エホバの証人の中ではまともだった私の両親、排斥とバプテスマの因果

エホバの証人の中ではまともだった私の両親

私の父親はエホバの証人の会衆内の長老だった。会衆というのは、エホバの証人の信者数が100人弱に収まるよう調整された地域ごとの集団。長老というのは会衆の責任者のような存在。教団の中間管理職的な立場。

父は会衆内の信者個人が抱える問題を解決することが出来なかった。長老というのは、所詮は教団の伝書鳩的存在だったから。

しかし、エホバの証人をやめた後で、父は他人が抱える個人的な問題を解決することが出来た。

父が母と離婚し、別の女性と暮らしていたときのこと。その女性の子供が友人関係に大きな問題を抱えていた。友人の一人が重犯罪に手を染めていた。

これが本来の友人であれば、それはそれで別の問題が発生あるのだが、実際には脅されて付き合わされていた。父は、その悪友との関係を断ち切るべく交渉にあたった。

父は、私にとって勇気と責任感を持った強く格好良い人だった。エホバの証人にさえ関わらなければ、それを体現し続けることが出来た

私が自動車事故を起こしたときに、相手が運悪く暴力団関係者だったことがある。父はその事務所へ一緒に謝りに行ってくれた。小さな傷がついた高級車を買えと言われ、父は誠心誠意謝るとともにしっかりと断ってくれた。

この頃の私は、両親よりも先にエホバの証人をやめており、両親の教団第一という価値観とは圧倒的な相違があった。それにも関わらず、父は1人の親として私の問題を解決してくれた。

私の母親にしても父親と同じだった。私がエホバの証人をやめたあとでも普通の母親として20才で家を出るまでの期間を接してくれた。

私がエホバの証人をやめた後の両親の態度。両親の姿勢が、私が社会的に足を踏み外すのをギリギリで押しとどめた。両親に見放されていれば、10代の私が激しく暴走し、社会からも孤立した可能性が高い。

また、10代で両親に見捨てられたとなると、精神的なダメージも大きい。現在の私のようにノーマルな家庭を築くことすら難しかったかも知れない。

エホバの証人の親が、脱会した子供は死んだと考えることはよくある。「霊的」に、エホバの証人的に死んだということ。マインドコントロール信者にとっては、精神的な死も物理的な死も大差ない。

こうして親に殺される子供がいることを考えると、私は信仰を強要されたとは言え、まだマシな方だったと言える。

エホバの証人というカルト宗教の被害を受ける二世信者の子供たち

元エホバの証人二世の生まれて最初の記憶

エホバの証人組織からの排斥の有無が、親子関係を残す鍵

私には10代のうちに付き合っている彼女がいて、実家に連れ込んでいた。未成年でありながら、飲酒や喫煙を始めていた。

これは、正式なエホバの証人であれば排斥となる禁止事項。正式な、というのはバプテスマという儀式を受けたかどうか。私はバプテスマを受ける前にエホバの証人をやめていたので、排斥処分にはならなかった。

バプテスマとは、一般的なキリスト教やユダヤ教でいうところの洗礼とか浸礼の儀式。この儀式を受けると正式なエホバの証人とされ、信者からは兄弟姉妹と呼ばれる。逆にバプテスマを受けていない信者は”さん”づけで区別される。

バプテスマを受けた信者が排斥処分になると、エホバの証人の戒律では家族であっても接触を最低限に保たねばならない。排斥処分にならなかった私に対して、両親は親として関わりを持ち続けてくれた。逆に

私が排斥になっていた場合、親子関係がどう転んだかは分からない。バプテスマを受けた信者が、エホバの証人的重罪を犯すと排斥になる。排斥になると教団の掟が、家族や親子の絆を引き裂く。

私がバプテスマを受けなかったのは、最後の最後で両親に守られていたということだったのかも知れない。

私がエホバの証人活動に不熱心だったのも、バプテスマを受けなかった要因ではある。私が不真面目なエホバの証人だったのは、図らずして自衛になっていた。

我が家は、父が会衆の主催の長老、母は正規開拓者という筋金入りのエホバの証人家族だった。子供の私が不真面目でもむりやりバプテスマまで押し切ることもできたはずだ。

立場的に見栄を張りたかったはずだから、むしろ両親もそれを望んでいた。しかし、14才で私がエホバの証人をやめるときまで、バプテスマを強要されなかった。やはり、これは最後の最後で両親によってカルトから守られたということなのかも知れない。

あなたの家にも必ずやって来るエホバの証人

我が家は、エホバの証人組織のマインドコントロールに陥り、崩壊するという不運に見舞われた。とはいえ、私はまだマシな両親のもとに生まれてきた。歴史にもしもはないのだが、エホバの証人にさえ出会わなければこんな運命をたどらなかった。しかし、

エホバの証人は必ずあなたの元にやってくる。家から家を誰一人として漏らさないようにして巡っているから。エホバの証人に出会う不運は必然。

危険なカルトにマインドコントロールされたエホバの証人は、間違いのない善行のつもりで熱心に勧誘活動を行う。その布教活動は無意味で何も生み出さない。新たな信者の発掘は、教団を潤すだけで何も生産しない。

エホバの証人の自称ボランティア活動は、平和な家庭の破壊活動である。エホバの証人という悪の手先の来訪には、細心のご注意を。


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