脱会しても苦難の道のりが続くカルト宗教2世、ゴールを阻むモノとは?

脱会しても苦難の道のり、宗教2世

『カルトの花嫁』8章。カルト宗教2世の脱会後の予後について。

ハッキリ言って予後は悪い。小さな子供にとっては、親が世界のすべてで、その親の世界がカルトによってねじ曲げられている。カルト宗教二世の中には曲がった価値観が養われる。

そこから自由になるのは困難。三つ子の魂百までというやつ。

エホバの証人2世は幼児教育を受けさせて貰えないケースが多い。私も幼稚園や保育園には行っていない。小学校に入るまでの間、接する大人はものみの塔によるマインドコントロール下の両親とエホバの証人信者だけ。

こんな異常世界で育つと、死生観や物事の価値基準、コミュニケーション能力などが尋常でなくゆがむ。

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『カルトの花嫁』著者は次のように書いている。

長年、恐怖信仰で雁字搦めにされてきた人間にとって、この恐怖心を断ち切ることが、一番の大きな山場であることは間違いありません。この感情に打ち勝つことができれば、リハビリはほぼ成功したと言っても過言ではない

このリハビリは苦難の道のり。

カルト宗教2世の中には、親を宗教に奪われっぱなしな人もいる。カルトの雑な世界観を植え付けられているので対人関係が苦手な人が多い。すると

精神的に誰にも頼れなかった

という状態に。また、経済的なもの、学歴、職歴などをカルトは軽視するので、経済的にも困窮する。

『カルトの花嫁』~カルト宗教2世を幼稚さを抱えたまま生きるには

カルト宗教二世の遠いゴール

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人事を尽さず最初から神頼み、宗教頼みの現実逃避で人生は暗転する

カルトに勧誘するのは勘弁してけれ

『カルトの花嫁』8章。この章は読みどころ満載。

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カルトや宗教について、著者は次のように書いている。

宗教がすべて悪いとは思わないし、否定をするつもりもありません。自身が必要だと思えばとことん信じればいいと思うのですが、

と前置きをした上で

正体を明かさないで人を誘ったり、多額の献金を申し受けたり、物品を買わせたり、先祖の霊が苦しんでいると言ったり、献金を増やすために信者獲得活動を強制したり、夫婦、家族関係、友人関係が破綻するまで教祖に献身させる教団に決して人を誘い込まないでほしい

エホバの証人の場合は、

世界の終わりを予言して恐怖で信者を縛りつけたり、有害な宗教本に寄付金を払わせたり、献身させて人生そのものを搾取したり、信者を増やすために布教時間を半強制で報告させたり、体罰で子供を傷つけたり、ゆがんだ性教育を施して組織内を児童性虐待の温床にしたり、輸血拒否をさせて命を投げ捨てさせたり。

そして、夫婦、家族関係、友人関係が破綻するのはカルト共通。

『カルトの花嫁』、人はパンだけで充分に生きていける

最初から神頼みが不幸になる理由

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『カルトの花嫁』、カルト度外視で人生に役立つ金言が・・・

期待と信頼に値しない者

『カルトの花嫁』第6章。本章にはカルト度外視して、人生の役に立つような言葉が。カルトによる極限体験をした筆者による金言。

統一教会に斡旋された2人目の韓国人男。その夫に

期待するから裏切られるし、期待をするから悲しくなる

こいつは相当なダメ男で、カルトを利用して結婚しただけ。騙された羊に群がるハイエナみたいなもの。カルト同様に骨までしゃぶろうとする。

未来や自分には「期待」して良い。そして、その大半は叶わないかも知れないけれど、裏切られはしない。その経験は自身の血肉になるし、やるだけやった後はスカッとする。

他者に対する適度な「期待」は、期待を向けられた側のモチベーションを上げる。「やってやろうじゃん」と。適度な期待とそれに対する真摯な応答は、結果の成否を別にして信頼感を生む。

