特権大好きエホバの証人、キリストの警告そのままに
昨日の記事の続き。マタイ23章のキリストの苦言をエホバの証人に適用中。エホバの証人仕様の新世界訳聖書にて。
6-7節
夕食会では最も目立つ場所を,会堂では最も良い座席を好み,広場であいさつされることや,ラビと呼ばれることを好みます
エホバの証人の巡回監督や訪問講演者は食事に招待される。招待されているので、当然といえは当然だが一番良い席に当然のように座る。また、そういった人が講演を行った後には、ねぎらいやおべっか、握手を求める列ができる。
そもそも、
巡回「監督」、「統治」体ってのが、偉そうな思い上がり。エホバの証人の特権主義。ラビと呼ばれることを好んでいる。
8節で、キリスト自身が
しかしあなたたちは,ラビと呼ばれてはなりません。あなたたちの先生はただひとりであり,あなたたちは皆,兄弟だからです
って言ってるんだけどね。
10節でもう一度釘を指している。
指導者と呼ばれてもなりません。あなたたちの指導者はキリストひとりだからです
これは、自分で自分が唯一の指導者だと言ってるんだから、キリストも十分に傲慢。
しかし、エホバの証人の統治体の傲慢はキリストを超える。指導でなく、統治しちゃってるからね。
キリストが「ラビ、指導者ずらするな」と、くどいほどに言っている。キリストの威を借りて、自己顕示欲を満たそうとする奴らが出現するのを、キリストも十分に予見していたのだろう。
まさに、そのキリストの予想通りに、エホバの証人は特権主義に陥っている。
エホバの証人の特権マスターベーション、トイレ掃除と同列の特権「伝道奉仕」
エホバの証人には災いがある
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