エホバの証人として人生を損なう親を黙殺するのは、エホバの証人的行動

目ざめよ!エホバの証人

高齢親にエホバの証人のまま死んでくれというのは、エホバの証人的発想

例えば、年をとった両親がいまだマインドコントロール下の現役エホバの証人で、「楽園待つわ」状態だったとしたら。

果たして、そのまま寿命を迎えさせたほうが幸せなのか?

エホバの証人の教理では、人は死後、無になり土に帰るとされている。ひどくもっともな論。しかし、そこから一転、正しく清らかなエホバの証人であれば、時が来たら復活し、地上の楽園で永遠の命を得るというおバカ設定になっている。

無になり、土に帰ったモノがどうやって復活するっていうの?

こんな話を信じて、人生を棒に振って老後を迎えている。尋常でない愚かさで哀れ。

そのまま、マインドコントロールされたまま死んでくれた方が、現実に気づき悲嘆する顔を見ずに済む。本人も取り返しのつかない事実を知って絶望せずに済む。ということ。

しかし、この考えは安直で自己中心的。まさにエホバの証人的な考え方。

Awake!JW

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偶然、スレスレで生き延びた元エホバの証人2世の子ども

命の危険に晒されるエホバの証人の子ども

エホバの証人の子どものストレス解消法

昨日の記事で、子どもの頃に眼瞼痙攣の症状があったと書いた。初期症状だけで回復したのは、私自身のストレスに対する耐性が高いからかと思われる。子どもの頃も今も、ストレスの解消が得意な体質というか性格。

エホバの証人というカルトを強要される子どもとして、私の子ども時代は過酷だった。エホバの証人2世の子どもが激しいストレスをかわし、息抜きをする方法とは。

小学校低学年の頃から、親の財布からお金を抜いて、遊びに行ってガチャガチャを回す。これが度々あった。時には3000円とか抜いて豪遊。これでストレスが解放された。

見つかって懲らしめというエホバの証人の体罰を受ける。これは痛いしパンツを脱ぐので屈辱的だけど、罪悪感を抱えたまま見つからないでいるよりはマシ。

逆に、子どもの頃の店舗からの万引きは一度も露見していない分、今でも罪悪感が残っていてスッキリしない。

エホバの証人の集会や布教活動の前に遊びに行って、15分全力でバットを振る。暗くなる直前にひたすら集中して遊ぶ。子どもながらのストレス解消法。

元エホバの証人2世の真夏の記憶

エホバの証人2世の子どものハードスケジュール

エホバの証人2世のサバイバル

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子どもの悲鳴を黙殺するエホバの証人の親を反面教師に

反面教師、エホバの証人親

悲鳴をあげるエホバの証人の子どもの身体

眼瞼痙攣という病気がある。重症化すると視覚に影響が出て失明状態にまで至る。下まぶたが痙攣しピクピクする初期症状から始まって、上まぶたの痙攣に広がり、最終的には自力で眼が開けられなくなる。

子どせの頃の私にもこの眼瞼痙攣の症状があった。この疾患の原因にはストレスも含まれている。この疾患の原因は、間違いなく私がエホバの証人というカルトの子どもだったこと。

エホバの証人は米国発祥の自称キリスト系新興宗教。日本ではものみの塔という名称でも知られている。我が家は両親揃ってエホバの証人で、一人息子の私も当然のようにエホバの証人というカルトを強制された。いわゆるエホバの証人2世。

エホバの証人の子どもには禁止事項が多く、参加できない学校行事がある度に、先生に参加拒否の意思表示をしなければならない。これは相当にプレッシャーだった。

学校行事に参加できないときは見学、もしくは別室待機となる。その都度、クラス中から奇異の視線、ときにはからかいの言葉を浴びる。私にはこれが最も辛かった。

そんな禁止行事がある日には、腹痛などで体調が悪くなることがよくあり、それも精神的なストレスが原因。体調を崩せば学校を休めるので、身体の方が先に、よく音をあげた。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人の親を反面教師に

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子どもが子どもでいることをやめさせるカルト、エホバの証人

