カルト宗教2世被害者の「逆恨み」、理不尽な現実から安直な方法で逃避しない

カルト宗教被害者の「逆恨み」

昨日までの記事でカルト宗教2世被害者のすべきことは、まずは自己の生還、楽しく生きている姿を見せること、最低でも「やめて良かったカルト宗教」の境地に至ることと書いた。

我々のすべきことは、暴力というその場限りの安直な復讐では決してない。その暴挙に向けるエネルギーを自身の生還に使い、それでもカルトに対してわだかまりが残ったら、というのが本日の話。

今回の安倍元総理銃撃事件の容疑者同様、私にも、ものみの塔を恨む気持ちは強くある。限りなく大きくシナイ山くらい。紅海よりも深い。しかしながら、その莫大な恨みは、あくまで私怨であり、傍から見れば「逆恨み」と言われちゃう。

カルトとは言え、正式に認可を受けた宗教法人であり、拉致とかテロとかはどちらのキョウカイも恐らくはやっていない訳で。

多額の寄付や時間を搾取されたのは、「お前の親が愚かだっただけだろ」と言われれば、ぐうの音もでない。こうなると、終末論とかで恐怖を煽り騙されていたとはいえ、カルト被害者の恨みは、しょせんは「逆恨み」。

カルト宗教”2世”被害者の場合も、「逆恨み」

“カルト宗教2世被害者の「逆恨み」、理不尽な現実から安直な方法で逃避しない” の続きを読む


安倍元首相銃撃事件から考える、宗教2世被害者の復讐

元エホバの証人(JW)2世、もう一人の自分が起こした事件

安倍元総理が銃撃された事件。容疑者が特定の宗教団体に恨みがあったと供述していることで様々な憶測を呼んでいる。

容疑者が宗教2世であったという仮定で話を進める。

私も同じ境遇で、ものみの塔協会=エホバの証人(JW)という宗教の2世信者だった。このカルトのせいで家族は崩壊、私の子供時代は宗教を強要された悲惨なものだった。

今回の事件の容疑者は、私とほぼ同じ年齢。背格好も似ていて、取り押さえられる瞬間の映像を見ていると、まるでもう一人の自分を見ているような気すらしてくる。

宗教を恨み、世間をひがみ、世界を呪っていた頃。あのままの私だった場合。そのまま20年という時がたち、孤独と憎しみに満ちた人生に行き詰まったら。失うもののない、持たざる人間の恨みの発散。

私は、たまたま新しい家族に恵まれ、何とか社会復帰をしたものの、そうではない野垂れ死に上等という生き方を続けたまま、人生の後半に差し掛かろうとしていたら。

JWは政治とは結びつかない建前なので、特定の政治家の票田にも金づるにもならない。憤懣やる方ない感情の発散先は、今回の容疑者のように政治家には向かず、宗教そのものへ向かう。

近所のJWの王国会館という集会所や日本の支部本部がその矛先に。

もう一人の自分の可能性を見て、ゾっとするのと同時に涙が出そうなほどに容疑者の生涯に悲しみを覚えた。

宗教2世被害者が、宗教に対して復讐する方法

“安倍元首相銃撃事件から考える、宗教2世被害者の復讐” の続きを読む


安倍元総理銃撃事件、宗教2世被害者の成すべきこととは?

