キングオブカルト、エホバの証人。激ヤバ信条と非人間的性質

カルトの王様、エホバの証人

wikipediaの「エホバの証人」を正しい姿に

wiipediaの「エホバの証人」、「マインドコントロール・脱会問題」の項目に

ジュリア・M・コルベットという無名の人が

「エホバの証人は,正直で,礼儀正しく,勤勉だという評判を得ている」と述べている

と記述されている。ここでの議論は、マインドコントロールされているか否か。

エホバの証人が正直だろうが、何だろうがマインドコントロールされているいないとは関係ない。よって、このいまいましい記述をwikipedia上から削除する。

すると、エホバの証人と思われる人物が記述を復元。非中立的な編集をやめろと警告を送ってくる。このイタチごっこ。

前述のジュリア・コルベットちゃんだが、ネットで検索しても出てこない無名人。それでも粘り強くネット検索すると、辿りつくのは「JW.ORG」エホバの証人公式サイト。

エホバの証人公式サイトの「エホバの証人はカルト教団ですか」という記事にゴールする。エホバの証人はカルトなのだが、この記事では当然それを否定。

その根拠として、ジュリア・ミッチェル・コルベットの前述の「エホバの証人は正直云々」を引っ張り出している。

wikipediaの現役エホバの証人は、このエホバの証人公式サイトの内容をそのままの引用。マインドコントロールの議論に、カルトか否かの記事を引っ張ってきている謎引用。消しても復元されるので、引用元がエホバの証人サイトであるので信用ならない旨、wikipediaを訂正しておいた。

自身が自身をカルトでないと言う記事など信用できるはずがない。誰でもそう言うだろ。しかも、マインドコントロールとカルトは関係ないし、無名のジュリア・コルベットちゃんがエホバの証人を正直だと言ったところで、それとカルトか否かも無関係。

また簡単に元に戻されそうなのだが、編集履歴は消えないので、このwikipedia担当のエホバの証人の目に留まれば良いのだが。自分のやっていることの不自然さに気付くきっかけになってくれ。

エホバの証人の操作するwikipedia

キングオブカルト=エホバの証人

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20才の洗脳解除から20年。2022年、本当の敵は誰?

2022年、本当の敵は?

20才にして、生き直し

私は、生まれながらにしてエホバの証人というカルト宗教の2世信者だった。14才で自分の意思でカルトを脱会。20才を超えてエホバの証人の洗脳が解けた。ここまでが前回、20年後の日曜日、洗脳からの覚醒

2002年のとある日曜日。「エホバの証人はものみの塔に騙されている。教理は全部ウソだ」と、スカッと覚醒したのだが、スカッとしないのは気分の方。

14年間も騙されていたとなるとムカムカするし、おかげさまで両親は信条を違えた時期に離婚、家族もめでたく崩壊済。ウソで頑丈に塗り固められたものみの塔の前に、圧倒的な無力感だけが残る。

私は運よく14才で脱会、短大卒まで修了し、就職氷河期の最中に手堅い会社に就職していた。エホバの証人のことは何もかも忘れて、真っ当人として生きていけば良かったのだが・・・

いやいやながらも14年間も信仰していたモノ、20年間も存在を信じていたモノが、スカッと崩れ去った。そのため、私は自分の根幹となる「芯」のようなものを失った状態にあった。それは、行動の指針であり、守るべきモノであり、生きていく目的のようなもの。

私は20才を超えて、生まれたての状態に逆もどり。唯一の行動の指針は非エホバ的であるということ。

  • クジラ=喰う
  • 献血=する
  • タバコ=吸う
  • 酒=大量に飲む
  • 異性=不純に交際する
  • 暴力=OK
  • 法律=守らない
  • ギャンブル=する

エホバの証人の逆をいけばそれでいいと考えていた。そもそも考えるということをせず、14才脱会後の反動でエホバの証人禁止事項に手を出しまくった惰性のまま、エホバの証人全否定行動を続けていた。

2022年、本当の敵は・・・

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元エホバの証人2世、20年後の日曜日に洗脳から覚醒

20年目の洗脳解除

ハルマゲドン、まだですか?

