エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせる穢れ

生きて償わせるエホバの証人という罪

エホバの証人という穢れ

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

川崎事件の調査のため、エホバの証人組織に潜入中の著者。その祖母が輸血拒否をしているという。説得に向かった著者は

祖母の、エホバの証人として生きてきた人生を、その誇りのままに、閉じさせてあげたい。そう感じた

という。

たまにこういう論調をエホバの証人非信者から聞くのだが、私の考えとは相容れない。

エホバの証人として生きた人生は、誇りになどならない。穢れ。人生の汚点。例え死ぬ直前の慰みであっても、エホバの証人として死んでいこうとしている人間には真実を伝えるべきだ。

「エホバの証人として生きて、人生を無駄にしたね」と。無駄にするだけならともかく、

「有害なカルトに協力して、世界に害悪をばらまいた。罪深いね」と。

残酷かも知れないが、真理を追い求めて、真理に命をかけた人間には、真実を伝えねばなるまい。

そして、中途半端に口当たりのいいことだけ言ってあしらっていると、死後にエホバの証人親に祟られることになる。

祟られるのは冗談半分だとしても、どうせ死ねば、エホバの証人理論でも完全に無になるのだから、言うことは言っておいた方がいい。

「エホバの証人として殉教したなんて、残された家族にしてみれば恥でしかない。それ以上に無念。家族よりもカルトを優先するなんて」と。

言いたいことは言っとかないと、こっちが後悔する。むしろ、後悔しないように言いたいことはピンピン生きているあいだに言っておいたほうがいい。

エホバの証人を生かせ

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エホバの証人、「血を避ける」低レベルな比喩のこじつけ

アルコールを避けろと言われてもアルコール消毒はするよね

エホバの証人の低レベルな比喩、こじつけ

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。

聖書の「血をタベルナ」を輸血拒否にまで超拡大解釈して、生命を冒涜するエホバの証人の不思議。その謎に下記のような回答がなされている。聖書内に「血を避けろ」と書かれているのをものみの塔が引いている。

<もし医師がアルコールを避けなさいと言ったとすると、それはただ口から飲んではいけないという意味であって、血管に直接注入するのは差し支えない、ということでしょうか。もちろん、そうではありません!ですから、『血を避ける』ということも、血を体内に少しも取り入れてはならないという意味です。>

完全な詭弁。著者はこれを、「実に明快な比喩」、「なるほどねぇ」と評しているが、これはどうかしている。

しょうもない戯言でもしっかり潰しておかないと。

「アルコールを避けなさい」って言われても消毒にはアルコール使うでしょ。これは用法の問題であって、完全拒否、回避するか否かの問題ではない。

そもそも、アルコールを血管に入れる奴はいない。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

輸血拒否が子供の意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

血を避けろってのなら、自身の身体の血液は避けなくて良いの?

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うっかり鯨やうっかり輸血は許される、エホバの証人

うっかり鯨は許されるエホバの証人

エホバの証人の道徳観、うっかり鯨はOK

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の続き。本事件の被害者の命日が6月6日。無念の日。生き残った者の責務として、ものみの塔の糾弾を続ける。

著者がエホバの証人組織に潜入調査中、輸血拒否の戒律について感じた疑念。

故意でなく、過失で輸血されたエホバの証人はどうなるのか?

作中で物理的に完全・完璧な血抜きは不可能、それでもエホバの証人は肉を食べるのかという質問が提示される。それに対し、血の禁令は物理的なものでなく、道徳的なものなのでOKよっ!という立場ある長老という役職信者の見解。

著者はこの指導に違和感を覚える。

宗教上の理由で一切肉を食べない人もいるのに、エホバの証人は鯨以外には制限なし(さすがにスッポンの生き血とかは飲まないだろうが)。鯨は大きすぎて、血抜きが完全に不可能だからという意味不明理論。

エホバの証人の子どもがうっかり、給食で鯨カツとかを食べてしまっても、過失であれば自宅でサクッと祈って詫びておしまい。それで許される程度の道徳観念。

であるのに、輸血に関しては「何が何でも絶対NG!」文字通り命がけで拒否する。そして死んでいく。

うっかり鯨肉は許されるのに、輸血には命かけちゃうという道徳観。命の価値を見積もれないマインドコントロール集団。カルトですから。

輸血拒否が子供の意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

輸血拒否という些細な問題で大騒ぎのエホバの証人

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ものみの塔聖書冊子協会に対して、振り上げた拳を降ろすとき

ものみの塔がカルトでなくなったら?