元エホバの証人2世のすぐ隣で起きたテロ事件

安倍元総理が銃撃され亡くなった昨日の事件。本ブログの主旨とは関係ないのでいつも通りの通常運転でいこうかと思っていたのだが・・・

安倍元総理死去 山上容疑者「ある特定の宗教団体に恨みがあった」

などの記事を目にする。

全く関係のないテロ犯罪かと思っていたら、お隣さんくらいに近しい場所で起こった事件の可能性もあった訳で。

詳しい事情は分からないので、容疑者が宗教2世被害者であると想定して話を進める。ものみの塔協会じゃない東アジア発祥の○○教会のほう。

エホバの証人の洗脳からの覚醒体験

エホバの証人2世のマインドコントロールが解ける瞬間

宗教2世被害者の生き方

“安倍元総理銃撃事件、宗教2世被害者の成すべきこととは?” の続きを読む


『星の子』の両親、早く風呂入れ~世界を広げることの効能

ズレまくりのカルト親、早く風呂入れ

『星の子』、映画版を見て後味が悪いと言っていたわりには原作にも手を出してしまった。AmazonのAudibleで会員無料だったので聴く。こんなにも惹かれてしまうのは、宗教2世問題の占める割合が私の中で大きいからか。

¥682 (2024/02/05 08:42時点 | Amazon調べ)

主人公の両親は宗教にハマり途方もなくズレている。ラストシーンを聴きながら、私は「早く風呂入れ」とずっと突っ込んでいた。そんな親のような者でも、子供を愛している。この愛が宗教2世の子供の足かせとなる。

親の信じちゃっているモノを否定できない。親の愛を拒絶できない。ゆえにカルトから逃げられない。

私はカルトにハマる親を捨てる覚悟でエホバの証人を脱会したのだが、相当に悩んだ。私自身も洗脳され、カルトを信じちゃっていたのだが、それはさほど関係なかった。

信じてしまっている神から裁かれようが、それは私自身の問題で覚悟を決めるだけ。甘んじて裁きを、死を受け入れる。

ただ、親の期待や愛情を裏切るのは難しかった。決断はできていて、実行に踏み出せないままひたすら時が過ぎた。

そうしてダラダラと脱会出来ないままカルトの中で時を過ごすと

薬を飲まされ、ICチップを埋め込まれ、催眠術をかけられ

高額の壺や水晶を買わされ、人生の全てを損なうことになる。

世界を広げることの効能

“『星の子』の両親、早く風呂入れ~世界を広げることの効能” の続きを読む


エホバの証人 > 大なりわが子、エホバの証人の親のような者

エホバの証人の親のような者の思考状態

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十一章 説得」。本書のクライマックス。

昨日の記事で、マインドコントロールが進行すると、エホバの証人の親は「親のような者」に成り果てると書いた。その親の思考状態が下記のように本書で描かれている。

目の前で死にかけている子供を見て、輸血をすれば助かるという場面。

輸血してもらおうか

と考える。しかし、

ふと、自分を迎えてくれたエホバの証人たちの温かさを想い出した。今輸血を認めれば、彼らからは離れなければならなくなる

この迷いも一因となり、頑なに輸血拒否を続け、子供を絶命させた。

本当にこの父親が、エホバの証人から離れるのがイヤで子供の輸血を拒否したのか、本人の心の内までは分からない。とはいえ、エホバの証人の親のような者の心情をうまく説き明かしている。

輸血拒否の最大の要因は、将来の祝福を子供本人も含め失うというエホバの証人の教義設定。さらに、組織から追い出されるのも怖い。前者はマインドコントロールゆえの思考なので、トホホンとしか言えないが、後者はなんとも自己中心的な思考。

やっと見つけた温かい居場所を失いたくないという稚拙な発想。子供の命を救うために最善を尽くすべきタイミングで、この自己都合が混じるのがエホバの証人の親。まさに親であって親ではない親のような者。

エホバの証人 > 大なりわが子の、親のような者

“エホバの証人 > 大なりわが子、エホバの証人の親のような者” の続きを読む


元エホバの証人2世(JW2世)の内的問題と外的問題

内なるエホバの証人問題

昨日の記事でエホバの証人を20年間完全シャットアウトしていたと書いた。完全シャットアウト時代を経て、なぜあえて反JW活動に舞い戻ったのか?

JWを完全シャットアウトし続けるのは何かが違うと思ったから。

いったい何が違うのか?