しかし、そういった期待と信頼に全く値しない人たちも中にはいる。そんな奴らに向けた期待が大きければ大きいほど失望は大きい。間違って信頼に足らない者を信頼してしまった場合には、物理的被害や経済的被害を被ることまである。

家族とかでない限り、そういったダメ人間は自分の周りから切り離していかないと人生が前に進まない。

この本の著者の場合は、モロ家族だった。よって借金を背負わされ逃げられたり、言葉の暴力や経済的DVを受け大ダメージを負う。

家族は簡単に切り捨てる訳にもいかない。その場合は著者のように「期待しない」状態にならないと、自分が痛んでいく。

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カルトがカルトたる所以、恐怖で縛り不幸と孤立に追い込んで逃げ場を奪う

たった一つの質問でカルトを見極める方法、カルト簡単判別法

決して家族になれない人間

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たった一つの質問でカルトを見極める方法、カルト簡単判別法

家族より宗教という状態の先には不幸しかない

『カルトの花嫁』第5~6章。国境をまたいで大波乱の日々。未だ統一教会の洗脳中だが、著者は自分の力で人生を切り開き始める。そんなひたむきな人には周囲の人も力を貸してくれる。

この行程に一切、統一教会は助けになっていない。助けになっていないどころか諸悪の根源。それでも著者の洗脳は解けないまま。人の思考を雁字搦めにするカルト宗教がいかに恐ろしいものかが分かる。

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統一教会に斡旋された夫の借金が利子で膨らむ。著者は韓国にいて、督促が日本の母親の元へ。母親はそれを放置。理由は

朝から晩までビデオセンターにいた

から。ビデオセンターというのは統一教会の洗脳施設のこと。

帰国し、借金を返すために働こうにも、子どもを簡単に保育園に入れられるわけがない。母親に

「保育園が見つかる間だけでも、協力してもらえないか?」と頼みこみましたが、ビデオセンターのゲストが優先だとあっさり断られました。

人生の優先順位が完全に狂っている。

家族より宗教という状態になれば、その先には不幸しかない。先祖の怨念とか来世の不幸とか、復活して永遠の命がーとか言ったところで、今、家族をないがしろにすれば、近い未来に不幸になる。家族より宗教なんて訳の分からないものを優先すれば自分自身だけでなく家族も不幸にする。

カルトがカルトたる所以、恐怖で縛り不幸と孤立に追い込んで逃げ場を奪う

カルト簡単判別法

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カルト信者の不幸の方程式、エホバや文鮮明より野良ネコの方がマシ

エホバより猫の方が役に立つ

カルト信者の不幸の方程式

『カルトの花嫁』第2章。遂に合同結婚式へ。

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洗脳とは物事の冷静な判断をできなくさせる、本当に恐ろしい行為です。自らの生涯の伴侶の選択を、いとも簡単に他人の手に委ねてしまったのですから

カルト信者は皆同じで、大小さまざまな意思決定を他人の手に委ねている。しかも、善意の他人でなく悪意の塊であるカルトに委ねている。それで、人生がうまくいくはずがない。

カルトが悪意の塊である理由。それは、信者を騙しているから。世界平和とか家庭の幸福というキレイな言葉でカモフラージュしつつ、全能の神の宇宙主権とかメシアの再臨とかしょうもないウソに意識を集中させ、信者を不幸にする。

信者が不幸なのは明らか。高額献金させられたり、輸血拒否させられて死んだり、適当にマッチングされた韓国の乞食と結婚させられたり。誰がどこから見ても客観的に不幸。

カルト信者が不幸になるのは、至極単純な方程式。であるのに、なぜカルトがのさばっているのか。そこには単純ではない理由があったのだろうが、今から改めればいい。カルトの存在しない時代に。

『カルトの花嫁』、人はパンだけで充分に生きていける

エホバや文鮮明より野良ネコの方がマシ

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すべてのカルト宗教に共通する本質、カルト3原則その2「騙し」

