『星の子』の両親、早く風呂入れ~世界を広げることの効能

世界を広げろ

ズレまくりのカルト親、早く風呂入れ

『星の子』、映画版を見て後味が悪いと言っていたわりには原作にも手を出してしまった。AmazonのAudibleで会員無料だったので聴く。こんなにも惹かれてしまうのは、宗教2世問題の占める割合が私の中で大きいからか。

¥682 (2024/02/05 08:42時点 | Amazon調べ)

主人公の両親は宗教にハマり途方もなくズレている。ラストシーンを聴きながら、私は「早く風呂入れ」とずっと突っ込んでいた。そんな親のような者でも、子どもを愛している。この愛が宗教2世の子どもの足かせとなる。

親の信じちゃっているモノを否定できない。親の愛を拒絶できない。ゆえにカルトから逃げられない。

私はカルトにハマる親を捨てる覚悟で、エホバの証人を脱会した。しかし、当時は相当に悩んだ。私自身も洗脳され、カルトを信じちゃっていたのだが、それはさほど関係なかった。

信じちゃっている神から裁かれようが、それは私自身の問題で覚悟を決めるだけ。甘んじて裁きを、死を受け入れる。

ただ、親の期待や愛情を裏切るのは難しかった。決断はできていて、実行に踏み出せないままひたすら時が過ぎた。

そうしてダラダラと脱会出来ないままカルトの中で時を過ごすと

薬を飲まされ、ICチップを埋め込まれ、催眠術をかけられ

高額の壺や水晶を買わされ、輸血拒否で殺され、人生のすべてを失うことになる。

世界を広げることの効能

“『星の子』の両親、早く風呂入れ~世界を広げることの効能” の続きを読む


子どもの命を差し出すものみの塔狂信者、エホバの証人

エホバの証人の狂信

まるで死神の如く、病院に集まってくるエホバの証人

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』を読了。

出血多量の重症で病院に運ばれたエホバの証人の少年。信者の両親がエホバの証人の信条により輸血を拒否。輸血すべきか否かの狭間で悩む父親に対し、病院に駆け付けた信者がこう言う。「第十一章 説得」より。

あなたの意思にお任せします。自分でお決めになって下さい。それが信仰というものなんです。そうやって強くなっていくんです

強くなっていくというより、マインドコントロールを深め、無自覚、無感覚になっていく。親・大人・保護者としての自覚を失い組織の言いなりになる。子を失う痛みすら薄れていく。

エホバの証人たちは、「輸血を拒否して子どもを死なすか否かは自分で決めろ」と言いつつ、大挙して病院に押しかけプレッシャーをかける。輸血をすれば、戒律違反になると。そして、組織の掟を破ればどうなるか分かっているな、と圧力をかける。

そして、エホバの証人の少年は亡くなった。

エホバの証人の信者たちが病院に駆け付けているのは、無論心配して、何らかの助けにならんとして。さらに、無輸血対応する病院への転院という目的も。

しかし、本事件の結果から鑑みると、エホバの証人たちは第一の目的として輸血を拒否させるために病院に駆け付けることになった。

エホバの証人が輸血が必要な状態になると、輸血を拒否して命を落とさせるために、信者たちがわらわらと病院に集まってくる。まるで死神。

親であって親ではないエホバの証人(JW)、親のような者

子供の命を差し出す狂信者、エホバの証人

“子どもの命を差し出すものみの塔狂信者、エホバの証人” の続きを読む


エホバの証人 > 大なりわが子、エホバの証人の親のような者

エホバの証人の親のような者

エホバの証人の親のような者の思考状態

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十一章 説得」。本書のクライマックス。

昨日の記事で、マインドコントロールが進行すると、エホバの証人の親は「親のような者」に成り果てると書いた。その親の思考状態が下記のように本書で描かれている。

目の前で死にかけている子どもを見て、輸血をすれば助かるという場面。

輸血してもらおうか

と考える。しかし、

ふと、自分を迎えてくれたエホバの証人たちの温かさを想い出した。今輸血を認めれば、彼らからは離れなければならなくなる

この迷いも一因となり、頑なに輸血拒否を続け、子どもを絶命させた。

この父親が、本当にエホバの証人から離れるのがイヤで子どもの輸血を拒否したのか?本人の心の内までは分からない。とはいえ、エホバの証人の親のような者の心情をうまく説き明かしている。

輸血拒否の最大の要因は、将来の祝福を子ども本人や自分自身が失う、というエホバの証人の教理設定。さらに、組織から追い出されるのも怖い。前者はマインドコントロールゆえの思考なので、トホホンとしか言えないが、後者はなんとも自己中心的な思考。

やっと見つけた温かい居場所を失いたくないという稚拙な発想。子どもの命を救うために最善を尽くすべきタイミングで、この自己都合が混じるのがエホバの証人の親。まさに親であって親ではない親のような者。

