偶然、スレスレで生き延びた元エホバの証人2世の子ども

命の危険に晒されるエホバの証人の子ども

エホバの証人の子どものストレス解消法

昨日の記事で、子どもの頃に眼瞼痙攣の症状があったと書いた。初期症状だけで回復したのは、私自身のストレスに対する耐性が高いからかと思われる。子どもの頃も今も、ストレスの解消が得意な体質というか性格。

エホバの証人というカルトを強要される子どもとして、私の子ども時代は過酷だった。エホバの証人2世の子どもが激しいストレスをかわし、息抜きをする方法とは。

小学校低学年の頃から、親の財布からお金を抜いて、遊びに行ってガチャガチャを回す。これが度々あった。時には3000円とか抜いて豪遊。これでストレスが解放された。

見つかって懲らしめというエホバの証人の体罰を受ける。これは痛いしパンツを脱ぐので屈辱的だけど、罪悪感を抱えたまま見つからないでいるよりはマシ。

逆に、子どもの頃の店舗からの万引きは一度も露見していない分、今でも罪悪感が残っていてスッキリしない。

エホバの証人の集会や布教活動の前に遊びに行って、15分全力でバットを振る。暗くなる直前にひたすら集中して遊ぶ。子どもながらのストレス解消法。

元エホバの証人2世の真夏の記憶

エホバの証人2世の子どものハードスケジュール

エホバの証人2世のサバイバル

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子どもの悲鳴を黙殺するエホバの証人の親を反面教師に

反面教師、エホバの証人親

悲鳴をあげるエホバの証人の子どもの身体

眼瞼痙攣という病気がある。重症化すると視覚に影響が出て失明状態にまで至る。下まぶたが痙攣しピクピクする初期症状から始まって、上まぶたの痙攣に広がり、最終的には自力で眼が開けられなくなる。

子どせの頃の私にもこの眼瞼痙攣の症状があった。この疾患の原因にはストレスも含まれている。この疾患の原因は、間違いなく私がエホバの証人というカルトの子どもだったこと。

エホバの証人は米国発祥の自称キリスト系新興宗教。日本ではものみの塔という名称でも知られている。我が家は両親揃ってエホバの証人で、一人息子の私も当然のようにエホバの証人というカルトを強制された。いわゆるエホバの証人2世。

エホバの証人の子どもには禁止事項が多く、参加できない学校行事がある度に、先生に参加拒否の意思表示をしなければならない。これは相当にプレッシャーだった。

学校行事に参加できないときは見学、もしくは別室待機となる。その都度、クラス中から奇異の視線、ときにはからかいの言葉を浴びる。私にはこれが最も辛かった。

そんな禁止行事がある日には、腹痛などで体調が悪くなることがよくあり、それも精神的なストレスが原因。体調を崩せば学校を休めるので、身体の方が先に、よく音をあげた。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人の親を反面教師に

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生ビールの3杯目と4杯目の間、そこに神は存在する

神の居場所は生ビール3杯目と4杯目のあいだ

人類に神は不要

ようやく聴き終えた『同志少女よ、敵を撃て』より。現在、2周目に突入。AmazonのAudibleにて。

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自分たちは神ではない。では神は何をしているのか?神がいるというのなら、彼は安寧の世界から地上に地獄を創り、その様子を俯瞰しているというのか

同胞を誰一人救えず、地獄の光景が広がったとき。神の存在意義に疑問が提示された。

狙撃銃のスコープに的をおさめて、銃弾が当たると確信して引き金を絞るとき。彼の生殺与奪権を完全に掌握。無我の境地で引き金を引く。神にも等しい瞬間。高みにいる。

主人公たち狙撃兵は神を信仰していない。人間の能力を遥かに超えた飛び道具で何百人もの人間を射殺する。神にも救いようが無い罪深さだからなのか、一瞬とはいえ、敵兵の生死をつかさどり、神にも等しい頂きに到達するからなのか。

おそらく本質は後者。狙撃兵に神は必要ない。

これは生死をつかさどる狙撃兵だけにあてはまる話ではなく、すべての人間にあてはまる。神は不要。

一瞬の集中。高み。無我の境地。そこに達すれば、人間にとって神の存在など無用の長物。永遠にダラダラしている神が到達できない地点。たった一瞬のきらめき。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

儚くもひたむきな一瞬に神は宿る

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エホバの証人のマインドコントロールを強めるモノとは・・・

