新世界訳聖書は手抜きの機械的翻訳
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。『欠陥翻訳ー新世界訳』の2章『原典に不忠実、不正確』から。
各語の意味を決定するのはあくまでも、その語の字義ではなく文章全体の意味である。まず先に単語があってそれから文章がというのではない。先に言いたいことがあり、それから単語が選ばれてくるというのが通常の順序
この順序を取り違えているから、ものみの塔の新世界訳聖書は欠陥品になってしまった。しかも、この単語の選び方にも問題がある。
単語の訳語を統一しているから、聖句間の参照や比較対照しやすいというのがものみの塔の主張。しかし、それは全体の主旨を無視して訳語の統一にこだわる、という機械的翻訳がされたことを指す。
昨日も書いたが、まさに「木を見て森を見ず」。
godであればエホバのような機械的な翻訳、”A”ならば”い”、”B”ならば”ろ”という、いわば思考を怠った手抜き翻訳。その結果が「欠陥聖書」新世界訳聖書の誕生。
訳語の統一の問題については本資料の3章でもさらに指摘されている。2章では「木を見て森を見ず」の弊害、原典に不忠実になった部分が羅列されている。
理解不能な文脈の新世界訳聖書
“エホバの証人が欠陥聖書『新世界訳』を与えられている理由” の続きを読む