西暦2002年、「ハルマゲドン遅くね?」の疑問を解消するために、私はインターネットで「エホバの証人 残りの者」と検索した。

ハルマゲドンとはこの世の終わりのこと。私がハルマゲドンの勃発を信じて疑わなかったのは、エホバの証人という宗教に洗脳されていたから。

エホバの証人というのは、「ものみの塔」という呼び方でも知られる米国由来のカルト宗教。信者はハルマゲドンという終末思想にマインドコントロールされ、人生を搾取される。

エホバの証人は、子どもをもれなくエホバの証人にする。私の両親は、熱心なエホバの証人だったので、私も2世信者として14年間を過ごした。私は14才のときに自分の意志で脱会したのだが、エホバの証人による洗脳が解けたわけではなかった。

きたるハルマゲドンでの死を覚悟し、人生最期の快楽にふけっていた西暦2002年。「それにしても、ハルマゲドンはまだかいな?」と、インターネットでエホバの証人について調べた。

「エホバの証人 残りの者」と検索。エホバの証人の教理では、地上での生き「残りの者」という特別枠が全員死ぬと、瞬時にハルマゲドンが発生する設定になっている。

使徒とリリスが接触したらサードインパクトが起こるあの感じ(分からない人は気にしないで・・・たいした話じゃないので)。

「残りの者」には人数制限があり、老人ばかりなので、ほどなく死に絶えるはずだった。ところが私は、インターネットで「残りの者」の人数が増えていることを知る。

元エホバの証人2世、洗脳からの覚醒の瞬間

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2002年、もっと生きたいと願う元エホバの証人2世

サッカーワールドカップを見ながら、まだ生きていたいと願う

2002年、もっと生きたいと願う

私の前半生。生まれながらのエホバの証人状態から脱出、しかし洗脳は解けず。ものみの塔の予言するハルマゲドンまでの刹那を遊び尽くす。ここまでが前回の話

テレビで2002年のサッカーワールドカップを見ながら、「人生に悔い無し」と私は感じていた。やるべきこと(ひたすら遊ぶことだが)をやり尽くしたので、ハルマゲドンでの死は覚悟の上。

2002年の日韓ワールドカップには、私が好きだったキングKAZUこと三浦知良選手は出場できず、それでもカズは、この頃は現役選手を続けていた。

彼は1990年代の日本サッカーを引っ張り、初の日本のワールドカップ出場にも貢献。ところが、カズは日本が初出場したワールドカップ本大会の出場は叶わなかった。これが1998年フランス大会。

1994年には有名なドーハの悲劇で、あと一歩でワールドカップに届かず。最後に点数を奪われたラストパスにカズの足が届いていれば、本大会に出場できたという運命の皮肉。

そんなことを私は思いながら、いまだ現役でいるカズを思いながら、切なさがこみ上げる。

こうしてビールを飲みながらワールドカップを見るのも、おそらくこれで最後。1998年のフランス大会は一人でシャンパン空けたものの、苦くて飲めきれなかった。当時は10代後半。今では20才を超え、ビールが心底旨く感じる年齢に。

もっと生きていたい、と私は思った。生きている者の生存本能。

以下、余談。この頃現役だったカズは、誰もが予想し得なかったことに、2022年の今でも現役。今でも日本代表に召集され、ワールドカップに出ることを諦めていないのかも知れない。不屈の精神。本当に偉大なのはキリストなんかじゃなく、キングKAZUだ。

元エホバの証人2世、洗脳解除の瞬間

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西暦2002年、元エホバの証人2世の終わりの日は?

2002年サッカーワールドカップを生きて見られるとは・・・

死を覚悟してサッカーボールを蹴り続ける

西暦2002年、日韓合同開催のサッカーワールドカップ。生きてこれを見られるとは思ってもみなかった。

私は生まれながらのエホバの証人2世信者だった。

エホバの証人というのは、米国由来の終末思想を持つ新興宗教。子どもをもれなく信者にして、縛り付けて自由を奪う。親の1世信者に対し、子どもは2世信者と呼ばれている。

1990年代後半、私は14才のときに親と決別し、エホバの証人をやめた。

この頃の私はサッカーに熱中しており、エホバの証人をやめて四六時中ボールを蹴っていたいと考えた。

エホバの証人はスポーツに打ち込むことは禁止。勉強に打ち込むことも、会社員として必死に働くことも推奨されない。エホバの証人は、布教活動を中心とした宗教活動以外に熱中することが勧められていない。

エホバの証人が熱心に布教活動をするのは、終わりの日「ハルマゲドン」が近いから。ハルマゲドンとは神の怒りの裁きのことで、堕落した人類が神によって滅ぼされる。この裁きを生きてくぐれるのはエホバの証人だけという設定。

14才の私は、成人するまで生きられるとは思ってもみなかった。ハルマゲドンがくれば、神に従わない私は当然、滅ぼされると信じていた。ハルマゲドンでの憤死を覚悟の上、刹那サッカーボールを追いかけられれば、それで良かった。

恐怖、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らせ

ハルマゲドンに怯える元エホバの証人2世

死を覚悟して遊び尽くす

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ヒトの自由を侵害するエホバの証人に「信教の自由」はない

ヒトの自由を侵害するカルト

エホバの証人がカルト宗教である理由

私は、ほぼ生まれながらにしてのエホバの証人2世だった。

エホバの証人というのは、ものみの塔とという名前でも知られる自称キリスト教系の新興宗教。輸血や兵役を拒否する特殊信条や、児童性虐待などが問題になっており、一部の国ではカルト指定されている。