エホバの証人を簡単に切り捨てるものみの塔協会

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の続き。少し読み進める。

徹底した聖書の字句中心主義をとる彼らにとって、使徒行伝に「血・・・を避けよ」と書かれてある以上、それを無視することは難しいだろう。この字句主義こそが、「輸血拒否」の看板を掲げさせたともいえる。

一度掲げた看板は、掲げ続けなければならない。

とのこと。

幾人ものエホバの証人が無意味に殉教しているし、ものみの塔は、今さら「輸血OK!」と手の平返しはしにくいはず。

通常の感覚なら。

ところが、ものみの塔にはこういった「情」のようなものはない。囲っている信者に対する愛の欠如。ものみの塔は信者のことを使い捨ての兵隊か、金づる程度にしか考えていない。

21世紀が来ることはないからと、信者の人生設計も財産も、仕事も何もかもを投げ出させ、いざ時が来たら、「ハルマゲドンはもうちょっと先かな」と。長年、時と金を差し出した高齢の貧乏信者に対して、何らかの保障があるわけでもない。

私たちの世代は子どもの頃、ものみの塔の指導で親に叩かれまくったが、既にそれも無かったことにしようとしている。

いずれも、信者が自主的に人生を棒に振り、親が勝手に子どもを叩きまくっただけ、ということになっている。

ものみの塔は、当然のように信者を切り捨てる。

そうであれば、輸血拒否で亡くなった信者も勝手に自分の意思で死んだということになりかねない。都合が悪くなれば切り捨てられる。

事実、ブルガリアのエホバの証人は輸血しても排斥処分を受けない。

ものみの塔が「輸血拒否」看板を降ろしたら

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輸血拒否が子どもの意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

エホバの証人の罪深い輸血拒否殺人

完全悪、ものみの塔

今読んでいる『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。1985年にエホバの証人の子どもが、輸血拒否を強要されて亡くなった話。

被害者の子どもは

『死にたくないよ、生きたいよ』と父親に訴えてもいる

ところが、父親は耳を貸さず断固輸血拒否。そして、被害者の子どもは絶命。

これをエホバの証人に言わせると

輸血しないで死ぬのがイヤだったんじゃなくて、輸血して復活できなくなっちゃうのがイヤだった

死にたくない、っていうのはそういう意味だった

となる。

日本語が通じないヤバい連中。憶測だらけで好き勝手なことを言う。本人に聞いたわけでもないのに、こんな話を広める。当時、私の両親たちも似たような論調で、この幼い被害者を語っていた。

死者を冒涜する、エホバの証人の自分勝手なウソ。「生きたい」ために輸血したくないなら「輸血したくない」と言うはず。命がけの極地で、そんな曖昧な発言をするはずがない。この子の「生きたい」は、輸血を含むありとあらゆる手段を使って「生きたい」だったんだよ。

著者はこの後、本事件にのめり込み、教団に潜入までして調査する。そう突き動かしたものは

輸血拒否が大の意思であったか否か

大というのは被害者の子ども。

子どもの意思だろうが何だろうが、そんなモノは関係ない。子どもは騙されているのだから。自分の意思で輸血を拒否しようが、自分の決断で(一旦)死にたがったのだろうが、その根幹にあるのは「人間が復活する」という嘘。

本人が生きたいと言ったのは「輸血して生きたい」でなく「復活して生きたい」だと、エホバの証人は決めつけ、本人の願いだったということにしている。

しかし、そんな危険思想を持たせたのは周囲の大人。周囲の悪い大人のエホバの証人。無垢の子どもを「人間は復活する」と騙して脅して殺す。罪は重い。

輸血拒否が子どもの意思でなく、大人の強制であれは単純な殺人。

輸血拒否が子どもの意思であれば、そう洗脳したものみの塔やエホバの証人の大人たちの罪。生まれながらに「人間は復活する」と仕込まれれば、子どもは信じざるを得ない。「地球が丸い」と、大人が信じているのと同じ。