カルト3原則その2「騙し」

カルトの本質、「騙し」

昨日までの記事で、「高額壺の販売・結婚相手の強制・政治干渉・児童性虐待・児童虐待・輸血拒否」という悪事は、カルトの本質である悪の表出にすぎない、と書いた。

表面に出る悪行は違えど、数多のカルト宗教の本質は共通。そのカルトの本質をカルト3原則としてまとめた。昨日はカルト3原則その1「自由意志の剥奪と人権侵害」について書いた。

カルト被害者は自由を奪われた家畜同然。人権も失っている。だから、ただの壺でもありがたがって高額で買わされるし、輸血を拒否して命まで失う。それが我慢ならなくなると脱会できるのだが、カルト信者たちは家畜生活を好むように誘導されている。

その誘導手段が、カルト3原則その2「騙し」。被害者の自由を奪い、人生そのものを収奪するためにカルト組織側が行うこと、それが信者を騙すこと。カルト宗教が信者を騙すのは、全カルトに共通している。

ながーい人類史の中で、たまたま自分の生きている時代に、活けるメシアが降臨した。とかあり得ないっしょ。完全にウソじゃん。「我々の組織だけが神の言葉を受けて、将来起こることを予言できるのです」とか。激しくイカれた寝言なんだけど。

この冗談みたいなウソを塗り固める周到な仕組みを作ったり、巧妙に権威付けしたり、あとは脅したりすかしたりして信者に信じ込ませる。これがカルト宗教の3原則その2「騙し」。

カルト宗教に騙されると・・・

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エホバの証人が試されるのは、神でなく組織への忠節

エホバの証人、権威構造の宗教に救いはない

『良心の危機』、第6章「二重基準と御都合主義」より。

マウライのエホバの証人は踏み絵を踏むのを許されずに迫害を受け、生死を脅かされる。その一方で、メキシコのエホバの証人は賄賂を支払って軍務修了の証明書を入手。予備軍に参入していた。

メキシコのエホバの証人組織の脱法はそれだけに留まらず、組織そのものが宗教組織でなく文化組織の体裁をとっていた。祈らず、謳わず、聖書を持ち歩かずという神の冒涜三原則。

それはメキシコで土地などの資産を追い求める手段として。神より財産という物質的合理主義。

ここまでが昨日の記事

なぜ、エホバの証人組織にはここまでの地域間格差があるのかというのが、本日の入り口。答えはエホバの証人が偽者のカルトだからなのだが、本書ではそれを明快に指摘している。

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キリスト教を規律の形で扱う権威構造よく現れる産物だと今の私は考えている。権威構造に関わる人たちは、それほど良心にやましさを感じることなく二重の基準があるのを見ていられるようになってしまう

エホバの証人は、宗教を隠れ蓑にした一部の人間の権威欲を満たすための組織。その欲望の犠牲になって死んだり、人生を圧倒的に損なったり。権威者にとってはそれは目に留める必要もないこと。

地域間格差に良心を痛める一般信者がいる一方で

「トップ」に立ち、いわゆる「象牙の塔」にいる人たちは不思議なほどにそういう感情とは無縁で、この二重基準が人々にもたらす影響には感じるところがない

地域に不公平があろうが、いかに全体をたぶらかし、上手く統治するか。それしか考えていない。個別の家族の不幸など一切関与しない。こんな宗教、いやカルトに救いがある訳がない。

組織の言うことは絶対!エホバの証人

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良心に従い宗教を脱会するときに、立ちふさがるカルト要素

人生を妨げるカルト

何らかの態度を貫くとは

『良心の危機』、第1章「良心の代償」より。

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生涯が終わりに近づいてきた時、「少なくとも私は何らかの態度を貫き通した」と言うことのできる人の方が、何の立場も貫かなった人よりも満足感が大きい

当初、「ごもっとも」とうなづいたのだが、

かたくなにも「エホバの証人としての態度を貫き通しました」なんて人が出てくると困る。それは単なる自己満足で、ものみの塔の言いなりになっているだけ。何らかの態度を貫くという美しい姿勢とは、対極。