エホバの証人のマインドコントロール

エホバの証人的ガードを下げる

昨日の記事の続き。エホバの証人宣教者のyoutubeの話。エホバの証人禁令下の中国へ宣教に行ったら、逆にエホバの証人のマインドコントロールが解除されたという話。

言語を学ぶというのは、単語や文法の習得だけでなく、その言語を使う人たちの思考を知るということも必要になる。これはマインドコントロール下のエホバの証人が絶対にしないこと。

エホバの証人は、信者である自分たちが正しいと信じて疑わないので、非信者の考え方、思考方法は頭から否定するだけ。

ところが、この宣教者の場合は、中国語を習得する必要があり、そのために非信者中国人に対するエホバの証人的ガードを下げざるを得なかった。そこに、エホバの証人禁止の外国滞在中という極限下が相まってマインドコントロール解除に至った。

これに似た環境を疑似的に生成できれば、エホバの証人のマインドコントロールからの解放が近づくのではないか?という仮説を提示した。ここまでが昨日までの内容。

エホバの証人のマインドコントロールを強めるのは・・・

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エホバの証人のマインドコントロール解除要件、「世の人」ガードを下げさせる

エホバの証人の世の人ガードを下げさせる

エホバの証人海外宣教者のマインドコントロール解除

過日、日本人のエホバの証人海外宣教者は、日本の恥さらしという記事を書いた。タイトルが扇情的だったので、投稿を逡巡した記事。読者さんからこの記事に絡めてyoutubeの情報提供を頂いた。

中国へ宣教に行ったエホバの証3世が、中国人と交流する過程でマインドコントロールが解除。脱会に至るというモノ。

読者さん曰く、海外に宣教に行ったばかりにマインドコントロールが解除されたという「素晴らしい奇跡」が、日本人のエホバの証人宣教者にも起こって欲しいとのこと。ごもっとも。彼女の奇跡の原因は何だったのだろうか?

エホバの証人の「世の人」ガードとは

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子どもが子どもでいることをやめさせるカルト、エホバの証人

子どもを子どもでいなくする宗教

エホバの証人というカルトから子どもを守るのは大人

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴き終わる直前。

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子どもでいられなくなった子どもたちの無念

市街戦の最中、銃弾の隙を見つけては遊ぶ子どもたち。その子どもたちが遊ぶのをやめたとき。子どもが子どもでいることをやめるとき。子どもが子どもでいられなくなるとき。

作中では、子どもの子ども状態からの早期リタイアを「戦争」が強要している。本ブログのテーマであるエホバの証人2世の場合は「宗教」。

宗教とか戦争とか重たい普遍的なテーマになってきたが、結局、子どもが心身共に健康的な子どものままでいられるかは「大人」が握っている。

「戦争」を始めるのは「大人」だし、子どもの心を銃弾で射貫くのは「大人」。カルト「宗教」に加入するのも「大人」だし、カルトの狂気で子どもを傷つけるのも「大人」。

もうアラフォーの私は「大人」でなければならないし、「大人」であるというのは「子ども」たちが「子ども」のままでいられるようにする社会的責任がある。そこまで視野を広げずとも、自分の子どもたちを守るという義務がある。

子どもを深く傷つけるカルト宗教「エホバの証人」を野放しにしないため、このブログはときには過激とも思える表現でエホバの証人を糾弾している。

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

子どもを傷つけるエホバの証人

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エホバの証人が刈り取る不幸な未来、自ら蒔いたモノの結果

蒔いたモノを刈り取るエホバの証人

すべての人間は自ら蒔いたモノを刈り取る

「人は、誰でも蒔いたものを刈り取ることになる」と聖書にはある。キリスト教を自称する、エホバの証人の聖書にも当然同じようなことが書いてある。

・エホバの証人的解釈その1

マイナスの行いにはマイナスの報いが返ってくる。

「今だけの快楽にふけらず、将来に備えよ」「悪事を行なえば、そのまま自分に返ってくる」「他人への接し方に不義があれば、自分も同様に扱われる」「性に奔放だと、後悔する」

詳しくはないが一般的な解釈と同じだろう。

・エホバの証人的解釈その2

プラスの行いにはプラスの報いが返ってくる。

「善には善が返ってくる」「神に信仰を抱けば、神の愛が得られる」

こちらも同様、詳しくはないが一般的な解釈と同じだろう。

エホバの証人をやらされて良かった、ただ一つのこと 

時代を超えて変わらない、エホバの証人の普遍の真理とは?