いずれにせよ、ものみの塔や大人のエホバの証人が完全悪であることは間違いない。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

背教者のみぞ知るエホバの証人の真理

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エホバの証人(JW)、強制的に輸血して命を救う方法

医療上の適切な判断能力を持たないエホバの証人

死にたがりの愚か者、エホバの証人

ここ数日、エホバの証人(JW)の輸血拒否について書いている。私の経験として、子どもの頃に成否五分五分の無輸血手術に挑まされたことがある。

私は偶然に生き残った。しかし、輸血を拒否したばかりに適切な医療を受けられず亡くなったエホバの証人の子どもも存在する。無意味な戒律で子どもの命を奪うのがエホバの証人。

現在の日本では、15才未満の子どもに対しては、親が輸血拒否しようが親権停止して輸血し、救命することが可能という考え方になっている。
※2023/11/20追記、この親権停止措置。非常時には全然間に合わないらしい。交通事故といった超緊急時には、エホバの証人の子どもは親の輸血拒否で命を落とすことが十分にあり得る。

親子とはいえ別人格であり、子の生存を脅かすことは許されない。そして、15才未満の子どもは医療に対する判断能力がないとされているから。命の価値を推し量れない子どもには、自分で死を選ばせないということ。

15才以上で、自身で輸血拒否して死にたがっている場合には、輸血できない。大人として、医療に対する判断能力、自己決定権ありとされているから。無許可で輸血した結果、エホバの証人側に訴えられて、医療側が敗訴したというバカげた判例がある。

命を救う行為が罰せられるという不条理。

何かで読んで、出典が思い出せないのだが、”この国では、どこまでも愚かになる権利が自由という名のもとに保障されている”。まさに、死にたがりのエホバの証人がその愚か者たち。

無輸血手術、不毛な命がけの勝負に挑まされるエホバの証人の子ども

エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝、輸血拒否というブラックジョーク

エホバの証人、命に対する適切な判断能力なし

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無輸血手術、命がけの不毛な勝負に挑まされるエホバの証人の子ども

自ら死神を引き寄せるエホバの証人

自ら、死神を呼び寄せているエホバの証人

エホバの証人の輸血拒否による子ども殺害。この悪夢を偶然生き抜いた者の務めとして、日々、ものみの塔を糾弾している。ここまでが昨日の記事の内容。

交通事故や重病などの手術で多数の血液が失われる状態になれば、輸血が必要になる。その際、エホバの証人は輸血を拒否。子どもに対しても同様。

近年では子どもに対して輸血拒否するエホバの証人の親がいれば親権停止、子どもに対して輸血ができるのだが、私の子どもの頃はそんな事例はなく、問答無用で殺されるところだった。
※2023/11/20追記、この親権停止措置。非常時には全然間に合わないらしい。交通事故といった超緊急時には、エホバの証人の子どもは親の輸血拒否で命を落とすことが、現在でも十分にあり得る。

輸血なんて、普通に生活していればなかなか遭遇しないものたけど、エホバの証人をやっていると、輸血を必要とする状況を引き寄せてしまう。「輸血絶対ダメ!その時は死にます」って念じていると、輸血の方から寄ってくる。

「輸血拒否します」と書かれたカードまで携帯している徹底具合。これは「命捨てます」宣言にも等しい。ここまで暴走して死にたがっているのだから、死神の方から寄ってくる。「輸血しますか?死にますか?」と。

私の元にも、その輸血のピンチがやってきた。川崎事件の数年後。

無輸血に命をかけるという不毛なエホバの証人

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『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

エホバの証人の親が行う殺人

殺人鬼、エホバの証人

エホバの証人の子どもが交通事故で重体となり、親に輸血拒否されて殺された事件。1985年の川崎事件をノンフィクションで描いた『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』を読み始めた。

1985年当時、私は5才。被害者と同じエホバの証人の子どもだった。テレビでセンセーショナルに報じられる事件を、私の親を含めたエホバの証人の大人たちは殉教者を褒め称えるかのように高揚した面持ちで見ていた。

当然の決断、勇気ある正しい決断だと、子殺しのエホバの証人の親を讃えた。自分たちも同じ境遇になったら迷わず同じ行動を取ろう、と励ましあう。

バカですか?想像力の圧倒的欠如。

本当に、我が子の「輸血無しでの生命残存時間が3時間」と告げられたら?