2世とは2世信者のことで、親の1世信者にこのカルト宗教を強制された子どものことを指す。

前述の特殊信条以外にも、エホバの証人には制限が多く、他の宗教臭のする行事の類いは一切禁止。これは子どもには辛い。クリスマスからお正月まで何もかも禁止。

親によっては、クラブ活動などの自由もないので、学校では浮きまくりの変人扱い。

また、近年では時代に流されて変わりつつあるのだが、私の子どもの頃は、体罰で厳しい戒律を押し付ける教育方針がとられていた。

大学などの高等教育もエホバの証人には不要とされていた。

問題ありまくりのエホバの証人なのだが、私がこの宗教をカルトだと決めつけている理由は、

自由がないこと。エホバの証人の子どもには自由がない。人権を侵害されている。エホバの証人の子どもは「自由に行動を選べない」。だから、エホバの証人はカルト。

この行動には、「学校の行事に参加する」から、「教育を受ける、信仰を選ぶ」といった様々な行動が含まれる。

1世信者は、自らこのカルトに逃げ込んだのだが、2世信者の子どもは圧倒的不運な星の下に生まれただけ。生まれや美醜、運も才能のうちだと言えば、それまでだが、この不運を挽回するべく、私はものみの塔というカルトと闘う決意をした。

1世信者も、思考・情報をものみの塔に制限されマインドコントロールを受けている。ものみの塔体質に陥れられることで、自身の自由意志を失う。マインドコントロールにより行動を制限されるという意味では、1世信者もカルト被害者。

エホバの証人の本質に関する質問、カルトの定義とは

以上をまとめると、

エホバの証人には自由がない。大人の信者はマインドコントロールにより自由意志を失う。子どもは、親によって自由を制限される。

ゆえに、エホバの証人はカルト。

カルトに信教の自由はあるのか?

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エホバの証人の「体質」改善、頑迷なパターン認識を変えるには・・・

エホバの証人の「体質」改善

エホバの証人「体質」とは

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の第6章「ものみの塔協会の体質と新世界訳聖書」の末尾部分。

エホバの証人の思考状態について、既に「体質」化していると説明されている。洗脳とかマインドコントロールと私は書いているが、エホバの証人的思考状態は「体質」という表現が、適切なのかも知れない。

面白い例え話がされている。

現在にキリストが降臨し、ベテルというエホバの証人の本部を訪ねたら。

「私はイエス・キリストです」と言おうものなら、気違いと思われるのがせいぜい

逆に悪魔サタンがエホバの証人っぽいスーツを着て、エホバの証人組織上の権威を持ってベテルを訪ねたら、100%受け入れられる。

この理由が、エホバの証人とその組織の体質にある。

現在のものみの塔協会は、真理そのものによって判定するのではなく、組織の権威によって判断するシステムになっている。真理とはすなわち組織なのである。組織の代表者、組織のスタンプ、組織上の特権には 非常に弱い体質

この「体質」問題がいかに根深いか、この資料では繰り返し強調されている。

教義は建前、体質は本音の世界だからである。特定の体質の中で長い間育まれてゆくと、細胞のレベルまでそのパターンがしみついてしまう。変えようとすると、生理的な拒否反応が起きてくるようになる。これは実に強力なもの

体質の改善は難しい。一朝一夕になるものではない。

エホバの証人の洗脳からの覚醒体験

『解毒』~エホバの証人2世の長い戦い

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エホバの証人の特権マスターベーション、トイレ掃除と同列の特権「伝道奉仕」

自分だけが気持ちいい、エホバの証人の特権マスターベーション

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『欠陥翻訳ー新世界訳』の第6章「特権体質」。昨日の記事に引き続き、エホバの証人の特権崇拝について考察。

本資料ではエホバの証人組織での「特権」というキーワードの使われ方が2つ提示されている。

1.快感神経を刺激するような使い方

2.少々屈折した使い方

1.の快感神経を刺激する特権という言葉の使い方は

「ラッセル兄弟と食事のテーブルを共に囲むという特権に与かりました」のような使い方。本資料には気持ち悪いくらいにこの使用例が出てくる。このような言い方が半ば癖のようになっている信者もいると、指摘されている。

教団内の重責者と一緒に食事をした、布教活動を行った、一緒に講演した、そういうことが特権だと自慢する使用法。これは、

特権がいかに快感神経を刺激するとは言え、気持ちいいのは言っている本人だけ。周囲にとってはただの自慢だし、信者でない私からすると「気持ち悪っ!」と感じざるを得ない。