それは自分のJW問題が根本的に解決していないということ。

内なる問題はほぼ解決。というか元々そんなに問題は抱えていなかった。理由は私の両親がいわゆる条件付きの愛の持ち主ではなかったから。両親はガチガチのエホバの証人だったが、私がエホバの証人をやめても親子の愛は残った。

エホバの証人はエホバの証人だけを愛するようにマインドコントロールされている。エホバの証人であればという条件付きの愛。

私としては14才でエホバの証人をやめたら親子の縁切り、中卒で路頭に迷い野垂れ死にするつもりだった。エホバの証人で居続ける恐怖、屈辱に比べれば、まさに地上の楽園。

ところが、親は私を手放さず、高等教育を受けさせてくれるというものだから、それに甘えることにした。そして、両親もエホバの証人を離脱。

両親には酷い目に合わされたとは思うけれど、今の私の自己肯定感の高さは親に捨てられなかった、最後の最後で両親が無条件の愛を示したということに依っている。

子供はこの辺りの感覚は鋭敏で、幼い私も親の愛が無条件であると無意識化では認識していたのかも知れない。それも現在の私の自己肯定感の糧となっている。しかし、その無意識化の皮算用が裏切られたとき、子供たちの負う傷は深い。

今でもJWだった頃の苦行を夢に見ることもあるけれど、これが生きにくさの原因になっていることはない。今のところは。

最近、JWだった過去を積極的に掘り起こしているが、それも悪影響でなく、あのとき子供だった自分がして欲しかったこと、出来なかったことなどが整理されていく、どちらかと言えば好循環。

エホバの証人と私、外なる問題

“元エホバの証人2世(JW2世)の内的問題と外的問題” の続きを読む


脱JW・元JW(エホバの証人)・脱会予備群に対するタカ派意見

脱エホバの証人に対するタカ派意見

JW(エホバの証人)関連のSNSなどで、「いつまでもJW引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」的なタカ派意見を目にすることがある。自分もかつてほとんど同じ考えだった。私がJWをやめてから20年間くらい。

私はJWをやめたあとは全力で遊び、仕事に打ち込んだ。JW的なものは生活のすべてから完全シャットアウト。飛び込んでくる自宅への伝道者も、ドアを開けた瞬間に彼らと分かればドアを閉じた。

そうして過ごした20年。タカ派と少し違うのは、JWとかエホバの証人と口にすらしなかった点。つまり、「いつまでもJW引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」と思っていたけど、一切口にはしなかった。

完全なる一般人として過ごしていたので、「エホバの証人」と言ったところで誰にも通じなかっただろうし、周囲にエホバの証人関係者が皆無だった。そうなるように自身の周辺環境をデザインした。

エホバの証人という禁断のワードを持ち出したのは、エホバの証人の「残りの者」の人数をネットで調べようと検索したとき。ちなみにこのときに私の洗脳が解除された。

もう一度は現在の妻と付き合うとき。マジメに付き合うなら、さすがに自分の出自を明かすべきかと考え、エホバの証人2世という過去をカミングアウトした。

エホバの証人を完全シャットアウトした20年。その間、エホバの証人と発声したりキーボードに打ち込んだのは、たったのこの2回。今だと「え」の予測変換で「エホバの証人」と出てくるので、1日に100回近く打ち込んでいる気もする。現役時代にもない熱心さ。

エホバによって引き裂かれた自我、その再統合のための反エホバ

元エホバの証人2世の宗教観、妄信と暴走の果ての信念

“脱JW・元JW(エホバの証人)・脱会予備群に対するタカ派意見” の続きを読む


エホバの証人(JW)の少年、罪の贖いのために流れた血

エホバの証人11才、初「割り当て」の前に

私の初「割り当て」の晩に流れた贖いの血。

エホバの証人の割り当てとは?

割り当てが贖いを必要とする理由とは?