子どもを子どもでいなくする宗教

エホバの証人というカルトから子どもを守るのは大人

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴き終わる直前。

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子どもでいられなくなった子どもたちの無念

市街戦の最中、銃弾の隙を見つけては遊ぶ子どもたち。その子どもたちが遊ぶのをやめたとき。子どもが子どもでいることをやめるとき。子どもが子どもでいられなくなるとき。

作中では、子どもの子ども状態からの早期リタイアを「戦争」が強要している。本ブログのテーマであるエホバの証人2世の場合は「宗教」。

宗教とか戦争とか重たい普遍的なテーマになってきたが、結局、子どもが心身共に健康的な子どものままでいられるかは「大人」が握っている。

「戦争」を始めるのは「大人」だし、子どもの心を銃弾で射貫くのは「大人」。カルト「宗教」に加入するのも「大人」だし、カルトの狂気で子どもを傷つけるのも「大人」。

もうアラフォーの私は「大人」でなければならないし、「大人」であるというのは「子ども」たちが「子ども」のままでいられるようにする社会的責任がある。そこまで視野を広げずとも、自分の子どもたちを守るという義務がある。

子どもを深く傷つけるカルト宗教「エホバの証人」を野放しにしないため、このブログはときには過激とも思える表現でエホバの証人を糾弾している。

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

子どもを傷つけるエホバの証人

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エホバの証人に対する復讐心は、カルト撲滅の原動力になるか

元エホバの証人2世の復讐心

元エホバの証人2世の復讐心という原動力

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴いている途中。

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復讐すると決めたとき、生きる活力が戻ってきた

復讐の力は生きる希望を与えてくれる

復讐を遂げるという目標によって生きる理由が生じる

復讐心が戦争の原動力になっている。

私が、ものみの塔を壊滅させようと、不毛にも思える活動を続けているのは、復讐のためなのだろうか?とふと考えた。

ものみの塔が存在しようがしまいが、具体的に被害を受けている家族・知人は既にいない。ものみの塔が消滅したところで何かご利益があるわけでもない。

両親との家族を失ったこと。取り返すことのできない無邪気な子ども時代。その復讐。この感覚は多少ある。

しかし、それを原動力に生きる糧に変えるというほどのエネルギーではない。そんなモノがなくとも、脱会後の人生で生きていく糧を充分に築いてきた。

それより大きいのは怒りと苛立ち。嫌悪。

誰にも言えない人生の汚点を、よくもオレに残してくれたなと。覚えとけよ。必ず後悔させてやるという思い。これがものみの塔を消滅させたい一番の原動力。結局は復讐心。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

ものみの塔の崩壊だけを人生の目的にしない

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元エホバの証人2世のいる場所~エホバというカルトの毒を癒す場所

共感による癒し

誰にも頼れないエホバの証人2世

私は生まれながらのエホバの証人2世で、14才のときにエホバの証人を脱会。それ以来、エホバの証人に関することの思考・判断・行動はずっと一人。

エホバの証人脱会時も、親との決別を覚悟の上、脱会宣言。その際、誰にも何の相談もしなかった。自分一人で考え、自分一人で決めた。

これは今でも頼もしく、当時中学2年生の自分を誇らしく思うのだが、相談できる親戚の1人や2人はいたような気もする。ただ、誰も信頼できない精神状態だった。誰も信頼できないというのは悲しい。自ら世界を拒絶し、自分の殻を閉ざしている。

学校の友人に相談したって何の役にも立たない。生活費出して養ってくれるわけじゃない。

しかし、そうじゃない。「お前も辛いんだな」「そんなややこしい家庭環境にいたって、お前とは友達だせ」そう言って貰えるだけで十分助けになった。

しかし、当時の自分はエホバの証人という自身の弱みに注目するあまり、一切の弱みを外に出せない、完璧で強くなければ生きていけないと思い込んでいた。だから、信者でないノーマルな親戚にも学校の先生にも友達にも、誰に対しても頼るどころかひと言の相談すらできなかった。

親戚や学校の教師から、脱会意志が親に漏れないともいえない。それは避けたかった。でないと親に先回りされて、エホバの証人を完全にやめるかやめないかという白黒選択を曖昧にされる恐れがあった。迅速に完全にエホバの証人をやめるという計画を、曖昧かつ緩やかなモノにされるのは避けたかった。

完全にエホバの証人を生活から退けられたのは、一人で極秘裏に単独潜航、いざ宣言したら「急速にエホバの証人全般を切り捨てる」計画が功を奏したから。

脱会時に周囲にヘタに相談しなかったのは、それはそれで良かった可能性もある。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

エホバというカルトの毒を癒す場

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『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

帰属という癒し

エホバの証人被害という同じ経験をした集団に対する共感

まだ聴いている途中なのだけど、『同志少女よ、敵を撃て』より。

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主人公がある集団に加わったとき、その集団のメンバーから受け取ったメッセージ。

