エホバの証人の輸血拒否で死んじゃう人を見過ごすのは・・・
エホバの証人の常識は世間の非常識。非常識を超えて危険思想だと昨日の記事で書いた。その危険思想を隠すくらいのバランス感覚を持っていて、教団の高い地位にある信者、例えば広報担当などに彼らにとって都合の悪い質問を投げかける。
その質問にエホバの証人感覚で回答したなら、そのまま全世界にエホバの証人の危険度を晒すだけ。今回は、外見を重んじて建前回答が来たときの想定対応。
今日の質問は
「エホバの証人は輸血しないと死ぬ場合でも輸血を禁じていますか?」この質問に対するデフォルトはYes。エホバの証人は実質輸血を禁じている。そのために無駄死にした信者が存在する。
この段階で激ヤバ宗教なのだが、不思議なことに現在の日本の常識では信条を理由に輸血拒否して無駄死にすることはOKとされている。個人の自由だと。どこまでも愚かになることも個人の自由だとされている。
子供の場合は、エホバの証人親の親権を停止して、命を救うための輸血をすることが認められている。
大人のエホバの証人も教団のマインドコントロール下にあり、輸血拒否して死ぬという愚かな選択をする以上、子供と同じ、正常な判断能力を有していない。周囲が命を救ってやる必要がある。世論をこの方向へ是非とも導きたい。
当然じゃないか?ビルの屋上から飛び降りようとしている人がいたら全力で停めるだろ?エホバの証人の輸血拒否も同じ。強引に命を救うべきなんだ。
だって、神様なのか何か分かんないけれど、せっかく賜った貴重な命なんだよ。無駄死にさせちゃダメだって。輸血拒否で死ぬのは無駄死にだと正常な判断を下せる人間が命を救ってやるべき。
大きく本題から逸れたが、輸血に関して、エホバの証人広報がウソをついた場合。
輸血拒否して死んでも救いは確定しない、というか救われない
「エホバの証人は輸血しないと死ぬ場合でも輸血を禁じていますか?」
「いいえ、個人の自由意志に委ねています」こういった玉虫色回答が来た場合。ほとんどの場合でこの回答がくるだろう。
「ということは、命を優先して輸血しても良いんですか?」
「はい、個人の自由意志に委ねています」という回答になる。
「たとえ輸血してもエホバの証人として不利益を被ることはないんですね?」
「あと、大昔に輸血拒否して死んだ子供がいましたが、あれも自由意志だったんですね。本人の願いどおりに生きようと思えば生きることもできたと。であれば、あの死は無駄死にですよね?」
「無駄死にでないとすれば、輸血拒否して死ぬことで発生する価値を教えて下さい」
「輸血拒否で死ぬことに何らかの価値があるのなら、輸血しちゃうとその価値は得られない。つまり、輸血することで不利益を被るということでは?もはやそれは自由意志と言いつつ脅しですよね?」
このやり取りの間に、
- 輸血拒否して殉教したとしても復活確定ではない
- 輸血したとしても、許される可能性がある
- 救いの基準は人間の知り得るところではないので、結局は神次第
と言ったご都合回答を引き出せたら、
「今、目の前にエホバの証人の方がいるんですが、その方に対しても同じ回答ですか?」と目の前に現役エホバの証人を配置出来ていれば良し、いなければ録音しておいて後から聞かせれは良い。
組織外の人間に対して、真実を告げられない。後ろめたいところがある。信者の生殺与奪権を握ったふりをしながら「個人の自由意志です」という逃げ回答。神権的戦術という言葉だけではごまかしきれない組織の二枚舌。
これを知った現役信者にエホバの証人組織への疑念を抱かせることが出来るかも知れない。教義も組織も怪しいので、輸血拒否して死んでも救いは確定しない、というか救われないと。実はそれが真実。
“エホバの証人が輸血拒否して殉教しても、復活確定しないよね” への1件の返信