『カルトの花嫁』、人はパンだけで充分に生きていける

カルトが道徳を語るな

『カルトの花嫁』を読み始める。統一教会の話。本ブログの主旨というか宗旨というか、骨子からハズれるのだが、似たモノカルトということで。

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私もエホバの証人の二世だったが、結婚相手まで斡旋されて合同結婚式なんてのはエホバの証人の場合はないかと思うも、いやいやそうでもない。

私は14才で脱会したから、ことなきを得たがエホバの証人はエホバの証人としか結婚が認められない。しょせんは似たモノカルト。

エホバの証人も統一教会と似ていて、純潔だとか不道徳NGという主張のもと、若いうちの恋愛や婚前交渉が大禁止。婚前交渉っていう言葉がエホバの証人っぽくて嫌なんだが、他に何と言えばいいのか・・・

このカルト信者たちは、自分たちが純潔で道徳的に守られているのが素晴らしいとか思っている。

いやいや、カルトが何言ってんの?カルトの存在自体が不道徳だから。

年頃になれば、手をつないだりキスしたりなんてのは普通だから。そこに目くじら立てるのが既に不道徳。意識しすぎなんだって。

そして、輸血禁止したり、献身させたりっていう教義はとてもとても不道徳。

私が偽神エホバの存在を信じた理由、地球が丸いのと同じ

人はパンだけで生きていける

第1章「カルトにはまる」より。主人公の母親は仏教道場という入り口から統一教会へ。

日本人にはキリスト教の基盤がないため、仏教からの方が入りやすいという理由から、この道場が、統一教会への橋渡し的な役割を果たしていました

こうなると、もはや神社でも空手でも何でもいいじゃん。本性を隠して近づいてくるあたりが抜群に怪しい。やり口がそのままカルトなのだが、道場とかに行って、相手のフィールドに立っちゃうと戻れなくなる。

催眠術とか怪しげな薬とか使わなくてもマインドコントロールされちゃう。相手はその技術だけで、組織を維持してきたのだ。不必要に近づくべきじゃない。

人間は神がいなくても充分に生きていける。パンがないと生きてはいけないが。あとスマートフォンと水くらいあれば、神など不要だから。余計な人、場所、宗教には関わるべきではない。

作者は母親に対しての憐憫がカルトにハマるきっかけとなった。

私の人生なのだから、誰が優先とか、誰のためとかではなく、自分自身の人生を歩んでいくべきだった

これが人生の本質のひとつで、一番近い肉親ですら自分の人生に干渉させるべきではない。保護者の愛情とか、全くの良性のものだけであっても受け入れるべきではない。どれだけ近くても違う人生なのだから。

最期の最期は自分で決めないと。先に死んでいくはずの親は責任をとってくれない。他人に重大な決定をゆだねたことは一生の後悔になるし、その後の人生に甘えとか意思決定できないちゃんになるとか、悪影響が出る。


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