組織からの排除は将来の祝福を失うことにも直結するのだが、それも自己のこと。ホントに親のような者だと言わざるを得ない。

エホバの証人 > 大なりわが子の、親のような者

“エホバの証人 > 大なりわが子、エホバの証人の親のような者” の続きを読む


親であって親ではないエホバの証人(JW)、親のような者

親のような者

エホバの証人の輸血拒否事件、あと一歩で救われた命

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十一章 説得」

エホバの証人の信条による輸血拒否。その結果、少年が死に至る様子が描かれた本章。事故直後から亡くなるまで。

エホバの証人の両親が病院に駆け付けるのが遅れていたら、無事に輸血が開始されていた。少年の被っていた帽子に自宅の電話番号が書いていなければ、エホバの証人の両親に連絡が入ることはなかった。

何かひとつでもボタンを掛け違えていたら、少年は生き残っていた。生きていたとすると、亡くなった少年は私の5才ほど年上。21世紀の今ここに、家庭があり、子どもがいてという可能性があった。

その可能性を打ち砕いたエホバの証人という宗教は、決して許されるべきではない。

親であって親ではないエホバの証人

“親であって親ではないエホバの証人(JW)、親のような者” の続きを読む


エホバの証人に煽られる嫉妬心、実は羨ましくも何ともない神権家族

嫉妬に追われるエホバの証人女

エホバの証人に刺激される嫉妬心

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』、「第十章 道」より。

家族を持ちながらも感じる孤独、日本でエホバの証人が拡大した20世紀の専業主婦特有の孤独、もしくは単なる人類共通の孤独。そういった孤独を安易に埋めようとすると、エホバの証人に騙される。ここまでが昨日の記事の内容。

その後、刺激されるのが嫉妬という感情。

集会に行くと、前の方に必ず、一家揃って”神権家族”が座っている。そのなごやかな雰囲気と、希望に満ちた表情

たまらなく羨ましかった。いつか自分たちもああなりたい。あの幸せな絵の中の一人になりたい。

彼らは、幸福の象徴だった。

“神権家族”というのは、一家揃ってエホバの証人という家族のこと。エホバの証人の毒牙にかかった後、神権家族を羨むようになった。こうなったときには、嫉妬という醜い感情に心を鷲掴みにされた後。既に手遅れなのかも知れない。

嫉妬心が湧く前に、冷静に、ものごとを多面的に見られれば。

“エホバの証人に煽られる嫉妬心、実は羨ましくも何ともない神権家族” の続きを読む


エホバの証人道、孤独と嫉妬心を刺激され堕ちていく

孤独や嫉妬から堕ちるエホバの証人道

エホバの証人道に堕ちるのは、感情を刺激されるから

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。

通常の思考順序、手順を経由すれば、エホバの証人という奈落の底への一本道へ足を踏み入れることはない。しかし、ものみの塔には通常手続きをすっ飛ばしてエホバの証人という破滅の道を選択させる仕組みがある。

この辺は昨日の記事にて。

ターゲットの感情に訴え、理性を捨てさせる。恐怖、悲嘆、絶望、孤独を抱える人を甘い言葉でたらし込む。または、あえてそういう負の感情を持たせることで、エホバの証人という不条理な道へ跳ばせる。

エホバの証人に逃げなければならないほどの負の感情、その大半が家族にまつわるモノ。

家族を失った悲しみ、孤独、そこを突くのが復活というトンデモ教理だったり、エホバの証人コミュニティの疑似的な温もり。

さらに、家族をエホバの証人側の人質にとり、家族を失う恐怖心、家族の中での孤独感を覚えるように誘導する。

エホバの証人堕ち、最初は孤独と嫉妬から

“エホバの証人道、孤独と嫉妬心を刺激され堕ちていく” の続きを読む


家族まるっと入信するようゴリゴリに勧めるエホバの証人、なのに・・・

エホバの証人は家族まるっと入信させる宗教なのに・・・

宗教に賭けて、ジャンプ

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」から。

宗教という道について。

ある宗教に関心をもつ。次々と教義を理解していく。矛盾はないか、しっくりこないところはないか。理論的にどんどん詰めていくと、ある究極的な一点で、人は先に進めなくなる。その先に進むためには、もはや跳ぶしかないのだ。宗教が”賭け”であると論じたのは、一体どこのだれだったろう

ここで跳ぶと大概の場合、賭けには負けるし、人生そのモノを棒に振ることになる。特にエホバの証人の場合は、この無謀な賭けに勝ちの目が出ることはない。

考えるのをやめた安直な選択の末路。宗教に賭けて跳ぶなんてのは、愚の骨頂。現実逃避に過ぎない。

考えに考え抜いて、立場の違う様々な人に意見を聞いて、そしてさらに自分の頭で考え抜いて、家族や利害関係者で納得し合えるまで徹底的に議論する。その上で自分で考え抜いて出した結論に賭ける。人生はこうあるべき。

ろくに思考もせずに、偶然を装い罠を仕掛けて待ち受けていたようなエホバの証人に全人生を賭けるなんて無茶をするから、破滅が待っている。

エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせるエホバの証人の穢れ

“家族まるっと入信するようゴリゴリに勧めるエホバの証人、なのに・・・” の続きを読む


エホバの証人の割り当てとは?assignment?