現役信者のかたには、自分だけが気持ちいい特権マスターベーションはぜひ控えて頂きたい。本資料では、マジメに人物崇拝、特権誇示の危険性を次のように警告している。

特定の人物と特権意識が結びつくとすれば、それは人物崇拝になりかね ない。「教祖様の御顔を拝する光栄に浴しました」というのと、「ものみの塔協会の会長ノア兄弟と交わる特権に与りました」というのは、それほど大きな違いはない

あるいは、そういう言い方をすることによって自分の立場や組織を誇示しているのであれば、真のキリスト教とはまったく無縁の世界

この俗っぽさ、人物崇拝こそがエホバの証人の本質。

本当は「やりたくない」特権

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エホバの証人の特権体質、特権崇拝。実利のない中毒性のある猛毒

エホバの証人の「特権」聖書、新世界訳

エホバの証人の特権体質という中毒症状

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『欠陥翻訳ー新世界訳』の第6章「特権体質」の項目。エホバの証人の特権崇拝について考察されている。

私のように親に強制された2世信者ではない、1世の信者。彼らは人間的に幼稚で、自身の人格的欠落や劣等感を埋めるために、エホバの証人というカルトに逃げた人がほとんど。

1世信者のコンプレックスを埋めるために利用されてきたのが、ものみの塔が用意した特権というエサ。この特権は様々で、衆人の前で講演したり、インタビューされたり、教団内の役職を得たり。

この特権を追い求めると、聖書的生き方や真理などは二の次、特権第一となる。特権=神の是認とこじつけられているので、たちが悪い。

驚くべきことに、この特権に実利は全くない。

面倒くさい講演をした後に、拍手を浴びたり、教団内の身内同士で「素晴らしい講演でした!」と褒め合ったりするという気持ちの悪さだけ。

教団内の役職をいくらあげようが、給料が貰えるわけではない。ほとんど無償。一部、手当が出るような階層もあるのだが、スズメの涙。下に抱える人数の多さや奪われる時間で比べれば、一般企業の比較にならない。

最上層まで駆け上がって権力を完全に掌握すれば、やりたい放題の酒池肉林生活が待ってはいそう。しかし、そこに上がるまでに、上層部に媚び媚び、権力闘争に打ち勝ち、そんな不毛な努力をしている間に、まともな人間なら自己嫌悪に陥るはず。

そこまでして贅沢生活をしたいのなら、一般社会で真っ当な努力を積み重ねた方が確実。この件は、ものみの塔協会二代目会長ラザフォードの生涯から学ぶ人生の意義にて。つまり、

エホバの証人の特権に物質的な価値はゼロ。元々の人格的欠損を埋め合わせるための中毒物質。一旦、わずかでも特権を得た人々は特権中毒になる。エホバの証人の特権を追い求める不毛さに全く気がつかない。特権を死守するために、人生をムダにするようになる

聖書に「特権」というワードは出てこない

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「秩序」より「取り決め」のものみの塔体質、強制「奉仕報告」

「取り決め」体質のエホバの証人

「秩序」より「取り決め」体質

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の6章「ものみの塔協会の体質と新世界訳聖書」から。「取り決め偏重の体質」の項目。

エホバの証人、ものみの塔組織では、「取り決め」が多い。こうなると、私みたいないい加減な人間は堅苦しくて仕方がない。子どもの頃から、この「取り決め」体質がうんざりだった。

「取り決め」の元となる教理も堅苦しくて、信者の実生活や精神に害をもたらす。代表的なのが「輸血拒否」で、命まで亡くした信者も多々。まさにカルト。

本項では、ものみの塔の取り決め偏重姿勢が、ものみの塔が翻訳した新世界訳聖書の解釈と紐づけられて解説されている。

大概の聖書が「秩序」「order」と翻訳しているところを、なぜか新世界訳では「取り決め」「arrangement」と訳している。コリント第一14:40

組織上の権限を持つ者が「秩序正しくやりましょう」と言うのと、「取り決めに従ってください」と言うのでは雲泥の差

信者を統制しやすいように、聖書を都合よく解釈しているのが、ものみの塔の新世界訳聖書。

この翻訳は、ものみの塔の次のような独善的な行動指針に基づいたモノ。

聖書の教えが先ではなく、組織の取り決めが先になるという現象である。 組織の方針が先に決まっていて、まず必要な取り決めを造る。そして、その取り決めを正当化できるような聖句を、聖書の中から捜してくるというやり方※咲き⇒先に訂正

そして、その聖句は独自のご都合解釈がなされている。「秩序」より「取り決め」の解釈。

ものみの塔が存在を主張する悪魔サタンがいない根拠

ものみの塔にとってだけの都合の”良い便り”

エホバの証人の伝道者とは?奉仕報告とは?

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