗教団体の抵抗があるだろうが、エホバの証人以外には課税しない、と強く謳えば良いだけ。

他の宗教団体や人権団体がエホバの証人を擁護するという構図が多いに予想できるが、他の宗教団体にしてみれば、ものみの塔は商売敵なので擁護する筋合いはない。

宗教家として神の目の前で正しい行動をするという理由で、エホバの証人を擁護する宗教団体が出てきそうだが、「お宅の神様のことをものみの塔は猛烈批判していますよ。それでもものみの塔を擁護しますか?」という話。

ものみの塔協会以外の宗教法人には課税しないのであれば、他の宗教団体に被害はない。いずれ同じ被害が自宗教に及ぶことを怯えての反対があるだろうが、その際は選挙できっちり組織票を投じて意思表示して貰えばいい。

エホバの証人は選挙で意思表示しないのだから、ものみの塔協会に重税を課すという政治家に対しても反対票を投じようがない。ならば重税を課して、ため込んでいる財産を吐き出させて、国民を潤せばいい。

※2023年11月追記。この記事、なかなかの暴論だが、昨今の動きで、エホバの証人は児童虐待組織であると世間にも認識されつつある。「公益性のないエホバの証人は解散させます!エホバの証人に課税して、国民のために減税します」くらいの公約は、歓迎されるのではないか。

ものみの塔に重税を課すことはエホバ神の目から見て適っている

信教の自由を保障した憲法違反で、ものみの塔側に訴訟されそうだが、憲法では、「ものみの塔を信じるも信じないも自由」という基本的人権が保障されているだけ。課税云々は別問題。

投票権を自ら放棄しているエホバの証人組織になら重税を課してもいい。誰も損しない。

ものみの塔だって貯め込んだ財産が、全国民のために有意義に使われるのだから、逆に感謝すべき。ものみの塔は愛溢れる組織なのだから、当然、隣人である日本国民のために財産が使われることを喜ぶだろう。

ものみの塔は守銭奴を強く批判しているので、重税を課されても喜びと感じるはず。むしろ財産を貯め込んでいる現状が罪深い状態。そこから解放してやるのだから、逆に重税を課されることを感謝すべき。

ものみの塔財産に重税が課された場合、それは、ものみの塔の絶対神エホバがそれを許したということ。エホバの証人的立場からすると、投票もせず意思表示しないのは、絶対神エホバが何とかしてくれるから。神に全てを委ねているので、政治的には中立という立場。

ものみの塔の財産に重税を課します法が成立。この場合、エホバの証人の神エホバがそれを認めたということ。つまりは、財産を貯め込みすぎているものみの塔の守銭奴状態を、神エホバがふさわしくないとしたということ。

ものみの塔は人間の司法組織に訴えたりせず、投票もせず、神エホバの手にすべてを委ねるべき。重税を甘んじて受けるべき。むしろ喜びとすべき。

こう考えると、ものみの塔に重税を課してみるというのは妙案。

私の子どもの頃を思い出すと、私は生まれながらのエホバの証人の2世信者だった。自分の願いや主義とは関係なく、両親がエホバの証人だったため、むりやりエホバの証人にさせられた。逆らえば、懲らしめという暴力が待っていた。懲らしめは教団主導で、エホバの証人の中では子どもに対する暴力が推奨されていた。

宗教を信じない自由・信仰を強制されない自由、エホバの証人の子どもには基本的人権が存在しない。エホバの証人組織は、人権を否定する不条理な組織なのだから、重税を課して一刻も早く崩壊させるべき。

エホバの証人というカルト宗教の被害を受ける二世信者の子供たち

エホバの証人が崇拝しているのはものみの塔という偶像と組織


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