亡くなったエホバの証人少年の初「割り当て」

エホバの証人川崎事件の少年と初めての「割り当て」

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」より。

エホバの証人の輸血拒否事件、川崎事件を扱った本書。被害者児童が亡くなったのは1985年6月6日。本書によると翌6月7日はこの少年の「初めての割り当て」だったとある。

エホバの証人の割り当てとは?

正式なエホバの証人になるには、段階を踏む必要がある。ここでいう正式というのは献身、バプテスマという儀式を受けること。この儀式を受けたエホバの証人は、組織内で「兄弟、姉妹」と呼ばれる。

亡くなった少年も、断固輸血拒否したその父親も献身しておらず、まだ「兄弟」ではなかった。この2人の事例からすると、エホバの証人のマインドコントロールの危険度合いは献身宣言の有無には関係しないようには見える。

しかし、エホバの証人の目指すところは、一旦はこの献身。

仲間内から「兄弟、姉妹」と呼ばれる、馴れ合いの疑似家族空間の仮想温もりがこのカルトの一端を支えている。私みたいにこの馴れ合い環境を気持ち悪いと思う者は、ズブズブ馴れ合い信者に比べれば、脱会へのハードルは低い。

自称「伝道」、エホバの証人のねずみ算的集客システム

エホバの証人のバプテスマとは

“エホバの証人の割り当てとは?assignment?” の続きを読む


エホバの証人の川崎事件、無垢の少年を殺したのは何か?

エホバの証人の輸血拒否

エホバの証人の少年は、なぜ死ななければならなかったのか?

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」。エホバの証人の川崎事件で、亡くなった児童が当日に走った道。そして、この宗教に堕ちる哀れな人々が歩む精神的な道。その二つの道を走破・考察する第十章。

被害者児童はなぜ死んだのか?それはエホバの証人の教理により輸血拒否したためなのだが、その前段、なぜ事故に遭ったのか?本章では、その詳細が明かされている。

夕方、少年は自転車で家を出た。行き先はエホバの証人の信者の家、目的はエホバの証人の宗教本研究のため。つまり、

当初からエホバの証人に関係しなければ、事故に遭うことは無かった。

エホバの証人の人命軽視

エホバの証人は、永遠の命を持った完全体に生まれ変わるという妄想を強く抱いている。そのため、現在の限りある不完全な命を、心の奥底では軽んじている。

エホバの証人による命の軽視傾向は普段は具現化されることはない。神より与えられた現生命を大事にせよ、という建前にはなっている。しかし、

川崎事件ではエホバの証人の人命軽視主義を、証明してあまりある悲劇の結末を迎えた。

エホバの証人、カトリックの病院はOKなのに輸血がNGな理由は?

エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせるエホバの証人の穢れ

名ばかりの保護者、エホバの証人の親

“エホバの証人の川崎事件、無垢の少年を殺したのは何か?” の続きを読む


エホバによって引き裂かれた自我、その再統合のための反エホバ

引き裂かれた自我の再統合

分裂の危機にある自我を統一するのが宗教

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第九章 子」から。

ものみの塔を解散させ、エホバの証人をゼロにする。この思いは私にとって既に○○。と昨日の記事で書いた。

この○○とは「宗教」。

ものみの塔を解散させ、エホバの証人をゼロにする。これはもはや私にとっての宗教。

宗教について、この本『説得』では以下のように他の文献からあらーく引用している。

ウイリアム・ジェイムスが、その膨大な著作のどこかで“宗教というものは、何らかの理由で分裂した自我を、再び統合する力である”という意のことを言っていた

現代社会において、子どもがエホバの証人という宗教を親に強制されれば、いずれこの状態に至る。自我の芽生えと分裂。

自我の再統合に、そのまま宗教としてのエホバの証人を求めると、人生がほぼ終わる。そのままエホバの証人の大人になり、本来の自分を押し殺したままの生活が続く。圧倒的な精神的不健康。精神を病んだり、文字通り自ら人生を終えたり。

私の場合は再びの自我の統一に使ったのが、反エホバという強い意思だった。

反エホバという宗教

“エホバによって引き裂かれた自我、その再統合のための反エホバ” の続きを読む