エホバの証人の暫定真理は真理じゃない
昨日の記事の続き。小学生の私はエホバという偽神の存在を信じ切っていた。エホバの証人の王国会館が低俗な人間の集まりで、教義もハリボテ感があると、この時には思い始めていた。
しかし、この点に対してものみの塔協会は先手を打って牽制している。「人間は愚かで不完全だ」と繰り返し教えられる。
エホバの証人の王国会館に集まる人々が特別愚かなだけだったのだが、私はそんなモノかと一応は納得していた。
また、教義がツギハギでインチキ臭い点も、「不完全な人間が神との経路になっているので時には間違う」と、ものみの塔は保険をかけていた。この点もならば仕方がないかと、私は深く考えずに納得していた。
それくらいに、エホバ、ハルマゲドンというのは私にとっては重力や空気のように当然の存在で、疑うということが出来なかった。
とはいえ、もうちょっとだけ突っ込んで考えるとイカサマなのは明らか。
エホバの証人の教義は自称真理なのだが、これが既に矛盾。不完全な人間が経路になっている、間違うことのある教義が真理というのはおかしい。明らかな矛盾。暫定真理は決して真理じゃない。
エホバの証人は輸血拒否に命を賭けているけど、それだって間違っている可能性がある。(大間違いなのだが・・・)
それなのに、エホバの証人が暫定真理に異を唱えると徹底的に粛清される。暫定真理なんだから別にいいじゃん。議論の余地ありだろ。
エホバの証人の周りには何重もの曇りガラスが・・・
エホバの証人が教義に異を唱えると即刻処分されちゃう点に、独善的な人間組織の影が垣間見える。ここまでくると、空気のようだったエホバやハルマゲトンが曇りガラスくらいに見えてくる。もしや人間の創作物ではと。
暫定真理に異をはさむというのは、エホバの証人にとって背教行為。背教者扱いはエホバの証人にとって死刑宣告にも等しい。背教思想も同様。全知全能のエホバ様には全てお見通しというわけなので。
となると、いくら暫定真理とは言え簡単に疑えない。
エホバの証人の周りには曇りガラスか何重にも重ねられ、さも透明な空気のように感じられる。外から見るとあんなに曇りガラス重ねて前が見えるのかと心配になるくらい。
実際にエホバの証人は曇りガラスの屈折で外部を正しく認識することができない。これがエホバの証人のマインドコントロールで、私ももれなくこの状態だった。
この状態から抜け出すには捨てること。親を、希望を。妄信状態の親を捨て、永遠の命という偽りの希望を捨てる。明日ハルマゲトンで死んでも良い。今を自由に生きることだけが生の価値。私はそう思ったときにエホバの証人を辞める覚悟が出来た。
後押ししてくれたのは、エホバの証人の王国会館の中にいる信者たち。まるで人間動物園。自由を放棄し縛られている人間は醜い。世界にはもっとカッコよく美しい人がいるのに、何が悲しくてこんな人間動物園の連中と一緒に永遠に生きなきゃならないんだと。
明日死んでもいい。何にも縛られない生き方こそ美しくカッコいいのだ。
そうしてエホバの証人をやめたのだが、私のマインドコントロールは解けない。天につばして生きているから、いつでもハルマゲトンで死ぬのは覚悟の上だった。これほどにエホバとハルマゲトンは私の小さな世界の常識だった。
幼い子供に何かを教える親の責任は重い。変なことを教えるとずっとそのまま。