日本のエホバの証人の指導者は傀儡政権
『近現代日本とエホバの証人』、第三章「不確定の時代」末尾の本章総論部分。
昨日の記事で、日本のエホバの証人は1970年代にはエホバの証人組織に帰属意識を持っていたという本書の指摘を紹介。それがたまらなく激ダサだという私の持論も書いた。
本書では、さらに1970年代以降の日本のエホバの証人指導者層について考察している。米国由来のエホバの証人だが、1970年代には現地化が進み、日本支部の指導者に日本人信者が就任する。
その日本人のエホバの証人日本支部指導者について、本書では
国内の社会状況や信者の事情よりも、世界本部の動向に歩調を合わせる
志向だと分析している。
フィリピンでは日本よりも信者数が多かったのに、日本レベルのスピードでは現地化が進まなかった。当時、フィリピンでは週3回のエホバの証人の集会を1回にまとめるという方法がとる地域があった。無論、信者の利便性のため。
しかし、こういった各国の事情を考慮するやり方はエホバの証人の世界本部からすると蛮行。フィリピンでは異端を取り締まるために本部派遣の宣教師が支部を監督する状態が続く。
日本の場合は、従順に言いなりになる指導者が育成されたので現地化がスムーズに行われ、日本のエホバの証人の植民地化に成功した。こういった日本のエホバの証人の指導者は、自分の頭で思考していないので指導者などではない。ただの伝書鳩、傀儡に過ぎない。
日本のエホバの証人とは
昨日の記事で書いたエホバの証人のコミュニティ至上主義、そして日本人指導者による傀儡政権。これらが1970年代以降の日本のエホバの証人の大枠となっていく。本書ではこれを次のように総括している。
日本で育成された信者たちは、神と個人という、ある意味本来的なキリスト教のあり方だけでなく、拡大家族やコミュニティの機能的代替としての宗教帰属という二重の拘束性に規定され、世界本部の布教方針とコミュニティの規範に合致すべく、布教活動中心の生活にコミットメントしていくことになる
世界本部のガチガチの規則を無自覚に押し付ける共同体。何が悲しくてそんなバカバカして組織に縛られないといけないのか?
日本のエホバの証人は米国由来の宗教に飼いならされ搾取される家畜。私みたいな反骨・独立志向の人間にとって、エホバの証人の世界は窮屈、監獄、真逆。そこに10年以上も囚われていたということは人生の恥、汚点。絶対に許さない。