臨場感満載で考えられないから、子どもに絶対輸血させないと簡単に言ってしまう。

輸血すれば、ほぼ間違いなく助かる命。輸血しなければ失われる命。事態は緊急で、あーだこーだやっている間に、命の灯はぐんぐん消えかけていく。

もしもその場に直面して、子どもの命に対して現実感を持って直面できないのなら、エホバの証人の殺人鬼たちは事前の安直な決意に従って、我が子の命を削ぐことになる。

エホバの証人が命がけで輸血拒否するのは目立ちたいから

輸血治療の普及を世界中に推進しているエホバの証人

紙一重でエホバの証人に殺されていた子ども

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現役エホバの証人と交際すべきではない理由100選

輸血拒否教理がある限り、エホバの証人と交際すべきではない

現役エホバの証人とは交際すべきではない

現役エホバの証人なのに一般女性と付き合っちゃってる男性信者がいる件。

今日以降は厳しい話しか出てこない。個人的に恋愛相談されてたら、簡単に別れろとは言えない。2人の事情や、短いながら2人だけの歴史があるだろうから。しかし、

この場は勝手に自論を書いているだけなので、ハッキリ言っちゃうと「現役エホバの証人、しかも脱会意志もない奴とは別れた方が良い」。理由100選は言いすぎだが、今から山ほどあげる。

あくまで、エホバの証人を一般化した私の意見。私は生まれながらにエホバの証人2世信者だったという経験から、エホバの証人組織に私怨を抱く者。そんな人間の偏見に満ちた、でも正論。

当然、個人としてのエホバの証人すべてには当てはまらない。なので、現役エホバの証人と恋愛を続けるかどうかは本人が決めるべきこと。

でも、あえてそんなややこしい奴と付き合わなくとも、と思っちゃう。適齢期男性の95%は、現役エホバの証人より好条件かと思われる。それほど、現役エホバの証人はヤバい、不利。あえて貧乏くじ引かなくとも。

とはいえ、恋愛ってそんなロジックじゃないんだろうね。ホレちゃったら宗教なんて問題にならないのかも知れないし、カルト信仰しちゃってるのを含めて愛しているとか。障害が多いほど燃えるとか。

三流ドラマみたいな話になってきたけど、もっか恋愛中の2人はドラマの中にいる感覚。そこに「エホバの証人」って忌まわしいワードさえなければ、素敵な微笑ましい話なんだけど。

というわけで、何だか気が進まないけど、さぁ、仕事始めます。

現役エホバの証人と交際すべきでない理由とは。

エホバの証人の勘違い愛「アガペー」より、「エロス」

エホバの証人との結婚には命の危険が伴う

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エホバの証人、愛のない偽善的組織に命かけますか?カルト宗教に命かけますか?

エホバの証人の輸血拒否

「輸血拒否」による生存権の剥奪

エホバの証人という自称キリスト教系新興宗教。日本では宗教法人「ものみの塔聖書冊子協会」が統括的な運営を行っている。

エホバの証人の教理で、一般的な倫理と大きく乖離しているのが「輸血拒否」。

私は、信者の(特に子どもの)自由意志を奪うことが、最もものみの塔がカルトである理由だと考えている。その自由意志剥奪の一環として、輸血拒否による生存権・生存意志の停止がある。

この輸血拒否は、聖書に書いてあることでもなく、キリストの命令でもエホバの証人の神「エホバ」の言いつけでもない。この点の矛盾はエホバの証人が命がけで輸血拒否するのは、目立ちたいからで触れた。

今日は、この輸血拒否に対するものみの塔側の姿勢・態度について。エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』10章「輸血」より。

愛のない偽善的組織に命かけますか?

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