ものみの塔、罪深い自殺者の復活匂わし
エホバの証人(JW)の教義で異常な点。自殺者にも復活の希望があるように匂わしていること。そもそも人間は復活などしないのだが・・・信者たちは復活を信じちゃってるので、これを言っても仕方がない。
私が子供の頃、エホバの証人を強制されていて、そのときは自殺は重罪で復活などしないという設定だった気がする。ところがネットで検索してみると1990年くらいの教団資料では、自殺者の復活の是非は神が決めることという設定に切り替わっている。
繰り返しになるが、自殺者だろうとなんだろうと人類は復活などしない。よってものみの塔の設定した創作話など、どうでも良い。しかし、現役信者、そして信者予備群で自殺者が身近にいる人々にとっては大きな問題。
彼らが帰ってくるかも知れない、再会できるかも知れない。きっと再会できる。復活する!と思い込んでしまう。そしてせっせと不毛なエホバの証人活動に打ち込むことになる。
人の弱みをついて、信者を増やす、信者をつなぎとめるための自殺者も復活するかも知れない設定を創作。これは罪深いよ。そもそも人間はだれ一人復活なんかしないっての。
自殺者の復活教義は、何もかもを冒涜するもの
自殺者も復活するかも知れない設定は、遺族の心を弄ぶだけでなく、自殺者予備群の背中を押すことにもなる。
教団内の人間関係に疲れ、もう駄目だと思ったとき、本人にとっては限界に辛いときだから、今自死しても神は救ってくれるかも、復活できるかもと安易な発想に至る。
人間は誰一人、復活しないし、自ら命を絶つなんてことが許されるはずがない。この生は一度限りの貴重なもの。
ものみの塔の誰でも彼でも復活しちゃうかも知れない設定は、死者をも冒涜している。カルトという社会悪の継続に用いられる死者たちの魂。
決して許されることではないけれど、自死を選んだ人々。そんな人々が復活するかもと匂わすこと。こんな二枚舌の組織構造の中で悲嘆し、命を絶った信者も多くいるだろうに。
責任を感じず、死者の復活与奪権をちらつかせ、信者を誘導する。激しい死者に対する冒涜。
そもそもキリスト教とか聖書的に、自殺者が救われるってのはあり得ないのではないのか?「キリシタンは自害できません」って大河ドラマとかで言っているし。
自殺者も復活するかもーなんて、自身にとって都合の良い教義を立てちゃうものみの塔は、やはり「自称」キリスト教であり、カルト。
いずれにせよ、自殺だろうと自然死だろうと人間が復活することなどあり得ない。
“ものみの塔、自殺者が復活しちゃうかも知れない設定の闇” への1件の返信