高齢の親にJWのまま死んでくれというのは、JW的発想
例えば、年とった両親が未だマインドコントロール下の現役のエホバの証人で、「楽園待つわ」状態だったとしたら。
果たして、そのまま寿命を迎えた方が幸せなのか?
エホバの証人の教義では、人は死後、無になり土に帰るとされている。ひどくもっともな論。しかし、そこから一転、正しく清らかなエホバの証人であれば、時が来たら復活し、地上の楽園で永遠の命を得るという設定になっている。
無になり、土に帰ったモノがどうやって復活するっていうの?
こんな話を信じて、人生を棒に振って老後を迎えている。尋常でない愚かさで哀れ。
そのままマインドコントロールされたまま死んでくれた方が、現実に気づき悲嘆する顔を見ずに済む。本人も取り返しのつかない事実を知って絶望せずに済む。ということ。
しかし、この考えは安直で自己中心的。まさにエホバの証人的考え方。
Awake!JW
私は全てのエホバの証人を自分の人生から切り捨ててきた。結果、肉親のエホバの証人は全員脱会した。能動的に働きかけた訳ではないが、人生は自分のもので神やエホバの証人組織に捧げるものではないということを身をもって示した。それが彼らの脱会の一助となったと信じている。
よって、マインドコントロールが解けて絶望する両親や親族がいる訳ではないので、対岸の火事、無責任な物言いになるが、例え死の床にあっても、全てのエホバの証人のマインドコントロールは解除されるべき。
その理由を列挙していく。
まずその①、当のものみの塔聖書冊子協会だって大昔から言っている。「目ざめよ!」って。これは半分冗談、いやほとんど冗談なのだが、そこがポイント。
ものみの塔聖書冊子協会の存在自体が冗談だとしたら。永遠の命っていうアメリカンジョーク。だから早く「目ざめよ!」ってこと。
ものみの塔協会がオカルトシンボルを出版物に隠しているのはギャグ
JW、命がけのものみの塔崇拝、輸血拒否というブラックジョーク
人たらしの冗談に付き合って人生無駄にして、死んでいく。自分の親がそんなに哀れで愚かで良いの?
ものみの塔の言う「目ざめよ!」が信者のマインドコントロールに向けたものであるか?超一流のブラックユーモアであるかどうかは置いておいても、ものみの塔の存在自体は冗談に限りなく近い。
永遠の命とか、完全な人間とか、復活とか、昇天とか、パラダイスとか・・・完全に冗談。
自分はクレバーだったから、冗談に付き合うのをやめたけど、馬鹿な親はそのままの方が良いってのはどうかと。愛の欠如。それこそエホバの証人と同じでは。
理由②以降は明日の記事にて。
“JWの冗談で人生を損なう親を黙殺するのはJW的行動” への1件の返信