エホバの証人が刈り取るマイナスの未来

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日本人のエホバの証人海外宣教者は、日本の恥さらし

日本人のエホバの証人宣教者は恥さらし

理解しがたいエホバの証人の海外宣教者の心理

昨日の記事で日本のエホバの証人の増減について書いた。2021年は平均伝道者数1,417人の増加。1,000人以上の増加は、21世紀に入って以来の初めてのできごと。由々しき事態。

とはいえ、この増加はコロナ禍で海外の宣教者が帰国したからと言われている。国内のエホバの証人の純増を示すモノではなく、潜在人数が表面化しただけ。それならば事態はマシなのだが、違う視点で疑問を抱いた。

現代日本人の中に、海外へエホバの証人の布教をしに行っている人間がいるということ。海外へ宗教の布教に行くという、その価値観に非常に大きな疑問を抱く。私には一切の共感がない。

宣教者本人は、人生を投げ出してしまうほどなので、激しいマインドコントロール化にあるのは間違いない。つまり、ものみの塔だけが真理、その良い便りを世界にあまねく伝えなければならない、と思考が操られている。

または、海外宣教者は教団内では高めのステータスを得られる。その特権欲、自己顕示欲にまみれて、海外までカルト布教に行っている。これは本人だけでなく、周囲の家族の期待、プレッシャーによるところも大きい。

こういった、本人にとっての悪条件が揃うと、不毛なカルト活動のために海外まで行ってしまうのだろうか。私はエホバの証人をやめて30年弱。ものみの塔は完全なカルトで、害悪そのモノと理解しているので、全く理解できない感覚。

この宣教者は、海外で布教してしまう人物なのだから、語学ができて、行動力・好奇心・活力があって、という優秀な人材のはず。それをカルトの海外布教という、有害極まりないモノに使い捨ててしまうのだから、いかにものみの塔が災厄をもたらす存在かということが分かる。

日本という国にとっての損失。

MOTTAINAI、エホバの証人の宣教者

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21世紀、エホバの証人(JW)は決して減っていない

前年との差1993-2021

ものみの塔というキズの半治癒に30年

昨日の記事で、怒りからくる復讐心で、ものみの塔撲滅という活動を行っていると書いた。エホバの証人脱会後、この心境に至るまで30年弱。14才からアラフォーまで。

失った子ども時代の清算、過剰な自意識の削減、洗脳状態からの解放、社会的立場の回復、精神の安寧。これらを揃えるのに30年かかり、それでも怒りは収まらなかった。

自身の心身の保全のため、エホバの証人に関することのすべてを避け続けた30年間。駅前に立っているエホバの証人を見かけたり、車の中からエホバの証人の王国会館を見かけても目を逸らし続けた。

こうでもしないと、今の穏やかな日々は無かった。この間、ものみの塔に関するモノを見ると激しく心が反応していた。穏やかな日常に「ものみの塔」という闇が差すと心が動揺する。暴力的になったり何事にも乱雑な対応したり、日常を的確に過ごせなかった。

とはいえ、30年という時の経過はあらゆるモノを薄めた。わき上がるものみの塔への怒り以外は。

完治せずとも、ものみの塔という人生のキズは半治癒状態。ようやく戦闘準備完了。という所で、気付けばエホバの証人は減少中、放っておいてもいずれ組織崩壊するという意見を聞く。

これからという所でハシゴをはずされた感じで拍子抜けなのだが、エホバの証人とものみの塔が消滅するなら、それはそれで良い。

本当にものみの塔は消えるのか?今日はその点を考察。

エホバの証人の平均伝道者数の推移

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エホバの証人に対する復讐心は、カルト撲滅の原動力になるか

元エホバの証人2世の復讐心

元エホバの証人2世の復讐心という原動力

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴いている途中。

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復讐すると決めたとき、生きる活力が戻ってきた

復讐の力は生きる希望を与えてくれる

復讐を遂げるという目標によって生きる理由が生じる

復讐心が戦争の原動力になっている。

私が、ものみの塔を壊滅させようと、不毛にも思える活動を続けているのは、復讐のためなのだろうか?とふと考えた。

ものみの塔が存在しようがしまいが、具体的に被害を受けている家族・知人は既にいない。ものみの塔が消滅したところで何かご利益があるわけでもない。

両親との家族を失ったこと。取り返すことのできない無邪気な子ども時代。その復讐。この感覚は多少ある。

しかし、それを原動力に生きる糧に変えるというほどのエネルギーではない。そんなモノがなくとも、脱会後の人生で生きていく糧を充分に築いてきた。

それより大きいのは怒りと苛立ち。嫌悪。

誰にも言えない人生の汚点を、よくもオレに残してくれたなと。覚えとけよ。必ず後悔させてやるという思い。これがものみの塔を消滅させたい一番の原動力。結局は復讐心。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

ものみの塔の崩壊だけを人生の目的にしない

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