教団の「不都合な真実」と、自分の「不都合な真実」
『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。
新宗教の理想と現実のギャップを知ったときに信者は
自分にとって「不都合な真実」に直面したとき、それを直視せず、自分で自分をごまかすという方向に行く人たちが少なくありません
教団の「不都合な真実」を自分の「不都合な真実」に誤変換している。カルト教団に安易に同化すると、被害者だったはずがいつの間にか隠蔽や欺瞞に加担する加害者になる。
もしくは新宗教に関わったという自分の行為を過ちだと認めることができず、その過ちが「不都合な真実」となっている。しかし、間違いは早めに正さないと取り返しがつかなくなる。
教えを本当に伝えるのは難しいので、仮のわかりやすい教えを説いて信者たちを導き、ある程度、理解が進んだ段階で、本当の教えを示す
という「方便」。
それは、ただごまかしているだけにもなりますが、それを教団のため、信仰のためと正当化し、受け入れてしまう
やっていることはインチキカルトの王道で、ズバリ書くと
「教義の本質を最初から伝えるとカルトであることがバレるので、都合の良いように教えて欺き、ある程度、マインドコントロールが進み取り込んだ段階で、カルトの本性を現す」
これが信者の騙し方。マインドコントロールが進むと、カルト組織第一思考となり、教団にとっての「不都合な真実」がまさに自分にとっての「不都合な真実」となる。
カルト末期信者の症状とは
信者が殺人を犯すなどということはめったに起こらないことですが、信仰のために好ましくない事態をごまかすことは珍しくはありません。
エホバの証人の場合は、輸血拒否で殺人を犯している。そして、信仰のために教団にとっての「不都合な真実」を隠すことは常。政府や法律より教団の権威を上位においているので、エホバの証人は組織のためなら法令違反も厭わないという反社会的集団。
人として、都合の悪いことをごまかすなんてことはあってはならない。ところが、エホバの証人をはじめとするカルト信者は、「信仰のため」という建前で不都合な事態をごまかす。
どんな信仰であろうと、どんな教団であろうと、たかが宗教のために真実を捻じ曲げることは決して許されない。カルト信者による自己中心的ルールが勝手に発動しているだけ。
何であれ真実をごまかすことが許されないのに、カルト信者はそれをごまかす。これはエスカレートしていき、最後には信仰と何も関係のないところでも、都合の悪いことをごまかしはじめる。
エスカレートする前の段階でも、信仰のためと言って真実を歪めることは許されない。ところが末期信者だと信仰など関係なくただのエゴで事実を捻じ曲げる。自身と妄信しているカルト信仰が一体化してしまっているので、こんな顛末になる。
「カルトのためなら事実を曲げて良い」から始まり、末期信者になるとカルトとイコールの自分の主張のためなら事実をもねじ伏せるようになる。
こうしてカルト批判していると、湧いてくるカルト擁護者がそれ。自分が賢く、神の代わりに語っているかのように、偉そうにカルト擁護論を展開してくる。カルトにとっての不都合な事実など目に入らない哀れな末期信者。アーメン。
“哀れなカルト末期信者の症状「不都合な真実の隠蔽」” への1件の返信