他の宗教を一切認めない、エホバの証人というカルト
エホバの証人の信者は団体で集まって布教活動をするだけでなく、個人的にも伝道を行うことが求められる。それは証言と呼ばれている。自身の信仰の証言をするということ。
家族、親戚、同僚、上司、学校の同級生、先生などに、自身がエホバの証人であることを告げ、誰かれ構わずエホバの証人に勧誘することが求められている。
エホバの証人の本家米国の話だが、刑務所でエホバの証人が宗教勧誘会を開いた。その際、参加したのは児童性虐待で収監されていた受刑者だけだった。
結果、エホバの証人組織内で児童性虐待が起こりまくり。誰かれ構わず勧誘を行うから。エホバの証人の王国会館は児童性虐待の悪の巣窟になっている。
家族まるごと被害に陥れるカルト宗教。神は自分の心の中に入れば良い。周囲の平和な日常を妨げてまで、巻き込む必要はない。
これは極端な例えだが、夫婦で片方が信じる宗教があり、もう片方がそれを認めつつ別の神に祈っても良い。お互いの神を押し付けあう必要などない。逆に、
エホバの証人は、教団が造り出した唯一神エホバ以外を一切認めていない。古今東西すべての神々と、無神論者を悪魔サタンの手先だとしており、エホバの証人への改宗を迫る。
エホバの証人に改宗しなければ、来たるハルマゲドンで滅ぶ”この世”の人であると蔑まれる。悪影響があるから、と交流を避けられる。
信仰の証言を強制される、エホバの証人の子供たち
エホバの証人は周囲へ自分の信仰の証言を行わなければならない。自身の生活習慣が特殊であり、教団への信仰を第一にしていることを話さなければならない。
特に、子どもにとって参加できない学校行事が多く、周囲に迷惑がかかるため、この証言は必至。周囲と同じことができないエホバの証人の子どもは毎日が辛い。本来は望んでいない証言を強要され、精神を病んでいく。
問題は、子ども自身が「本来は望んでいない」ということを気付いていないケースが多いこと。
エホバの証人2世は、生まれながらに洗脳されている。そのため、自ら望んでエホバの証人をやっていると思い込んでいる。
しかし、楽しい学校行事を避けたい子どもがいるはずがない。恥ずかしい思いをして、学校行事を見学するのを望む子どもがいるはずがない。
エホバの証人の家に生まれなければ楽しんでいたモノを、生まれの不遇さで制限され、その不自由さに気付きもしない。
子どもの私にとって、この証言の強制が非常に苦痛だった。私は生まれながらのエホバの証人2世で、14才のときに自分の意思でエホバの証人をやめた。ゆえに、エホバの証人から脱出するまでの14年間、信仰の証言を強要された。
小学校では、進級の都度、新しい担任に、自分がエホバの証人であると話さなければならない。
エホバの証人2世の子どもにとって、学校生活は異常に辛い。給食の「いただきます」と「ごちそうさまでした」の合掌から、クリスマスまで、何から何まで周囲と同じことができない。
このようなできないことや、参加できない行事が毎年、毎月、毎週、毎日ある。エホバの証人2世の日常はまさに生き地獄。子どもの私にとって、他人と違い悪目立ちするというのは耐えられない辛さだった。
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