頑迷なマインドコントロール状態を貫いて生きるのも、「何らかの態度の貫き」であろうと言われれば、それはその通り。しかし、それは残念極まりない生き方の貫き方。

その時々で柔軟にベストな対応を取るという態度だって、それを続ければ「何らかの態度を貫き」通したということにはなる。

結局はモノの見方しだい。エホバの証人には「家族に迷惑をかけない態度」を貫き通して欲しい。

『良心の危機「エホバの証人」組織中枢での葛藤』、回り道回避の一冊

エホバの証人を脱会すべきという良心

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エホバの証人から脱出したあとは、視野を広く柔軟に方向転換

カルト脱会後は、視野を広く柔軟に

気持ちいいくらいに正反対意見の元エホバの証人ブログを発見

私は、SNSなどでエホバの証人(JW)の情報収集を行っていて、自分以外のブログも、ときには読んでいる。最近、気持ちいいくらいに意見が真逆のエホバの証人関連ブログにたどり着いた。

そのブログ作者ご本人は、おそらく脱会済み。エホバの証人組織の「人」につまずいたパターン。「統治体がー、とある長老がー、信者たちがー」と、エホバの証人の言行不一致の細部を指摘する記事のオンパレード。

それで、ブログ作者本人は「エホバは信じてる」と。しかし「聖書は全部読んでいない」と。そのブログ主ご自身が「それで良いと現役時代に判断した」かららしい。

凄まじく低レベルな短絡思考、決めつけ判断力が濫用されている。つまり、愚かで残念な人。

聖書みたいな古臭い異文化の本は、隅から隅まで何周も読んで、参考文献を幅広く調べて、それで表面的にやっと理解できるかどうかのレベル。それも新世界訳だけでなく、多訳で読むべき。

その上で、ヘンテコネームの「エホバ」を神として認めるか判断すべき。

私は、何も聖書を全部読めと言っているのではない。私もエホバの証人2世であることを強要されていたときに、全部読んだかどうか微妙。今でもさほど興味はない。

新世界訳聖書をつまみ食いして、「エホバは間違いなく存在します!」っていう思考回路がヤバいんだぜ、と言っている。一を聞いて十を知る聖徳太子レベルの優秀人類でないと、それはムリ。

ブログを流し読みした時点で、当人の知能レベルが伺える。このブログ作者は、間違いなく聖徳太子の対極に存在している。そもそも「エホバ信じてます」の段階で、精神が不健全であることは明らか。聖徳太子にはあらず。

包容力のある大人な社会は、決してカルトを許さない

自戒としたい元エホバの証人ブログ

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エホバの証人の勘違い愛「アガペー」より、「エロス」

エホバの証人の勘違い愛

エホバの証人のKANCHIG「愛」

元エホバの証人2世の論考集『エビのしっぽ』より。

エホバの証人の信じるアガペーって種類の愛は、非常に危険で、思考の愛。もっと言うと頭の中だけの押し付けの愛

自然な愛ではない。純粋な愛とは全然別物

私の記憶では、エホバの証人の教理では愛に序列があって、最上位の愛が、このアガペー。神に対する畏敬、畏怖の念だとか何だとか。

理屈っぽい。著者が「押し付けの愛」と言っているのはそこ。

「エホバって、こんなに慈悲深く、辛抱強く、愛に溢れ・・・だからエホバを怖れ、愛せよ」と繰り返し繰り返し、しつこく教え込まれる愛。

愛する対象と愛し方を教えられる。この時点で不穏な匂いがする。著者も書いている。「自然な愛」ではないと。不自然な愛。だいぶヤバい香りがしてくる。まさに「非常に危険」。

エホバの証人の場合は、教えられてというより、「脅されて」抱かざるを得ない「勘違い愛」。そんなもん愛じゃないって。

KANCHIGAI→KANCHIG愛。

エホバの証人(JW)組織が行っている脅迫と殺害予告

エホバの証人であることは罪

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