あなたはここでは何も特別ではない。

ここへ来たあなたは決してもう一人ではない。

仲間意識、皆が同じ経験をしていた。

ここには泣く自分を許してくれる人たちがいる

主人公はこの集団に迎えられ、涙する。

昨年、元エホバの証人というリアルな設定でTwitterを始めた。すると、自分と同じような境遇の人、もっと最悪な境遇の人がざっと数千人以上はいることが分かった。全員がエホバの証人被害者。

生身の人間に接して、こんなにエホバの証人被害者っていたのかと、驚いた。しかし、ちょっと考えれはそりゃそうだと。エホバの証人信者は日本に20万人もいる。潜在的被害者はその数倍にはなる。

Twitterのエホバの証人被害者の中には、深く共感も覚える人もいる一方、何言っているんだかよく分からない奴もいたり。

エホバの証人っぽい暗さやら、独りよがりの考えすぎ独善思考が垣間見えたり。まるで、自分の欠点を見ているようで、何とも言いがたい気分になるときがある。

本当にヤバい奴もいるらしく、SNSは社会の縮図。とくに元エホバの証人なんてのは、期間や程度に差こそあれ終末思想に冒されていたのだから、そりゃヤバい精神状態の奴も紛れ込む。

他人の命や人権の軽視、差別思想、その発言と実行。それにものみの塔お得意の決めつけ型独善思想が乗っかると相当に厄介。まるで自分を見ているよう。

そんなややこしい奴はちょっと勘弁なのだけれど、大きく括って見れば、おおむね共感。

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

帰属意識がエホバカルトの毒を癒す

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エホバの証人2世の異常な性欲、私は如何にしてポルノを愛するようになったか

エホバの証人による性的虐待

性的に抑圧を受けるエホバの証人

私は生まれながらのエホバの証人2世だった。エホバの証人というのはキリスト教を自称する新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という宗教法人が中心となって活動している。

2世というのは宗教2世被害者のことで、親の宗教を強要された子どものこと。

※今回は大いに性的な話題を含みます。ご注意下さい。

エホバの証人は婚外での性行為やマスターベーションが禁止されている。これは若い2世信者にとっては究極の問題。

性という、至って個人的な領域を誰にも管理される筋合いはない。しかし、そんな正論が一切通じないのがカルト。

とにかくエホバの証人は婚前の性行為禁止。マスターベーション禁止。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

特別に強いエホバの証人2世の性欲

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元エホバの証人2世、14才の背教者が『夜明けへの道』になる

14才の背教者

元エホバの証人2世、14才の背教者の読書感想文

私は生まれながらのエホバの証人2世信者で、14才の秋に自分の意思で脱会。

その翌年書いた読書感想文が背教者感満載だったのでこの場で紹介したい。

こうして現在、しこしこと反ものみの塔活動をやっている原点は20年以上前にさかのぼる。14才の背教者。

この読書感想文は、学校中に配られた文集に載るような賞を貰ったのだが、内容がいかんせんホンモノの中二病なので、原文ママの掲載は控えたい。恥ずかしくて自分でも読めないので。

読んだ本は、インドの人種差別に対抗して活動した人の話。当人がインドの被差別層の『夜明けへの道』になったのに乗じて、オレも、暗闇でもがく人々の道になってやる!くらいのことを書いた。

エホバの証人信者の脳内がヤバい理由、悪化の一途

残りわずかな人生の時間を生きる

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エホバの証人のとめどない暴力、決して感謝されない親

虚しいエホバの証人親

エホバの証人の暴力と箸

昨日の記事の続き。体罰でしつけられたエホバの証人2世は、箸を正しく持てるのか?

果たして、箸をちゃんと持てないからと、エホバの証人の親は体罰を加えるのか?箸の持ち方がなっていないからと、手をピシっと叩いたりするのか?

これは大抵のエホバの証人には当てはまらない。子どもが親の言うことをきかなかったり、一般的な悪事を働いたときにだけ、こらしめという暴力は発動する。

ほとんどのエホバの証人家庭では、「どれだけ教えても箸の持ち方が上手にならない」くらいで、こらしめが発動することはない。

例外として、既に常軌を逸して暴力が日常化している親。愛のムチでも何でもなく、暴力を振るうことに依存している暴走状態の親。こんな親だと、箸の持ち方一つで暴力に走ってしまう。

カルトにハマるような人は精神的に未熟だったり、何らかの欠落を埋めようとしている。そんな人がこらしめという名目で暴力を推奨されると、当初は推奨範囲内で行使していた暴力が、そのうちに歯止めがきかなくなる。暴力の虜。

そんな親を持ったエホバの証人2世は、箸の持ち方一つで親に暴力を振るわれたのではないだろうか。

感謝されないエホバの証人の親

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