死ぬ気になれば、エホバの証人の排斥という死刑宣告ですら怖くない

絶望的なエホバの証人集団

私は両親ともにエホバの証人というカルト宗教家庭で育った。エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教。米国に世界本部がある。輸血拒否や子どもへの体罰が日本でも問題視されている。

私は小学校6年生の頃から、エホバの証人をやめたいと悩み始めた。そして、14才の秋にエホバの証人をやめると両親に宣言。深いマインドコントロール状態にあった両親は、私の決意に悲しみ、衝撃を受けた。

エホバの証人は熱心に布教し、宗教活動に人生をかける。その理由は教団が予言しているハルマゲドンという教理にある。ハルマゲドンという世界の終わりを生き残れるのは、正しいエホバの証人だけという設定になっている。

ハルマゲドンさえ生き延びれば、地上はエホバの証人だらけのパラダイスとなり、生還エホバの証人は永遠の命を享受できるというトンデモ教理。

私は、エホバの証人だらけで何の快楽も都会的な洗練もない楽園に対して、全く魅力を感じなかった。その自称楽園での永遠の命のために、今を犠牲にするということが納得できなかった。

人生の実りや輝きは、今という一瞬に熱を注ぐこと。永遠よりも刹那の方が重要だと14才の私は思っていた永遠の緩慢など無意味。

この頃の私は、エホバの証人の知識を14年間に渡って深く植え付けられていた。逆に少し考えるだけで教理の矛盾を指摘できる状態だった。

しかしながら、エホバの証人組織の言うことの一部は真理だという洗脳状態にあった。根本の教理については疑う余地が無かった。神エホバは存在する。そして、ハルマゲドンは起こるという認識だった。

私はいまだに深い洗脳状態にあったが、教団が発行する宗教本の幼稚さや、組織内の人々の知能レベルの低さには気付き始めていた。1990年代の後半頃まで、エホバの証人には高等教育が不要と推奨されていたことのがその要因。

また、所詮は何らかの弱みにつけ込まれて勧誘、マインドコントロールされた集団。精神的に不安定だったり、体に障害があったり病弱であったりという人々の集まりだった。

そういった人々が、自分で何も考えず、思考を停止、教団の言いなりになっている。家畜と同じ。

エホバの証人の中には、魅力的に見える大人の信者や同年代の2世信者がいなかった。14才の私は、周囲の人々が自分より馬鹿に見えて仕方がなかった。現世から逃避した弱者の集団。そこには若さという宝石を持て余した私の居場所は無かった。

エホバの証人を脱会、エホバという傷を抱えて生きるリアル人生

ハルマゲドンでやけっクソのエホバの証人2世

エホバの証人組織からの排斥、背教者への死刑宣告

14才の私は、四六時中エホバの証人をやめたいと考え出して3年が経過、それが実現したばかり。理論武装は完璧で、タイミングがあると両親に対しエホバの証人教理の矛盾を指摘し、自己満足に浸っていた。

エホバの証人にとって一年で一番のイベントである主の記念式という儀式がある。この宗教式典に、どうしてもと両親に連れて行かれたことがあった。脱会後、教団の集会に参加するのは初めてだった。このときも、記念式の教理について矛盾を指摘し、悦に浸っていた。

これは他の信者に対しても得意げに語っていたので、エホバの証人的には背教とみなされる状態。もしも私がバプテスマという献身の儀式を受けた正式なエホバの証人だったなら排斥確定だろう。

排斥とはエホバの証人組織から除名され、村八分にされること。エホバの証人でない人間にしてみれば大歓迎なのだが、マインドコントロール信者にとっては死刑宣告も同義。悔い改めない限り、ハルマゲドンでの死が確定。

また、家族であっても村八分ルールは適用され、排斥家族とは最低限以上の接触しか許されない。

とはいえ、10代の私はまだ深い洗脳下にあり、ハルマゲドンの到来を信じていた。私にとって、自分の人生はハルマゲドンで滅ぼされるまでの間の僅かな命。それゆえに、

私は神をも恐れない状態だった。死ぬ気になれば何でも出来るとはこういうこと。下らない組織から追い出される排斥処分は死刑宣告であり、当然、両親を深く失望させる。そんなことも怖くなかった。


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