11才の少年の日々。砂山で遊んで砂だらけになった私は家に帰る。しかし今日はエホバの証人の集会の日、しかも初の割り当て。砂だらけになるまで遊べば、両親に怒られるのは目に見えている。

とはいえ、これが子供ながらの私のバランスの取り方だった。エホバの証人の子、カルトの子として窮屈極まりない日々。学校でも恥ずかしい思いと苦労のオンパレード。

そして、その日の晩はやりたくもない初の割り当て。数十人の信者の前で自作の宗教話をしなければならない。その前に、一旦無心で遊んで心身をリセットしたのだった。

この息抜き方法が限界に迫った数年後、私は人生そのものを終わらすか、エホバの証人をやめるかの選択を迫られる。

とりあえずその日は、親に怒られる前に砂だらけの服を払い、エホバの証人の集会に出かける服装に着替える。

そこで思い出したのは砂だらけになった靴。割り当てのために上がる壇上へ、砂を引きながら向かうわけにもいかない。靴の中の大量の砂を出すことにした。

エホバの証人の初割り当てという罪の贖いのために流れた血

“エホバの証人(JW)の少年、罪の贖いのために流れた血” の続きを読む


エホバの証人の子ども、初「割り当て」の日に流れる贖いの血

エホバの証人の子どもの初「割り当て」の持つ意味とは

昨日の記事で、エホバの証人の子供にとって初めての「割り当て」が大きな意味を持つと書いた。その意味とは?

エホバの証人の割り当てとは?昨日の記事にて。

ズバリ、罪。

人前でカルトの講演を行うという罪。しかも、自分で入念に考え丹念に練習して臨む場。巧みな話術で人々をたぶらかす悪の所業。

本人には罪の意識などない。だからといってカルト講話が敬虔な行いに転化されるわけなどなく、罪は罪。

子どもの5分程度の幼稚な小噺など、誰もマジメに聴きはしない。それでも、子どもの真摯なひたむきな姿に心を動かされた人がいたら。今どきそんな純粋な人はいないのかも知れないが、私の子どもの頃は、そんなふうにしてエホバの証人になった信者がゴロゴロいた。カルトの広告塔としての罪。

壇上の少年が自分の子どもと似たような年齢で強く感情移入してしまったり、元々感情が動かされやすいタイプだったり。既にカルトの集会所に来ている時点で予備群ではある。騙される素養満点。

子どもが必死に割り当てを果たす姿に、心を動かされる大人。

他人の人生を狂わす罪。

エホバの証人の子どもにとって、初めての割り当ては、罪深い道への第一歩。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

エホバの証人の子ども、初割り当ての日に流れる贖いの血

“エホバの証人の子ども、初「割り当て」の日に流れる贖いの血” の続きを読む


エホバの証人(JW)の割り当てとは?assignment?

エホバの証人川崎事件の少年と初めての「割り当て」

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」より。

エホバの証人の輸血拒否事件、川崎事件を扱った本書。被害者児童が亡くなったのは1985年6月6日。本書によると翌6月7日はこの少年の「初めての割り当て」だったとある。

エホバの証人の割り当てとは?

正式なエホバの証人になるには、段階を踏む必要がある。ここでいう正式というのは献身、バプテスマという儀式を受けること。この儀式を受けたエホバの証人は、組織内で「兄弟、姉妹」と呼ばれる。

亡くなった少年も、断固輸血拒否したその父親も献身しておらず、まだ「兄弟」ではなかった。マインドコントロールの危険度合いは献身宣言の有無には依存しないということだが、エホバの証人の目指すところは、一旦はこの献身である。

仲間内から「兄弟、姉妹」と呼ばれる、馴れ合いの疑似家族空間の仮想温もりがこのカルトの一端を支えている。私みたいにこの馴れ合い環境を気持ち悪いと思う者は、ズブズブ馴れ合い信者に比べれば、脱会へのハードルは低い。

自称「伝道」、エホバの証人のねずみ算的集客システム

エホバの証人のバプテスマとは

“エホバの証人(JW)の割り当てとは?assignment?” の続きを読む